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私とパフェと彼

とりあえずと連れていかれたのは働いているチェーン店の近くの純喫茶で、私は今、ウェイトレスが持ってきたお冷を前にメニューを睨んでいた。


珈琲一杯700円もするなんてなんて高いんだろう。

これだけで私の一時間分が消えてしまう。

700円の珈琲なんてとてもじゃないけれど、飲めない、と、メニューの端から端まで見ても、それが最安値だった。

そんな私の様子に目の前に座る彼は、ただ、何も言わず、ずいぶんと長い時間待っていてくれ、終いにはそっとさりげなく一言添えてくれた。


「何でも好きなのどうぞ。俺は何か軽く食べるから」


その言葉に思わず、さっきまで珈琲飲んでたはずなのにまたこの人は珈琲を飲むのかなと目だけで彼を見上げる。

私の視線を受けてなのか、それとも、私の顔にそういう意図が見えていたのか、ふっと笑みを浮かべている。


「ほら、ここなら甘い物もあるでしょ」


と私の前のメニューを長い綺麗な指で示す。

顔も姿も綺麗だと思っていたけれど、本当に指の爪の先までこんなに綺麗な人もいるんだと少し感動した。


「……じゃあフルーツパフェで」

「それだけ?」


悩んだ末に告げれば、一瞬の隙も無くそう返ってきて、小さくうぅと呻きブレンド珈琲も追加する。

それに満足したように、彼は実にスマートな所作でウェイトレスを呼ぶとパフェとブレンド2つとタマゴサンドウィッチを頼んだ。

ウェイトレスの声が何となく高くなっていたのは気のせいではないはずだ。


「さて」


ウェイトレスがその場を去れば、彼は待ってましたとばかりに長い足を組みその膝の上に手を組んで私を見る。

とにかく、謝らないと。

あんな失礼な事をしてしまったんだから。


「「昨日は」」


声が重なる。顔を上げると目を開いた彼の顔。


「え、えっと……」


止まっているその間に言葉を続ける。


「昨日はすみませんでした。あの、まさか、持ち主の方が追いかけてくるなんて思ってなくて失礼な事を」


頭がテーブルに付く位下げると彼が慌てたように言う。


「いやいや、忘れたのは俺の責任だから。それより見つけてくれてありがとう。盗まれたりしたら大変だったんだから」


最後に付け加えられた、顔を上げてよ、の言葉に素直に従い彼を見る。

それと同時にウェイトレスがブレンド珈琲を2つ持ってきてテーブルに置きミルクとシュガーポットも置いていった。


「そうですよね、パソコン高いですもんね」


目の前の湯気立つ珈琲は想像以上に香りが良く、けれど、このままではと、自分の分のミルクを入れてかき混ぜる。

茶色く濃かった液体はあっという間に黄土色の濁った色へと変化した。


「あー、うん、まぁ、それもあるんだけど。大事なデータが入ってたんだ」


彼はブラックがお好みらしくそのまま口をつけている。

あんな苦い物よく小細工なしに飲めるもんだと思う。

それに、すごく湯気が立っていて、熱そうなのに。


「……そうなんですか」


ふーふーとカップを持ち上げて息を掛けながら言う。

なんだか不思議だ。

お客様とこんな風に向き合って珈琲を飲む機会なんてそうそう無い。


「そうなんだよ、怒られる所だった」

「上司にですか?」


おどける彼にそう尋ねると首を2、3度振られる。

それからひどく絶望的に困った顔をして口を開く。


「いや、部下に」


部下にとはいったいなんだろうと思い、首を少し傾ければ、その疑問が顔に出ていたのだろう、彼がカップをソーサーに戻し胸元から名刺入れを取り出した。

中から一枚それを取り出し私の前に置く。


「改めてまして佐久間です」


名刺なんてもらったことがなくて、慌ててカップを戻してから、頂いた名刺をおずおずと持ち上げる。

白い固い紙の名刺には明朝体ででかでかと名前が書いてある。


(株)佐久間商事 代表取締役

