私と彼
事のすべてを私の隣に座った佐久間さんに話すとひどく同情的な顔をしてくれた。
涙がぽろぽろこぼれる度にティッシュをくれてもう山となってテーブルに積まれている。
塵も積もればなんとやらだ。
「それは……その、お気の毒に」
自分の事でも無いのに肩を落とす彼を見て少しだけ気分が和らぐ。
「もう、行くところ無くて。佐久間さんの顔、浮かんで来て。ごめんなさい、迷惑ですよね。よく考えたら銀行のカードとかもあるからしばらくはどこかネットカフェにでも居ます」
そう言い頭を下げると彼は私の肩を掴んで顔を上げさせる。
表情が険しく怒っているように見えた。
「それはダメ、絶対に」
「でも行くところ無いですし」
「友達は?」
「みんな結婚してて」
「実家は?」
「嫌です。……お見合いさせられるから」
むぅと彼が呻く。
それでも肩を離してくれない。
「あの、そろそろお暇します」
彼が首を横に振った。
それからその手が私の両手を包み込むように取りはぁっと息を吐いて俯いた。
「火災保険は入るんだよね?」
「はい。いつ、いくらくらいかは、まだ分かりませんけど」
言いながら、もし、大した額じゃなかったらと、気分がまた沈んできてしまい、もう一度ため息をつけば、彼も同じように大きなため息をついた。
それから眉を寄せたままの顔を上げて私をまっすぐ見つめる。
「俺はね、君みたいな子がネカフェに一人で居るなんてとんでもないと思うんだよ」
「でも」
「危ないだろ?鍵だって掛からないし。何かあってからでは困るよ」
別に佐久間さんには関係ないのではと言い掛けるがやめる。
なんだか親とか兄とかみたいだ。
こんな風に出会ったばかりの私の心配をしてくれるなんて、本当に優しい人なんだと、そっと思う。
彼はそれからまた視線を外して息を吐く。
「だから、その」
次の言葉はこっちを見ないで小さく口ごもった。
何度も口を開いたり閉じたり。
続きが一向に出てこず、彼の背後の壁に掛けてある時計を見れば、もうナイトプランが始まっている。
シャワーが付いているネカフェは人気があるため、出遅れればすぐに、埋まってしまう。
それは困る、と、彼の手を振り解き立ち上がる。
「あの、帰りますっ」
ソファに置きっぱなしだったバッグを持ち頭を下げて振り返り、歩き出そうとして手を引かれた。
見ると佐久間さんが私の腕をしっかりと、少し力強く掴んでいる。
「佐久間さん」
「ここに居ろよっ」
彼と私は、それを同時に言った。
だから聞き取れなくて首を傾げた。
彼が私の腕を取ったまま立ち上がり、体の向きを変えさせて、正面からぐっと抱きしめる。
想像していたよりずっとしっかりとした太い腕の中にすっぽりと埋まる。
私の後頭部に暖かい吐息がゆっくりと掛かる。
え?え?何この漫画みたいな展開。
背中に回っている手がより強くなって佐久間さんの顔が耳元に下りてくる。
「そんな危ない所ダメだよ。ここに居ていいから」
晴天の霹靂ってこういう事?
何がどうしてそうなったのっと頭がぐるぐる回る。
返事が出来ずにいる私に彼が何かをぼそっと呟いた。
でも私はそれを聞き取れなくて、え?と尋ねると彼はようやく私を抱く手を緩めてくれた。
「俺と一緒じゃ嫌?」
さっきまでの佐久間さんはどこかに行ってしまって、もうそこにはいつもの佐久間さんしか居なかった。
そんな風に言われたらとてもありがたいけれど。
「でも」
と悩む私に彼が笑う。
「部屋余ってるんだよ。日中も夜もほとんど居ないし。家事でもやってくれれば俺も助かるし。部屋代も食費も要らないから、どうかな?もちろん、それなりに払うよ」
あぁ、そうか。
家政婦としてか、と納得して、それならばと思った。
確かにネカフェよりは安全だしお金も掛からないし。
「本当に良いんですか?」
見上げた彼が大きく頷く。
何度もそう尋ね、四度目くらいでようやく頭を下げた。
「ご迷惑をお掛けいたしますがよろしくお願いいたします」
ベッドをお借りする訳にはいきませんと、頑なに断られとりあえず俺のロングTシャツを貸して風呂に入れさせ、ピザを取って二人で平らげて、彼女はソファに毛布で寝ている。
そっと足音を立てぬよう裸足でリビングまで見に行くとすっかり寝ているようで寝息が聞こえた。
化粧を取ったすべすべの肌を、隣に膝をついて眺める。
あぁ、どうしよう。
俺、幸せすぎるかも。
彼女は不幸にあったというのにこんな事を思う自分に少し自己嫌悪する。
それでも、巡ってきたチャンスはビジネスと一緒で逃したくなかった。
そっと額に手を当てて撫でてやる。
眉をしかめていた顔が緩まり手をどかしてそこへそっと、口付けた。
「おはようございます」
ふあぁっと、欠伸混じりで寝ぼけて出てきた佐久間さんにそう声をかける。
するとパジャマで出てきた事を気にしたのか、一瞬、しまったという顔をしたものの、テーブルに並んだキッチンに残っていた食材で何とか作った朝食を見て目を丸くした。
「わ、すごいね」
彼にしては珍しく、少し弾んだ声を出し、パジャマのまま食卓に座るそこへ、そっと新聞を手渡す。
それから反対側に座りいただきますをして食べ始める。
白いご飯に、ふりかけ、インスタント味噌汁。
それになぜか冷凍されていた塩鮭というごくごく簡単な手抜きだ。
それでも美味しい美味しいと、おかわりまでしてくれた。
「じゃあ行ってくるから」
一度部屋に戻り、洗面所から出て、びしっとスーツを身にまとった彼が玄関へ向かう。
見送るために、とっとっと、と、玄関まで追いついた私に、彼はドアノブに手をかけた所で、そうだ、と、立ち止まり、鞄からごそごそと何かを取り出した。
「はい」
と乗せられたのは合鍵と茶封筒。
茶封筒は少し厚みがある。
合鍵を持ちその中身を見て驚く。
札束だ。
「え。だめですっ」
慌てて返そうすると、ふふっと少し楽しそうに笑いながら首を振り、内訳を話してくれた。
四十万の内、食費十万、その他五万、二十五万は私の火災保険の前借でこれで家具と服を買っていいよとの事だった。
でも、という私に、何もないと困るでしょうと言い残し彼は出て行った。
確かにそれはその通りでとりあえずそれをバッグにしまい、キッチンへ向かった。
食器を洗いながらとにかく要るものをリストアップしないとなんて考えた。