俺と彼女の家の火事
んーっと伸びをする。
彼女と別れてから酒井を呼び家まで帰ってきてもう2時間。
やっぱり今日もらうよと言ってロビーで受け取った手紙にようやく全て目を通し終えた。
プライベートから会社関連まで多種多様に渡るそれを分けて要らない物はシュレッダーにかけた。
マンションの部屋の内の一番小さいそこは書斎にしていて本棚に囲まれている。
入りきらなかった本は隅に積まれて埃をかぶっていた。
「風呂だなぁ」
終わった喜びから立ち上がり部屋を後にする。
電気を消し風呂場へ向かい浴槽に湯を貯めた。
大きいバスタブだから多少時間はかかる物の沸いたとの知らせに入浴剤を片手に素っ裸になって風呂へ入る。
乳白色のそれに浸かって手足を伸ばし天井を仰ぐ。
顔をばしゃばしゃと洗いはーっと息を吐いた。
「やっぱり日本の風呂はいいなぁ」
今度は温泉にでも誘ってみようかと考える。
また顔を赤くするかなぁとか、にやにやしながら。
まぁ、それもスケジュールが上手く空けばの話だ。
祐樹は何とか遣り繰りしてくれてるが現実は結構厳しい。
「もっと休みが欲しいなぁ」
ぼやきはぁっとため息を吐いた瞬間だった。
ピンポーンと小さくチャイムの音が聞こえる。
げっ、と内心舌打ちをする。
一度だけならスルーだなと鼻の下まで湯に潜る。
しかしそれは二度三度と鳴り響き、片手でがしがしと頭を掻いてから浴槽から出た。
バスタオルで軽く体を拭き厚手の白いバスローブを羽織る。
「はいはーい」
大声を出して答えながら裸足で玄関まで歩いた。
無用心だとは思うがリビングまで戻ってインターフォンを確認するのが面倒だった。
がちゃりと鍵とチェーンを外しドアを開けた瞬間、ばっと何かが突進して俺に抱きついた。
バランスを崩しかけてシューズボックスに掴まり何とか堪え文句を言おうと見下ろして驚愕する。
ドアの向こうでは女性のコンシェルジュが頭を下げている様子が閉まるドア越しに見えた。
「……さ、笹川君?」
駅まで向かう道すがらずっと泣いてて頭がぐわんぐわんした。
友達はみんな結婚してる。
押しかけるわけにも行かない。
両親になんてとても話せない。
地方に引き戻されてしまう。
今日は本当に楽しくてさっきまで楽しくて気分はうきうきしててもう、最高潮だった。
帰ったら乾麺のうどんを茹でて揚げ玉をたっぷり入れてたぬきうどんにしようと思ってた。
その後お気に入りの急須で取り寄せた自分へのご褒美の静岡の新茶の茎茶を開けて芋羊羹を半分食べようと思ってたんだ。
ゆっくりお風呂に入ってお肌のお手入れして、洗濯物も畳んで。
それなのに、もう、何一つ出来ない。
歩いている人が私を振り返る。
そんなに見ないでくれ。
可哀想なのは自分でも重々承知なんだからそんな風な顔をしないで。
気づけば改札を通って電車に乗っていた。
誰に頼ればいいのか分からなくって。
それなのに真っ先に浮かんだのはあの人だった。
今日電車で移動してよかったと思った。
おかげでこうしてマンションまではたどり着けた。
でも、部屋番号が分からない。
三つあるうちのどれかは間違いないんだけど。
頼りの綱の携帯は電池が切れた。
インターフォンの前で泣く私に声を掛けたのは昼間会ったコンシェルジュでとにかく中に入れてくれた。
まさか火事になったとは言えなくて佐久間さんに会いたいこと、財布を忘れたこと、彼の名刺を見せ、何とか信じて貰って、一緒に着いてくる事を条件に部屋までたどり着いた。
チャイムを一度鳴らしても一向に出てくる気配がない。
会社に行ったのだろうか。
もう一度鳴らす。
枯れたと思った涙が溢れる。
もう一度、これで最後にしますからと鳴らしたチャイム。
誰も出てこなくてファンデーションが付くのも構わず涙をコートで拭って泣き出しそうになった。
コンシェルジュのお姉さんが私の肩に手を置いてくれる。
その時、がちゃりとドアが開いて。
出てきた人物に飛びついた。
「うっぅわぁぁぁんっ!!」
名前を呼んだ瞬間、彼女が俺のローブにしがみ付いて大声で泣き始めた。
ちょ、ちょっと、待って、俺、下着すら履いてないんだけど。
「どうしたの?ね、落ち着いて」
出来るだけ優しくそう伝えるも泣き止まずわんわんと泣き続ける。
別れた時とまったく同じ格好で。
仕方なく抱きしめてぽんぽんと背中を叩く。
大体いつもの彼女ならこんな格好で出た俺を見たら赤面して後退りしそうなものなのに。
「……がっ……えてっ……し、もっ」
嗚咽に紛れて途切れ途切れに言葉が漏れる。
が、何を言ってるのかさっぱり分からない。
体を屈め様としても彼女ががっちりと俺に掴まっていてままならず。
「ちょっとごめんね」
そう言って彼女の腕の下に手をやりそっと抱き上げる。
思ったより軽い体にびっくりしながら子供を抱くようにしてそのままリビングへ向かう。
胸を掴んでいた手は首にしっかりと回り俺の肩に顔を埋めて泣いている。
そっとソファに下ろすと嫌々をするように首を振った。
屈んで目線を合わせる。
「笹川君、ちょっとだけ待っててくれる?俺ね、パンツ履いて無いから」
彼女がちょっと泣き止んで赤くなった。
よし、ちょっとは落ち着いてきたらしい。
急いで寝室へ向かいバスローブを脱いで下着を履き、ラフな部屋着、緩くなったチノパンと白いセーターを着て戻る。
すっかり泣き止んだらしい彼女はまだ鼻をぐすぐすやりながら時々しゃっくりを上げていた。
俺の姿を見て頭を下げる。
「すみません、取り乱して」
「いや、まぁ、大丈夫。驚いたけど。でもどうしたの?君らしくない」
また彼女の目が潤みぽろぽろと涙がこぼれた。