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私とパソコンと彼

最近の日本にはハロウィンとかいう習慣があるらしい。

それはまぁ、ごく一部の人生を謳歌している人々がやっているみたいで、恋人の居ない私には全く無関係で、10月の最終日も、もちろん仕事をしてた。


「いらっしゃいませー」


とりあえず元気一杯に声を揃えて私をはじめ店員が言う声が店内に響く。

全国どこにでもあるチェーン店の喫茶店。

でも、喫茶店というにはおこがましいかも知れない。

なんせレジでオーダーを取ったらそのまま提供してお客様に運んでもらうシステムだからで、古き良き、純喫茶とは程遠い。


「アメリカン、Mサイズで」


その日によって変わるのだけれど、行列を作る時間もあれば暇な時間もある。

これはどこの飲食店もきっと同じ。

今日は割と暇な方で、5分ぶりに来たお客様に言われたとおりにオーダーを復唱し、くるりと後ろを向いてコーヒーマシンのボタンをぽちり。

数秒で出てくるコーヒーを汚れが無いか確認して提供する。


「お砂糖とミルクはこちらからお願いします」


笑顔でお釣りも返して、右手で私とお客様の間にある小さな籠に盛られたミルクと砂糖を示しながら案内したらこれで終わりだ。

競馬新聞持ってるオジサンとか買い物帰りの主婦さんとか、とにかく色んな年齢層のお客様が私の手からコーヒーやら紅茶やら、はたまたケーキセットなんかを受け取っては店の奥へと消えていった。



「涼ちゃん、上がっていいよ」


先輩の木下さんから声が掛かり全員に声をかけて軽く会釈をしてから、グラスを一つ持ち、バックヤードへ向かう。

出勤するとコーヒー一杯は無料で飲め、あとのフード系は2割引き。

貧乏この上ない私にはそれには手が伸びない。

無料のコーヒーだけをありがたく上がりで頂く事にしてアイスコーヒーを並なみなみとグラスに注ぎ、ミルクを2つ、ガムシロップを一つ入れた。

それを持ちながら店内の床を、ゴミなんか落ちてないかどうか確認しながら奥の喫煙席のそのまた奥の事務所へ向かった。


私はワープアだ。

就職氷河期に就職出来ずに終わってそのままだらだらと色んなバイトを掛け持ちし、最終的にここにたどり着いて、もう2年になる。

2年もやれば先輩面出来るから居心地が良いのかもしれない。

中には生きた化石と呼ばれる10年選手の先輩も居るので言うほどえばっては無いと思うのだけれど。


区切られた喫煙席のスペースに十分過ぎる程、充満した煙に眉をしかめそうになるのを抑え、足早に通り過ぎようとした時だった。

入れ違いにお帰りになるお客様が前方よりいらっしゃり、道を譲る。


「ありがとうございました」


会釈をしそのお客様を見送って歩き始めた時、たぶん、そのお客様が座ってたカウンターの下になにやらあるのを発見する。

コーヒーを一度カウンターへ置き、手を伸ばせば紙袋が指先に触れ、引張り出して手にするとずっしりと重い。


うへあ、と思わず言ってしまいそうになる。

忘れ物は本当に厄介だ。

お馴染みさんから一見さんまで来るので誰の物か見当も付かない。

紙袋の中を覗くと薄い灰色の光沢のある平たい物、たぶんノートパソコンと思われるそれが縦方向にすっぽりと入っていた。

紙袋の中身から目を離し、顔を上げ、カウンターに置いたアイスコーヒーは早くも氷が溶け始めグラスの上方は分離し始めている。

それにがっくりと肩を落とし、紙袋を手にしたまま、ひとつ、ふうっと小さくため息をついてグラスと紙袋を手に来た道を戻った。



「えぇっ、私がですか」


レジが空くのを待って、かくかくしかじかと事情を説明すると木下さんは上がった後に交番に届けろと私に告げた。

あまりにも簡単に頼まれているが、これは、勤務時間には含まれておらず、もちろんサビ残だ。

悪いわね、なんて気軽に言われて反論しようとした所で5名様ご来店。

慌てて、仕方無しレジの前を譲るが列は一向に途切れない。

ぼーっと突っ立っている私の方を、ちらちらと並ぶお客様から見られて居心地が悪くなり腹をくくることにした。



二回目となる道を通り、事務所の休憩用の小さなテーブルに座り、薄くなってしまったアイスコーヒーを飲み干し、ちらりと壁に掛かる丸い安っぽいプラスチックの時計を見てから立ち上がり、事務所の奥の更衣室へ入る。

