私とみかんと残ったご飯
結局、夜になっても佐久間さんは帰ってこなくて、冷蔵庫を開けておにぎりを見つめる。
自分の分は食べてしまって彼の分だけだ。
ふうっとため息をつく。
自分が文句を言える立場じゃないのはよく分かってる。
恋人でもなければ妻でもない。
どちらかと言えば雇用主と従業員だ。
「まあ、明日のお昼にすれば良いか」
冷蔵庫を閉めテーブルの上のオムライスを見る。
あれも既にすっかり冷め切っている。
まあ夕飯が冷めてしまうのは仕方ないとして、あれも残ったら厄介だなあと思う。
そうするとまた明日帰ってくるかもと朝を作り、今日の朝ご飯を食べ、明日の昼にオムライスだ。
冷めて時間が経った物を食べさせるのは気が引ける。
それは関係性からではなく単純に美味しくないからだ。
どうせなら美味しい物を食べてほしい。
釜飯や私の作った朝御飯をにこにこしながら食べている佐久間さんを思い出し胸が痛くなる。
この広い家に一人で居るのが寂しいと気付いたのはついさっきだ。
「早く帰ってこないかな」
そんな風に呟きテーブルに座ってテレビをつける。
あまり面白くないそれを見続けているともう23時だった。
テレビを消し自室へ向かう。
パジャマに着替え歯磨きをしに洗面所へと向かう。
しゃこしゃこと歯を磨き口を濯いでタオルで拭いていると、がちゃんと玄関が開く音。
思わずタオルを放り投げ飛び出すとそこには待ち焦がれたその人が居た。
「おかえりなさい」
そう言って近寄り鞄を受け取る。
「お土産」
はいっと渡された紙袋を持つと何やら重い。
中を覗くと粒の良いみかんがごろごろ十個ほど入っていた。
「わあ、みかんだ」
大好きなフルーツに笑顔を作る。
彼が先にリビングへ向かい後を追う。
ふわりと彼の後からお酒とタバコとトマトの香り。
え?と足を止めるがそんな様子に気付くことなく部屋へと入ってしまう。
お酒、飲んできたの?
そう思いながら、いやいや、彼の生活には彼の事情があると思い直して努めて明るく後を追った。
ソファでだらんと座っている彼にコートと上着を脱ぐように伝え、それらを受け取る。
「ご飯、要りませんよね?」
と訪ねるとテーブルを一瞥してから小さく頷く。
大分お酒を飲んだらしくほんのり顔が赤い。
コートと上着を椅子に掛けキッチンへと急ぐ。
コップに冷たいミネラルウォーターを注ぎ残りは冷蔵庫にしまって彼の元へ。
受け取りグビグビと喉を鳴らして飲み干すとコップを返してくる。
「大丈夫ですか?」
うんうんと頷きへらへらと笑う。
酔っぱらうとこんな風になるのかと観察しながらコップをテーブルまで持って行き紙袋からみかんを何個か取り出す。
つやつやと光オレンジ色の少し大きめなそれに笑みを浮かべ持ったまま彼を見る。
「立派なみかんですね、どなたからですか?お礼に何か買ってきましょうか」
そう声を掛けるとんーっと呟き大きく欠伸をした。
それからがしがしと頭を掻きめをしょぼしょぼさせながら言う。
「そうだねー、お菓子なんか良いかなぁ?千円くらいの。女の子だからね」
言葉に笑顔が凍り付きそうだった。
みかんが少し潰れるくらい自然に手に力が入る。
「オンナ……ノコ」
呟き紙袋にみかんを戻す。
うとうとし始めた彼の元へ行きどうしてか泣きそうになるのを堪えて声を掛けた。
「佐久間さん、駄目ですよ、こんなところで寝たら。風邪引いちゃいます」
うーんと目を開けそうだねーと腑抜けた声で答えると立ち上がり彼の部屋へと消えていった。
オンナノコ
女の子
言葉がぐわんぐわん頭の中に響く。
