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私と彼とバイト

ガチャンと大きな音を立ててカップが盛大に破片となった。


「し、失礼致しましたっ!!」


店内に響き渡るような大声で咄嗟に叫ぶ。

今日だけでもうカップやら皿やらを割るのは3回目だ。


「涼ちゃんどーしたの」


先輩の竹中さんが言ってくれ、けれど、その向こうでは店長がじっとこちらを睨んでいた。

頭を二人に何度か下げてからしゃがみこみ、大きな破片を指を切らないよう慎重に竹中さんと拾うと厨房の裏口から箒と塵取を持って戻った。

散り散りになった、まるで砂糖のような小さな破片を集めて、大きなそれと共にパンが入っていた厚手のビニール袋に入れて口を結ぶ。

それを箒と塵取と共に裏口まで持っていって専用のゴミ箱へ捨てた。

こんな風にミスを繰り返すのは本当に久しぶりだ。


鉄仮面、サイボーグ、ロボット。


裏で後輩がそう私の事を呼んでいるのを知っている。

決して可愛い方ではない。

どちらかと言えば綺麗と言われる部類に入るらしい。

でも、それは人並みだ。

特別目立つ容姿でも無い、顔が整っているだけだ。

それに、150cmしかない身長はどうやっても不利だ。

愛想が無いのも生まれつき。

おまけに鈍い。

自分の事にはものすごく鈍感な方だ。

それでも陰口ぐらいはその内に伝わってきて、控えめというかおとなしくなってしまった性格も相まってそう呼ばれるのにも慣れた。


それなのにこんなにミスをしてしまうのは昨日の忘れ物の件だ。


彼は颯爽と去っていったが、私は動けなかった。

俺のだと言った彼の言葉を最初から思い出しては穴を掘りたくなるほど恥ずかしくなった。

確かに最初から彼は自分が持ち主だと伝えていたのに。

私は勘違いだとか強盗だとか思って抵抗していた。


なんという事だろう。

恥ずかしくて恥ずかしくて、例え、この場にいる従業員全員がそれを知らなかったとしても、とにかく恥ずかしい。


また、あのお客様がいらっしゃったら……。


プシューと頭のてっぺんから蒸気が吹き出る感じがする。

どうして勘違いなんかしちゃったんだろう。



あまり遅いとただでさえ風当たりが強くなりそうな職場でもっと居心地が悪くなるので、何とか赤くなった顔を戻して厨房へと戻る。


「おかえり」


苦笑いを浮かべた木下さんに頭を下げると、目だけでレジを示された。

これ以上食器を割られたら堪らないのだろう。

それに素直に従い大学生の子とポジションを変われば、その子はひどく同情的な視線を私へと送ってくれた。


「いらっしゃいませー」


レジに立ち一息つけば、すぐにお客様が入ってくる。

これ以上何もやらかすまい、と、大きく深呼吸をして顔を上げたが、すぐに、それは下を向く事になった。


「や、笹川君」


なんで、なんで、居るの?てか、来たの。

爽やかに笑うその人はまさしく昨日の人で、顔が一瞬で赤くなる。


「アメリカンで」


何も無かったかのように彼はそう言い財布から一万円札を出してコイントレーに置く。

長く綺麗な指と、昨日とは違う色の、けれど布地の良いスーツとワイシャツの袖口が一緒に見える。


「ア、アメリカンコーヒーですね。サイズはいかがいたしますか」


心の中がどっくどくしてるのは、なんていうか、緊張しているからで、けれど、マニュアル通りの言葉を呟く。

とにかく早くこなしてこの人を遠ざけないと、また何かミスを犯してしまそうだ。


「Mサイズで」


かしこまりました、の一言すら言えなくて、ピッピッとレジを打ち一万円札をしまってお釣りを出す。

手が震えてうまくお札が数えられずまごまごしているとクスクスと彼は笑った。


「大丈夫?」


手が止まり涙目になり、ますます俯いてしまう。

なんだってまた来たんだろうか。

本当に恥ずかしくてたまらない。

震える手でようやく数え終えたお札を数えて見せながら渡し、硬貨もレシートと共にお返しした。

最後の最後でようやく顔を上げる事が出来、彼を見れば、昨日と同じ爽やかな笑みを浮かべ、コーヒーを手に喫煙席へと消えて行った。


「涼ちゃん?」


ガション、と、レジを閉めれば、背後でマシンの中のコーヒー豆を補充していた木下さんが声を掛けてくれる。

ザーザーと豆がマシンに流れる音が響く。


「どうしたの?顔、真っ赤よ。具合でも悪い?」


木下さんに首を振ってみせるが、普段の態度からか今日の行いのせいか店長やら竹中さんやらまで心配し始め17時までのシフトは急遽16時までに短縮される事となった。


「風邪ならしょうがないわね」


竹中さんが言う。

この人は大柄で、顔も声も、全部、他の誰よりも男なのに女みたいに話す。


「すみません」


風邪じゃないんです、恥ずかしいんです。とは今更言い出せない雰囲気に仕方なく頭を下げた。

確かにこんな状態じゃ仕事にならない。

しかも、あの人はまだ喫煙席に居る。

ガラスで区切られた向こうをそっと覗けば、それに面したカウンターに座ってタバコを咥えたままパソコンをカチャカチャとやっていて、ふと彼が顔を上げ目が一瞬合い、慌ててそれを逸らし俯く。

そんな事を何度も繰り返していたらあっという間に16時だった。


「お疲れさまです。今日は本当に申し訳ありませんでした」


全員に頭を下げて回り、店長から有難い小言をもらってようやく事務所へと、向かう。

コーヒーなんて申し訳なくて貰えなく今日は空手だ。

喫煙席の自動ドアが開き俯いたまま早足で事務所のドアへ向かう。


お願い、振り向かないで。


そう念じながらドアの前に着いた時も彼はまだカチャカチャやっていた。

逃げるように事務所の中に入り、その奥の更衣室に身を潜め、ふーっと息を吐きながら素早く着替える。

とりあえず第1ステージはクリアしたと言っていいだろう。

グレーのショート丈のダッフルコートの前を閉めながら鏡を見る。

ひどい顔だ。

化粧もテカってしまっている。

ここには彼は入って来れないのを知っているけれど、とにかく一刻も早く一緒の空間から出たくて白いニット帽を深く被って事務所を出た。


あれ?

ドアを閉めながら、彼が居た方を見れば、私が着替えている間にどうやらお帰りになったようで座っていた席はすっかり綺麗になっていた。

何だ、とホッとしてゆっくりと喫煙席を横切り従業員に頭を下げてから外へ出る。

自動ドアが開き、一歩踏み出して、んーっと解放された安心感か大きく腕を突き上げて伸びをして降ろす。

肩から掛けた生成りの帆布バッグから缶入りのドロップを出してカラカラやる。

オレンジ味のが一個出てきたので口に放り込んでまたしまい、駅に向かおうと方向を変えた所で、危うくそれを飲み込みそうになった。


「や、お疲れ」


隣のビルとの間の壁にもたれ掛かっているのは彼で、手には昨日と同じ紙袋を持っていた。


「あっ、えっ」

「待ってたんだよ。昨日のお礼をしようと思って」


お礼って、お礼?

私はお礼をされるような事していないし、それに、それは文字通り受け取っていいのかな。

それとも所謂悪い人達が使う意味のそれなんだろうか。

結局、口がパクパクして何も言えずに居ると彼はまた笑って言った。


「とりあえずお茶でもどう?」


古風なナンパみたいな手口に意外だと思いながら、その答えの選択肢にNOが無い事はよくわかっていて小さく頷いた。

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