この時期にはまだ早い少し厚めの、赤い編み地に模様編みの入ったニットを肌着代わりのキャミソールの上から被る。

デニムのミニのスカートを履いてよれていた黒タイツを少し直した。


崩れた前髪を壁に貼られた全身が映るほどの大きな鏡を見ながら整えて、ハンガーに掛かったウールの焦げ茶のショート丈の上着を羽織る。

更衣室を出てユニフォームを畳み、茶系の迷彩柄のリュックに入れてそれを背負い、上着のファスナーを閉め、薄いピンク色の毛が立った生地のマフラーを首にぐるぐる巻き首の後ろで一つ縛る。

一度しゃがんで事務所の入り口に脱いだままの作業靴をしまい、代わりに上着と同じような色のショートブーツを取り出して履く。


最後に100円均一の店で買った黒のロングバレッタを後頭部から外せば、背中の真ん中まである髪がぱらりと解ける。

バレッタを上着のポケットにしまいながら、片手でがしがしと、痒いわけでもないのに頭を何度か掻いてから、壁に立てかけて置いた紙袋を手に取った。


私の足には少し大きすぎるブーツをトントンと爪先で床を叩くことで調整する。


「めんどくさいなぁ」


俯き加減に呟くもマフラーに首元は埋まっていて息が掛かった部分とメガネの下が少し湿った。

顔を上げ事務所のドアを開けて外に出て、きちんとドアに鍵をかける。

客席を足早に通り抜け鍵を木下さんに返し、店外へと足を進める。

何時間もコーヒーの香ばしい香りに包まれた後だと、外気は少し臭い。

車の排気ガスや飲食店から漏れる臭い、それらから守るよう口にマフラーを指で上げてから駅を目指して歩き出す。


10月の最終日はまだそんなに寒くないらしく、周囲の人は長袖ではあるものの軽装だった。

寒がりというほどではないけれど、私は他の人よりはちょっと厚手の格好をしている。

自転車が停まり狭くなった歩道を、駅を挟んで反対側にある交番を目指し歩き出す。

そんなに重くないと思った紙袋もいざ歩き出すと手に食い込んでくる。

サイズの合っていない緩めのブーツの音を鳴らしてようやく交番へたどり着いた。


「すいませーん」


ガラスの引き戸を開けて声を掛けるも重厚な金属の扉の向こうから人が出てくる気配はない。


「えぇー……」


まさか、と思ったが、どうやらそのまさかだ。

居るはずのお巡りさんは善良な市民を守るためにパトロールに行ってしまったらしい。


「嘘だー」


机に紙袋を一度置き、目の前の白いどこにでもありそうな電話の受話器を取り耳に当てる。

誰も居ないときはこちらへ的なことが書いてあった、それは静かに呼び出し音は鳴るものの誰も出てはくれなかった。


こうなるともうため息しか出ない。

ここに居てもいつお巡りさんが戻ってくるか分からず、途方に暮れてしまうのはよく分かっていて、仕方なく手放すはずだった紙袋を持ち引き戸を開けた。

持って帰るわけにはいかないから、店に戻って置いてくる事しか出来そうにない。

仕事が終わってから、ここまで5分、中で5分、店に戻ってまた5分。

サビ残もいいとこだ。時給の四分の一を無駄にしてることになる。

それでも、やっぱり、この荷物を放り出すわけに行かないので来た道を歩き始めた。

行きも帰りもちっとも楽しい気分になんてなれなくて、来た道を半分ほど進んだ辺りで誰かとぶつかった。

その誰かにぶつかった瞬間、背の低い私はぶつかった反動で後ろに何歩か下がってしまう。


「わっ」


一人ならばいいが今日は大事な荷物があるのだと、倒れないように足を踏ん張って顔を上げるとダークグレーの高級だと一目で分かるアイロンがしっかり当てられたスーツが目に入る。


