私と彼の一日目
とりあえずと外に出て一番近くのデパートへ向かう。
さすが都内、スーパーなんか無いらしい。
「ふえー高い」
ぽつりと呟くのは九階の生活雑貨のフロア。
まずは家政婦だからエプロンだろうと見に来たのだがあまりの値段にびっくりする。
それでも一枚はとにかく買わないとと無難な白い裾に共布でフリルがあしらわれた物を購入する。
次はベッド。
一番安いのを買って、佐久間さん宛ての郵便物から写した住所を書いて即日配送をお願いし、ついでに一番安いマットレスも買った。
とりあえず毛布はあのまま借りるとして、下の階に下りて洋服と下着を見繕う。
ブラジャーとショーツとキャミソールをセットで3個買い、無難なトップスを三枚、パンツとスカートを一枚ずつ。
さらに下って化粧品コーナー。
化粧水と乳液を買い両手にいっぱいになった所で一度家に戻る。
「はー」
息と共にここを使って良いよといわれた10畳の部屋に荷物を入れる。
何もないがらんとした部屋。
一応掃除機はかけたがこざっぱりしすぎている。
備え付けのちょっとした小部屋並に広いウォークインクローゼットに買ってきた五枚の服を掛け、袋に入れたまま下着を置く。
昨日から着っぱなしの服を脱いでいそいそと着替えるといくらかさっぱりした。
ぱたり、と、クローゼットのドアを閉め、疲れもあって、床に座り込み封筒の中身を見る。
あんなに厚みがあったそれは、もうだいぶ減ってしまった。
「あとは……」
そうだ、と思いついてコートを着てロビーへと向かった。
「こたつ、ですか」
コンシェルジュのお姉さんがそう呟き、確かにこの辺りでは売ってないですねと付け加えてくれる。
そうですよね、と、同意すると、んーっと少し悩んだ後に、ネットカフェの場所を教えてくれた。
通販はいかがでしょうかと、完璧な笑顔を浮かべながら。
30分500円の高級ネカフェでカタカタと文字を打つ。
量販店にアクセスしついでに布団と枕とプラスチックのクローゼットに入れる引き出しも頼んだ。
タイミングがよかったらしく明日には届くらしい。
「あーあ、ベッドもここで買えばよかった」
呟くも時すでに遅くパソコンの画面を落として立ち上がる。
とにもかくにも明日にはおこたとおこたの布団セットとその他もろもろが届くならそれで良い。
落とす前にみた時間はもう17時だった。
とりあえず食材を買わないと、とまたデパートへと戻った。
「ただいま」
声をかけてみるも返事は無くただ家の明かりは点いていた。
「笹川君?」
お風呂場やらキッチンやらを探すも居らず、リビングにも居ない。
自室かなと思いトントンと部屋まで来てノックをする。
しかし返事は無くて申し訳ないと思いながらもそっとドアを開けると真新しいベッドにシーツもかけずに横たわって貸した毛布に包まれて寝ていた。
確かにもう日付も変わっている。
「おやすみ」
聞こえていない相手にそう呟きリビングへ戻って鞄とコートを置く。
テーブルの上にはラップがされた食器がいくつも並んでいてひとつ外してみるとほうれん草のおひたしだった。
お行儀が悪いと思いながらそれをつまんで口に入れる。
きちんと出し醤油で味付けされたそれは美味しかった。
魚の煮付けとお味噌汁を温め、ご飯をよそってテーブルに着く。
いただきますと小さく言い食べ始める。
その脇には折られたままの夕刊があり食べながらちらちらと目を通す。
完食しシンクに食器を置いて寝室へ向かう。
スーツを脱ぎパジャマを持ってワイシャツとトランクスで風呂場へ行くと風呂が沸いた状態だった。
「なんか、新婚さんみたい」
自分で自然に呟いたそれに、にやけつつ体を沈めて息を吐く。
誰かと一緒に暮らすのは久しぶりだ。
実家に居た時は、周囲に人がいる事があまりにも当たり前で、けれど、ある時から、それが嫌で嫌でたまらなかったのに、こんなに心地良いなんて。
疲れからか湯船でウトウトしてしまい気がつけば夜中の2時も回っていて慌てて床に就いた。
朝方五時に目が覚めそっと毛布から抜け出る。
パジャマを買い忘れたので昨日の服装のままだ。
んーっと小さく伸びをしてヒールを履き部屋を出る。
まだ薄暗い中、フローリングの床に響くその音を聞きながら、あぁ、靴も買わないといけないなぁ、なんて思う。
雇い主である佐久間さんの睡眠を邪魔するのは、とっても忍びない、から。
廊下側から引き戸を静かに開いて、キッチンに入り畳んで置いておいたエプロンをかける。
シンクの中に食器が入っていること、それらすべてが無くなっている事に喜びを感じる。
水を出し洗剤を少しだけつけて、スポンジでこする。
シンクの隣には、立派な食器洗い機もあるのだがなんとなく勿体無くて使えず手洗いしている。
炊飯器を開け、中のお釜も洗いご飯を炊き、味噌汁を作る。
白菜を一口大に刻み油揚げを刻み、鍋に水と一緒に入れた。
油抜きをしていないがこれくらいなら気にならないはずだ。
冷蔵庫から無着色の淡い黄色の色をしたたくあんを切り小皿に盛る。
そうだ、そうだ、と、コーヒーメーカーに棚から出した珈琲豆と水をセットし電源を入れた。
そのうち沸騰してきた鍋を一度止め味噌を溶きいれ、淵が沸いてくるまで温める。
そうこうしている内にあっという間に6時半で、佐久間さんはいつも7時に起きるといっていた。
玄関まで行きポストから新聞を抜く。
広告を取り綺麗に四つ折りにしてテーブルの上へ。
閉めていたカーテンを開け、炊けたご飯をかき混ぜた。
食器を準備し、冷蔵庫から納豆を取り出す。
最後に卵を溶いて粉末ダシを入れて卵焼きを作った。
それらをすべてテーブルに並べる。
時計はもう7時を過ぎていた。
「あれ?」
廊下を覗くも誰も居ない。
仕方なく彼の寝室まで行きノックをする。
「佐久間さん?佐久間さん?もう七時です」
返事は無く、もう一度呼びかけたが結果は同じだった。
仕方なくノブを回しそっと中を覗く。
暗い室内でカーテンから光が漏れて大きなダブルベッドに眠る彼を映していた。
「佐久間さん?」
そっと近づきベッドに膝を乗せて体を揺する。
んっと小さく呻いたかと思えばまた布団を頭までかぶってしまう。
「遅刻しちゃいますよ」
ご飯も冷めちゃいますと付け加えて布団を剥ぎ取ると腕が伸びてきてあっという間に私は絡め取られた。
「きゃぁ」
小さく悲鳴を上げるもまだ寝ぼけている彼は離してくれない。
必死に抵抗しながら名前を呼ぶ。
「佐久間さん、佐久間さんっ」
うっすらと彼が目を開ける。
見上げるような形で私は彼の顔を見つめる。
「佐久間さん、朝ですって」
もう一度言うとにやりと笑って彼は私の額に口付けた。
顔がかーっと熱くなる。
やだ、もう、何寝ぼけてんの。
誰と間違えてるの。
「佐久間さん」
もう一度呼ぶとまた少しだけ目を開けて彼は信じられない事を言った。
すごく嬉しそうに甘えるように。
「礼って呼んでよ」
と。