私と彼とお土産
あれから1ヶ月。
メールの返事も来ないままあっという間に、時間は過ぎた。
季節はいよいよ冬本番を向かえ、街の雰囲気も、外気もぐっと寒くなり、吐き出した息が白くなる。
夕方の時間帯に引き継ぐためにゴミを集めて店舗裏へと持ってきた所であまりの寒さに身震いした。
「うひー」
誰もいないのを良い事に小さく悲鳴に似た声を上げ青い大きな蓋付きのゴミ箱へそれを放り込む。
冷たいドアノブをまわし室内へと逃げ込んで厨房へ戻ると、バイトの高校生と大学生がもう入ってきていた。
「あれ、涼先輩、今日は眼鏡なんですね」
垢抜けた大学生の男の子に目敏く言われ、あぁ、うんと頷く。
今日は上手くコンタクトが入れられなくて仕方なく茶色のプラスチックのフレームの眼鏡を掛けてきた。
フレームをくにくにっと弄りながら、本当は嫌なんだけど、と口を開こうとすればもう一方から声がかかる。
「ほんとだ」
と髪をひとつに結った高校生が言い、それに、言う気すらなくし、とりあえず笑って済ます。
大した事件もなく平和だった半日の引継ぎ事項を手短に済ませると事務所へと戻った。
先に更衣室へ入り着替えを済ませ、木下さんと入れ違いにそこを出て鞄を覗くと携帯がチカチカと光っている。
広告メールは面倒なので光らない設定にしてある。
「お母さんかな」
男の人なら非難されそうなマザコンのような発言をしながら携帯をポチポチやる。
地方に住んでいる母は心配してしょっちゅうメールをくれる。
大体は大したことではなく、風邪を引いていないかとかお金に困ってないかとか。
近所の何とかさんがどうたらとか、お父さんがこうだとか。
「……え」
竹中さんまで着替え終わり、更衣室のアコーディオンカーテンの側で談笑していた従業員が私を見た。
竹中さんが心配そうに私に声を掛ける。
「どうしたのよ、涼ちゃん」
見た目は体育会系なのに相変わらずのおねぇ口調。
「いや、何でも」
無いんです、と答えながら、心の中では、あるんです。大事件なんです。と考えていた。
一応登録しておいたそのアドレスは紛れも無く佐久間さんからだった。
仕事終わったら今日会える?
外で待ってるから。
社長って横暴なのでしょうか。
私の答えとか選択肢とかそこには存在しないのですね。
ていうか、今日眼鏡なのに。
ますます可愛くなくなっちゃうのに。
みんなの視線を受け流しながらぽちぽちと返信する。
今日はお休みで、家に居るので、会えません。
閻魔様に舌を抜かれるのは嫌だけど今会うのはもっと嫌でそう返したが僅か数秒後には返信が来た。
さっき、居たじゃない。
いやはや、参った。
もう逃げられない。
更衣室の鏡を見てとにかく化粧を直す。
竹中さんがにやにやと笑う顔が鏡越しに見えた。
「あらやだ、デート?」
え、うそ、と声が上がる。
それに首を振り立ち上がる。
「いえ、学生の時の恩師が近くまで来ていると仰ってて」
鞄にカバの形の化粧ポーチをしまいドアを開けた。
閻魔様、ごめんなさい。
でもみんなに知られるわけには行かないんです。
絶対にいじられるから。
喫煙席を抜け外へ出ると前回と同じように壁にもたれていた。
「や、久しぶり」
まるでチョコレートのような上質のウールのコートを羽織り黒い手袋を嵌めた手を上げると佐久間さんは変わらぬ上質な笑顔で私に微笑みかけた。
どこへ行こうかと言われ迷いながらも、誰かに見られたくなくて、とにかくいち早く逃げるように向かったのは、結局前回と同じ喫茶店に向かい合って座っている。
この人の行動も不思議だがそれに素直に応じた私も不思議だ。
「メール返さなくて悪かったね」
ブレンド珈琲を啜る佐久間さんがそう言い私は首を振った。
黄土色に変化した液体をしつこくスプーンでかき混ぜる。
「いえ、お忙しいでしょうから」
カップを両手で包むようにして持ち上げふーふーと息をかける。
やっぱり勤務先の安っぽい珈琲とは違い深い香ばしい香り。
「そう言って貰えると有難いんだけどね」
カップから顔を離し苦笑いを浮かべて彼がそう言いソーサーへとカップを戻した。
それから脇に置いていた小さな紙袋をテーブルに乗せる。
10cm四方位の小さなそれには英語だか何だかで知らない名前が書かれている。
「海外にね出張してたりして、これ、お土産」
思わずぐぐっと多く飲み込んだ珈琲が熱くて食道がきゅうっとなる。
カップをソーサーに戻しまじまじとそれを見つめる。
「……え、えっと。どうして」
佐久間さんが首を傾げ胸元からタバコを取り出した。
前回は吸わなかったなぁなんて小さく思う。
「私なんかに」
なんて言ったら良いんだろうとその後が続かない。
どうしてお土産なんか買ってきたんですか。
どうして構うんですか。
「……だめ?ただ、そうだな、何となく友達になれそうだと思ったんだけど」
聞きながら手を伸ばし袋を取る。