「申し訳ない」


低いそれでいて伸びのある綺麗な声は頭上から降ってきてもう少し頭を上げるとすらりと背の高いさわやかな顔をした美形が居た。

その芸能人みたいな容姿に目を奪われて瞬きを繰り返す。

ワックスで整えられた短めの髪は深い茶色で肌は健康的な肌色だ。

ただ、相当焦っていたようで額からは汗が流れている。


「あ、大丈夫です」


紙袋を持ち上げ中を確かめながらそう言うと彼はそれにむんずと手を伸ばしてきた。


「君が持ってたのか!」


声が弾んでまた降りかかりへ?とまた顔を上げれば、袋の取っ手を持っている私と、紙袋の下の方を掴んでいる彼。


「いや、これは」


その突然の相手の行動に慌ててぐいっと引っ張る。

しかし彼も負けじと引っ張り返し、二人の間で紙袋が真横になる。

駅前の歩道の真ん中で綱引きもとい紙袋引きをやっている私たちを通りすがる人は何事かと目を向けながら通り過ぎた。


「これはあの、違うんです」


何が起こっているのか、私の頭はいまだに理解出来ず、主語という物を付け忘れ彼の手から引ったくる。

けれど、あまりにも強く引きすぎてバランスを崩し地面に尻餅をつき、その場に背中からどさりと倒れこめば、視界がぐるりと回り、次に映った空はもうオレンジ色になっていた。

紙袋越しにそれを見て、ただ、ぼんやりと夕方なのだと思いながら、けれど、衝撃でも袋を離さなかった自分を自分で誉めて上げたいとも思ってしまった。


「だ、大丈夫?」


空を遮ったのは彼で、袋を離さない私の顔を覗き込み、こくこくと頷いて見せれば肩をそっと柔らかく掴んで上半身だけ起こしてくれた。

何だかものすごく恥ずかしくて顔が熱を帯びていく。


「で、あのね」


紙袋にまたも彼の手が掛かり子供に言い聞かせるように彼がニコリと作り笑いを浮かべた。


「これ、俺の、なの」


その言葉を聞いて私の頭の上には、もし見える人が居れば「はてなマーク」が浮かんだと思う。その次に「びっくりマーク」だ。


「え?え?」


さすがの私もそれは理解が出来て、混乱しているせいなのか紙袋を抱えていた手の力が弱まる。

するりと抜けそうなその隙に、それは彼の手に渡り、彼は中をさっと確かめた後に安堵した顔を浮かべて息を小さく吐いた。


「さっきの珈琲屋さんの店員さんでしょ?お店に行ったら君が持っていったって聞いて」


さっきまでの顔とは打って変わり、ごく自然な笑みを浮かべ、彼は立ち上がり手を伸ばしてくる。

思わず自然な流れでそれを掴むと、強い力で引っ張られ立たされた。


「……はぁ」


立たせて貰いお礼を言うのも忘れ頷けば、彼は私の手を離しながら今度は困ったように笑って言った。


「しかし何というか。責任感が強いんだね、笹川君」


どうして困った顔をしてるのかよりも、名前を何で知っているのかと問いたくなった瞬間に勤務中に名札を着けている事を思い出す。

名前まで知られて、店員だとも分かってしまっているのに、持ち主と引っ張りっこをしてしまった、それが、ただただ、恥ずかしくなり俯けば、彼はじゃあねと呟き、またつくり笑みを浮かべてから足早に去って行った。


私はそのダークグレーのスーツの裾とピカピカに磨き上げられた黒い革靴だけを真っ赤になりながら黒いアスファルトと共に見つめていた。



矛盾点があったので訂正いたしました。

申し訳ありません。

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