俺と彼女と初デート
「ご、ごめん」
ちょっと調子に乗りすぎたなと離れて謝ると彼女は首を振った。
それから心なしほんのりと、顔を赤くしたまま、俺の頭を見上げて心配そうに言う。
「あの、乾かさないと風邪引きますよ」
出てきた言葉は照れ隠しなのか、そうじゃないのか、吹き出しそうになるのを堪え、ただ、静かに、そうだねと同意し室内へと二人で戻る。
彼女にはソファに座ってて貰う事にしてテーブルにあった菓子鉢を応接セットの方へと移した。
「すぐに戻ってくるからよかったらどうぞ」
彼女が頷きそれに手を伸ばしたのを確認して洗面所へ戻る。
大きな鏡が三方に貼られたそこで髪を乾かしワックスを使ってセットする。
映る自分の姿がにやけている事に気づく。
こんな風に楽しいのは何年ぶりだろう。
大学時代からずっと会社を大きくすることしか考えてなくて、恋人は居ても居なくても一緒だった。
女は勝手に着いてきて勝手に居なくなる。
セットが終わるとドラム式の洗濯機に脱いだばかりの下着とワイシャツと靴下を放り込む。
あとは通いの家政婦がやってくれる。
ワックスで汚れた手を軽く流してから、最後にもう一度だけ鏡を見て、小さくうなずいてから洗面所を出て、足早にリビングダイニングへと戻った。
「お待たせ」
そう言って彼女に声をかければ、ぼんやりと部屋を見回していたその小さな頭は確実に俺の方を向いた。
彼女の前に置いた菓子鉢を見れば、綺麗に並べてあったはずのそれは減っていて、いくつか食べたようだがその包み紙が見当たらない。
「あれ、ごみは?」
「あ、ここです」
と、出してきたのはハンドバッグの中で、もう、ここまで育ちが良いと感服する。
「置いといてくれてよかったのに」
手を伸ばしそれらを受け取りダイニングの方にある引き戸を開けて中のキッチンのゴミ箱へそれを捨てた。
「いや、そういう訳には。汚れてしまいますから」
彼女が立ち上がり、てててっと歩いてきてキッチンを覗く。
「素敵なキッチンですね。大きくて広い。大きな冷蔵庫もある」
声が弾み、笑みを浮かべ俺を見上げてくる。
そんな顔されたらここで君が腕を奮ってくれるのを想像しちゃうじゃないか。
ワインとビーフシチューなんかでバタールなんか食べちゃって、二人で映画なんか見てさ。
それで。
「佐久間さん?」
声を掛けられてはっとする。
想像の世界に行き過ぎてた自分に慌てて引き戸を閉めた。
「あんまり使ってないんだよ。冷蔵庫なんか空っぽだし」
「そうなんですか、勿体無い」
仕事用のダークブラウンのコートの代わりに黒いダッフルコートを取ってきて羽織る。
彼女が部屋のすぐ外で待っていてくれておかげですぐに玄関から出れた。
一応、彼女に合うように服装を変えてきた。
「さて、どこに行こうか」
玄関を出て、鍵を閉め、当たり前のように手を取り、エレベーターに乗り、ロビーまで戻り外へ出てそう聞くと彼女は困った顔をした。
片手でバッグを握り締め俯く。
その姿を見ながら、小さく息を吐き、心の中で、俯いたらだめだって言ったのにと思ってしまう。
「手持ちがあまり無いので」
しばらくして、恥ずかしそうにぽつりと呟かれた言葉に、あぁっ、と、頷いてチノパンの後ろのポケットから財布を取り出し2万ほど渡す。
「ごめん、ごめん。言ってくれればよかったのに、タクシー代」
彼女はその内の一枚しか受け取らすもう一枚を無理矢理渡す。
どう考えても彼女の住んでる辺りから会社までは一万では足りない。
しかも深夜割り増し時間帯だったはずだ。
「こんなに受け取れません」
「でも、一万じゃ足りないでしょ」
「二万も掛かってないです」
「細かいの無いんだよ」
「じゃあ後で」
「良いから、仕事手伝ってくれたお礼にしてよ、残りは」
押し問答の上、福沢諭吉を彼女はようやく二人分財布に収めてくれたが、顔はまだ納得しておらず、何か言われる前に、と、一度離していた彼女の手を取る。
「歩いていくんですか」
俺が先に歩き出せば、彼女が歩きながら尋ねてきてうんっと頷く。
せっかくのデート、誰かに邪魔されてたまるか。
酒井は何も言わないが、めったにないのだから、二人きりになりたかった。
「たまには、ね。電車とかいいかなって」
あまり早くなりすぎないように彼女に歩調を合わせる。
歩道側を歩かせ駅までの人ごみに逆らうことなく向かう。
「どこ行きます?」
小学校の脇を抜けながら意外にも彼女がそう尋ねてきた。
体育の授業をいくつかのクラスがやっていて、きゃぁきゃぁと楽し気な声が辺りに響いている。
それにつられるように、笑みを零しながら彼女を見下ろし、口をひらいた。
「そうだね、どこがいいかな。なんか和って感じの所がいいかも」
海外に一ヶ月も居て都内はごみごみしているし、少しゆっくり出来てそれでいて日本だなぁと感じられる所を想像する。
「和、ですか」
歩きながら、ふむ、と彼女がすこし首を傾げて考え始めしばらくするとまた俺を見上げた。
「じゃあ、深川とか柴又とか浅草とかどうですか」
素直に有能だなぁと思う。
寺とか神社とかそういうのを想像しそうな物なのに、きちんと遊べる所まで付随した所を選んでくる。
「いいね、浅草にしよう」
そう答えるころには、目の前の駅に入っていった。
ここから浅草はそう遠くない。
二人で電車に揺られてそこを目指す。
車内でも他愛の無い話を小声で続けながら、盛り上がる。
それはすごく心地よくて、楽しくて、本当に、久しぶりに、俺は俺という存在を忘れていられるような気がした。
やばい、俺、結構、マジかもしれない。
ふと会話が途切れた小さな一瞬の間に、電車の窓から見える景色を横目で見てる彼女の横顔を見てそう思った。