中には小さな白い薄いダンボールで出来た箱が入っておりそれを取り出して中身を出す。
小さな男女の子供が花がたくさん詰まったカゴを挟んで持って向かい合っている陶器製の置物が出てくる。
大きさは丁度手のひらに収まる程だ。
「……友達、ですか」
それを右手で持ち上げ回してみたりしながら見つめる。
友達という言葉に引っかかった。
身分が違いすぎるからだ。
彼の友達になれば確かに私の見聞は広がるだろう。
でも、彼は、どうだろうか。
何も得る事が出来ずむしろ汚点にならないだろうか。
彼が連れて行ってくれるであろうレストランはファミレスとは違う。
テーブルマナーもよく分かっていない私でも彼は当たり前のように連れていくかもしれない。
そうなった時に痛い目を見るのは私ではなく彼だ。
「そう、だめかな」
置物をテーブルに置き彼を見つめる。
前と同じでテーブルの下ではすらりと長い足を組み、姿勢を正して座っている。
「私と友達になっても利益を得る事は難しいと思いますよ」
彼の穏やかな表情がふっと消えた。
眉間に皺を寄せ一転無表情になる。
組んだ膝の上に左手を載せ頬杖をついて首を傾げたままこちらを見ている。
いや睨んでいるのかもしれない。
「利益、ねぇ」
ぽつりと呟く声はひどく冷たくて目を彼から逸らしてテーブルの上の置物を見つめた。
頬を薄いピンクで染めた男女の子供はまるで恋人同士みたいに見える。
「友達ってさ、利益とか関係ないんじゃないかな」
目線だけ彼へ向けるとまだ私を見ていてまた慌てて逸らす。
私は両手を膝の前で組み何も俯いたまま答える。
「だって、友達なんて無理です。住んでる世界が違いすぎます。佐久間さんが恥をかく」
ゆっくり呟くようにしか言えず、その間中彼を見ることが出来なかった。
ふわりと彼がつけている甘い香水の香りが動く。
視線の隅に入ったスーツも動いて思わず目を上げた。
「わかった。ごめんね、二度も付き合って貰って。それは、要らなかったら捨ててくださって結構です。それでは失礼します」
立ち上がっていた彼と目が合う。
眉間の皺は無くなったものの目を細め見下すように私を見ていた。
「佐久間さん」
自分から突き放しておいたくせに自然と名前を呼んでいた。
伝票を持ちテーブルから既に2,3歩歩いていた彼が振り返る。
「あの、ありがとうございました。お土産」
彼の表情が和らぎ形だけの笑顔を作って会釈をした。
チリンチリンとドアのベルが鳴り彼は颯爽とその場から消えていった。
家へ戻り洗面所など無い1Kの台所のシンクでごしごしと化粧を落とす。
あの後どうにもいたたまれなくなりすぐに店を後にした。
捨ててくださいと言われた置物はそうする事も出来ず持ってかえってきてベッドの側のお膳に置きっぱなし。
とにかく気分も顔もさっぱりしたくて水道から出てくる冷水で顔をじゃぶじゃぶ洗う。
何度も洗ってごわごわになった安いタオルで顔を擦らないように水気を取り、タオルに顔を埋めたまま呟く。
「高級寿司は無くなったな」
でもこれでよかったのだ。
スマートにやられているからそう思っていなかったがあれはナンパだったのかもしれない。
本当に単純に友達にと言われても彼とは釣り合わない。
シンクを離れて部屋へ入る。
ガラスで出来ている化粧水のボトルを取りコットンに多めに落として顔にパッティングする。
ワープアニートの私の唯一のこだわりはこの少し高めの化粧水と乳液だ。
肌が綺麗ならずっと若く見えるよと言ったのはずいぶん前に亡くなった曾祖母で、へちま化粧水を愛用してた彼女は亡くなった時までお肌が皺ひとつない程つるんつるんだった。
片手でテレビのリモコンを操作し適当な番組を見る。
残念ながら夕方のニュース帯は過ぎていてよく分からないバラエティをぼーっと見ながらパッティングを続けた。
各所5分くらいですよ、とニコニコしながら話してくれた化粧品売り場のおねーさんに素直に従う。
テレビがつまらなくて結果つけっ放しにし携帯をいじる。
ぽちぽち溜まったメールなんか見ててうっかり佐久間さんのメールを見た。
「もうアドレス要らないかな」
メールを閉じてアドレス帳を開く。
昔やっていたバイト先の人や家族、数人しか居ない友達。
それらを全部含めても100人に満たない。
常日頃から無感情で冷めている私には友達がとても少ない。
「取って置こうかな」
佐久間さんの携帯にはさぞたくさんの人が登録されているんだろう。
仕事もプライベートも充実してるに決まってる。
恋人だってきっと居るだろう。
プライベートと仕事は携帯を分けているんだろうか。
「まぁ、いいか」
ぽーいと携帯を放り投げコットンをゴミ箱に捨て乳液を手に取り両手で伸ばして温めてから顔に刷り込むように丁寧に塗っていった。
隅においてあった紙袋を取り中から箱を出して置物を出す。
ちょうど箪笥の上に何も無かったのでそこに置いてベッドへともぐりこんだ。