俺と彼女とデザート
自身もよく利用するこのホテルは気に入っている場所のひとつだ。
海外からの客人を招いた時もここに宿泊して貰っている。
その気に入っている場所へ彼女を連れてきてよかったと思った。
彼女は美味しそうに今スクランブルエッグを食べている姿はものすごく幸せそうに見えた。
ホテルの中のレストランの一押しである焼きたてのロールパンにクロワッサン。
産地直送にこだわっている瑞々しいサラダもお気に召したようだ。
それにしてもと食べる手を止める。
顔を上げ、見ていることを気づかれないようそっと窺えば、彼女の所作が綺麗だった。
背を曲げることなく座り決して一口が多くない。
パンはきちんと千切り口に入れているしスープの皿を持ち上げる事もなかった。
レストランの奥の特別室は常連ではあるがこんな風にはあまり使わない。
二人きりになりたかったのもあるが、恐れていた。
テーブルマナーを知らずに周囲の客に笑われたらどうしようかと。
彼女はきっとひどく傷つくだろうと。
杞憂だったなぁと思い、フォークとナイフを置いて珈琲を飲む。
あらかた食べ終えた彼女が口元をナフキンで拭う頃にノックがされ、給仕長が入ってくる。
彼はお得意様の俺を見つけると他の人を寄越さず全部自分でやってくれる。
ワゴンには小さな銀の器が乗っている。
「お済でしたらお下げします」
小さく頷き彼が食器を下げ終わるのを待つ。
次いで小さな銀の器が各々の前に置かれる。
デザートのプリン。
銀色の花を模した器にちんまりと、あまり大きくないプリンが乗り、うっすらとこげ茶色のカラメルソースが側面に模様を描き、それの上にはクリームが絞られ、脇にはメロンと苺とオレンジが乗っている。
オレンジは手を汚さないように皮が剥いてあった。
彼女が息を飲み、口元が殊更嬉しそうに笑みを浮かべる。
「お飲み物は同じ物でよろしゅうございますか」
彼女の姿にこちらも満足げに笑みをひっそりと湛えた給仕長が穏やかに告げ、彼女が俺を見て頷き、それを受けて給仕長へと頷く。
「すぐにお持ち致します」
ワゴンを押して彼が去りドアが閉まると彼女がきらきらした笑顔を浮かべて俺を見た。
「すごく美味しそうですね。お食事もとても美味しかった」
「ここは一押しなんだ。喜んでもらえて嬉しいよ」
その笑顔に、君が喜ぶと、俺も嬉しいんだよと付け加えたくなる。
けれど、それはノックの音でさえぎられ、さっきと同じように給仕長が飲み物をカップを交換して淹れてくれた。
「ごゆっくりどうぞ」
彼が去りドアが静かに閉まれば、改めて彼女が俺を見る。
子供のように、にこにこと笑う彼女は今までで一番可愛い。
小さな体に小さな顔。
目鼻立ちも割りとしっかりしているので化粧栄えしている。
「本当にありがとうございます。こんな素敵な所に連れてきてくださって」
飾らずにごくごく自然に彼女の小さな唇から零れ出すさりげない謝辞の言葉に、どうしてそんな言葉遣いが出来るんだろうと、思う。
ただ、それを訪ねるべきなのか、まだ判断が出来ず、銀色の器が乗る白いプレートに添えられた小さなスプーンで、ぷるんっとしたプリンを掬う。
俯き加減に視線を落としたまま口に入れると卵の濃厚な味とバニラビーンズの香りが広がる。
「少し話をしようか」
二口目を掬いながら、結局、どうしても訪ねてみたいと思い直し、そう声を掛けると彼女は手を止めてスプーンを器に置いた。
「食べながらで構わないよ」
それに小さく頷き、彼女はまたスプーンを手にする。
彼女がプリンを食べるのを待って言葉を続ける。
「まずはさっきは悪かったね。あんな風に追い立てるように会社から出てきてしまって」
ごくりとプリンを飲み込んだ彼女が首を振った。
「実はね、俺の会社はノー残業を掲げてるんだ。その代わり早起きは三文の徳が信条でね。あの時間になると家の近い者は出社してくるんだよ。……ノー残業を掲げてるのに俺が徹夜で残業はまずいでしょう」
意外そうな顔をして彼女が頷く。
やはり手は止まったままでそれはもう諦めることにした。
「そう、だったんですか。てっきり私みたいなのと一緒に居るのが恥ずかしいのかと」
スプーンと揃いの小ぶりなフォークに持ち替え苺を取りながら彼女が言う。
「そうだったらここへ連れてきたりしないよ」
「それもそうですね」
彼女の口に真っ赤な苺が入っていく。
ちょうど良い時期のそれは、けれど、大きすぎず、彼女の口にすんなりと飲み込まれた。
「ちょっと失礼な事を聞くけどいいかな」
咀嚼をしながら彼女が頷きフォークを置いた。
「君は……その所謂、普通のお家の子だよね?」
怪訝そうな顔をしてから苺を飲み込み首を少し傾ける姿に、やはり、訪ねない方が良かったか、と、後悔が徐々に押し寄せるが、彼女は唇を舌で少し舐めてから口を開く。
「えっとお金持ちかどうかという話ですか?それなら普通です。父は農家兼サラリーマンでしたし、母も地元の出で父と結婚しましたから、元は農家ですし」
控えめに、けれど、適切な答えを言い終わると共に彼女の表情が曇る。
怒らせたかと、こちらは安堵しているのだから、まるで、反対のそのまま、彼女は顎に手をやりなにやら考え込む。
「何か失態を犯しましたか」
しばらく、手をやったまま心配そうに俺を見つめてそう尋ねてこられ、慌てて首を振った。
「まさか。その逆だよ。あまりにもきちんとしているから何処かのお嬢さんかと」
慌てて否定をすれば、ぼんっと音でも立てそうな勢いで、彼女の顔が赤くなる。
それから、ふっと、恥ずかしそうに俺から目を逸らしまた俯いた。
「そんな事ありません」
「そうかな。大丈夫だよ。あと失礼だけどご結婚や恋人は?こんな風に連れ回して大丈夫だった?」
首を大きく振って彼女が答える。
「もうずいぶんと恋人なんて居ません。モテないんですよ、私」
赤いまま笑った彼女がもうそりゃ可愛くて可愛くて、おじさん、辛抱溜まらん状態だ。
いや、そんな年でもないけど。
「そうは見えないけどなぁ、ナンパみたいだけどさ、いくつ?」
「そんなストレートに女性に年齢聞かないでくださいよ。……24です」
「まだ若いじゃない。俺、29。来年三十路だよ」
ははっと笑うと彼女は目を見開いた。
「社長さんだからもっと年なのかと思ってました」
「え、そんなに老け込んでる?」
「いえいえ、そんな事は」
「笹川君こそもっと若いかと思ったよ、肌なんかつやつやだし」
「佐久間さん、それセクハラですよ」
いつの間にかお互いプリンも飲み物も終わり、ただ、まるで昔からの見知りの仲だったように、楽しい歓談を続けていた。
彼女はナフキンを丸めてテーブルに置いており、まぁ、何から何まで、本当にそういう家の出じゃないとしたらそれはもうすごいなぁと思う。
話題が尽き一瞬間が空く。
彼女が何も無くなった器を見つめている。
「そろそろ行こうか」
立ち上がると彼女が頷き、けれど、その前にお化粧をとの、少し恥ずかしそうな申し出に、どうぞどうぞとトイレの場所を教えてドアを出て行く姿を見送った。