佐久間 礼


ん?と一瞬考えこんだ。

代表取締役って社長の事だよね。

それに佐久間商事って……。


「えぇっ?!」


頭の中の思考と思考が握手を脳内で交わし、その結果、思わず声を上げて叫び名刺と顔を何度も見比べた。

彼はその度に何でかうんうんと頷く。


ワープアのニートのフリーターの私でも、佐久間商事は知っている。

輸入食品を取り扱う大手で有名なデパートにも店を出している会社だ。

佐久間グループの中の会社のひとつだった、はず。


「佐久間ってあの佐久間ですか」


周囲の注目を浴びた事に気付き声を潜めて言うと彼はまた大きく頷いた。

どっひぇー、なんて人と知り合いになったんだろう。

別に面接を受けているわけでもないのに手に汗が滲んで鼓動が早くなった。


「そう、あの佐久間、で合ってると思う」


運ばれてきたタマゴサンドを手で掴み一口齧ってから答えられ目の前のパフェに手をつける気分にもならなかった。



何とか、かんとか、パフェを口に流し込み彼の他愛も無い話を聞いてから、そろそろ行こうかと席を立つとまだ30分程度しか経っていなかった。

やんわりと暖房の効いていた室内から外へ出ると頬がきゅっと締まる気がする。


自分の分は出しますと言っても彼は一切譲らずそれどころか追い出されるように先に店を出されてしまった。

チリンチリンと古くなったドアの上部に付いている小さな鐘の音がして彼が出てくる。

緩めていた薄い黄色のネクタイをきゅっと締め直し疲れた表情を浮かべた。


「時間があれば食事に誘うんだけど、これから会議なんだよね」


ひどく残念そうに言われたそれに、もう夕方にも差し掛かる時間なのに、と首を傾げると、外国との国際電話を使った会議だと説明してくれた。

確かに時差を考えればこの時間になるのも無理はないのかもしれない。

聞いても地理に自信の無い私にはきっと分からないので、どこの国となのかは聞かないことにした。


「あの、ご馳走様でした」


頭を下げるとニット帽に付いているボンボンが下がる。

いい年してと母に呆れられるそれは私が愛用している物だ。


「いえいえ、こちらこそ突然誘って悪かったね」


ひらひらと手を振り笑顔を作ってそう言われ顔を上げた。

並ぶと見上げるくらい大きい。

私が小さいだけでなく、この人は大きい人なんだと、改めて思う。


「また今度食事でも行こうよ。何なら今度俺のオフィスにもおいで」


何の気なしに、ものすごく彼に軽く言われ、返事のしようがなく、はぁ、と鈍く答えると見計らったように黒い外車が通りに入ってくる。

それは私達の真横で止まり運転席からは初老の男性が降りて彼に頭を下げた。


「あぁ、もう迎えが来ちゃった。またね」


本当に残念だと言うように彼は言い開けられたドアの中へと消えていった。

運転手が席に戻り車が発進するのを頭を少し下げて見送り私も帰路に着いた。



浴槽になみなみと張ったお湯に足からゆっくりと入る。

夜になればまだ寒い季節のそれは、冷え切った体に、ジンジンと軽い痛みをもたらした。

私が入った体積で溢れたお湯はざーっと音を立てて流れ排水溝へと吸い込まれた。

一瞬で湯気で包まれた浴室はすこし壁のタイルが霞んで見える。


「またって……なに?」


あれからずっと浮かんでいる疑問を口にする。

どうしてあの人は私にまたと言ったんだろう。

私と仲良くしても何もメリットなんてないはずなのに、と思えば、ようやく思考が結びついて、するりと口からそれは小さく飛び出した。


「あぁ、そうか。暇つぶし、か」


ぽんっと頭に浮かんだのはなぜか猫と鼠で、もちろん、鼠は私だった。

高級な猫が、たまたま見つけた小さな鼠を指先でちょんちょんとつついているそれに、小さく、うーん、と唸ってから狭いバスタブで体を滑らせ、鼻先までお湯の中にそっともぐりこんだ。

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