キッチンに行きラップを手に戻りテーブルの上のオムライスにそれを掛けて冷蔵庫へしまう。
どうせなら二人分と思いシンクの洗い桶に沈めたままだった自分の分の皿とカップを洗う。
すっと涙が頬を伝った。
声を出さないように押し殺してぽろぽろと泣く。
なんでこんな気持ちになるんだろう。
ただの同居人で雇い主で恩人なだけなのに。
居たたまれなくなりさっさと終わらせると部屋へと戻った。
ズキズキと頭が痛くて起きると明け方の4時で飲み過ぎたなあと起き上がる。
口の中がからからでスリッパ代わりのゴムのぽってり取した形のサンダルを履いてキッチンへと向かう。
廊下は思いの外寒くすっかり目が覚め冷蔵庫を開けミネラルウォーターのボトルを手に取る。
蓋が開いていてなかみがへっているので遠慮なくくちをじかにつけてごくごくと飲む。
ふと奥を見るとラップの掛かった皿があり手に取りめくってみるとオムライスだった。
奥の物はおにぎりで、彼女らしい几帳面な三角形をしている。
「昨日の夕飯と朝飯か?」
それを戻し冷蔵庫を閉める。
何だかすごく悪い事をした気分になって頭を掻く。
しかししてしまったことは事実だし時間を戻すことも出来ない。
後で謝ろうと思い風呂場へと向かった。
温くなった湯を沸かし直し沈むと残っていたアルコールも飛んでいくような気がする。
静かな風呂場で身体と髪を洗いまた沈んでいるとカタンと小さな音がする。
どうやら彼女が起きたようで時間を潰してから風呂場を後にした。
あれから何だか寝付けなくて少ししか寝て居らず欠伸をしながら朝食を作る。
わかめを水で戻し油揚げを一口大に切る。
あじの干物を焼き、山葵漬けを開けた。
さらにそれを先に盛りその側にあじを並べる。
まとめて茹でておいたほうれん草を冷蔵庫から取り出し俵型にしてからレンジで温め鰹節をかけた。
鍋に味噌を溶き粉末だしを入れる軽く混ぜる。
「手際が良いね」
急に声を掛けられ危うくお茶碗を落とすところだった。
滑ったそれを床に落とす前にキャッチしてほおっ息を吐く。
冷や汗を掻いたのは彼も一緒だったようで額を拭う仕草。
「びっくりした」
独り言のように呟くとごめんごめんと謝ってくれる。
それからキッチンに入ってきて冷蔵庫をおもむろに開ける。
昨日のオムライスを取り出して私に見せ頭を下げた。
「申し訳ない、せっかく用意してくれてたのに。今晩はこれで良いから笹川君は外食でもして」
ねっ、と同意を求められ首を振る。
そんなわけには行かない。
茶碗を作業台へと置きその皿を奪おうと手を伸ばすが避けられた。
「佐久間さんには美味しい物食べて貰いたいです」
そう告げると表情が強張る。
隙ありと皿を奪い後ろ手に隠す。
「だって」
だって?だって何だって言うんだろう。
上手い言葉が見つからなくて言葉が止まる。
そんな私を彼がじっと見つめている。
思わずその真っ直ぐ過ぎる視線に赤面し俯く。
「だって?」
低いそれでいて伸びのある綺麗な声が私を促す。
俯いたまま言葉を探しようやく見つけたのは無難な言葉だった。
「……友達で雇い主ですから」
顔を上げはっきりと告げると彼は笑って見せた。
その笑顔を見た瞬間にはっとする。
最初は分からなかったけれどこれは作り笑いだ。
営業、仕事用の顔だろう。
楽しいという雰囲気がこれっぽっちも感じられない。
「さて着替えて来るかな」
背を向け歩き出す彼に掛ける言葉も無く立ち尽くす。
いくら鈍い私にだって分かる。
佐久間さんは、どうしてそうだと肯定しなかったのだろう。




