涙の落ち方
クラスにいまいちよく分からない女子がいる。
深山秋穂。
まあまあ可愛いのに友達が少ない。
性格が悪いとかじゃなくて、不思議ちゃんなんだそうだ。
でもまあコミニュケーションが取れないわけじゃないから、割とお世話係というなの弄る係がいつも付いてて何だか楽しそうに見える。
気だるい金曜日の7時間目。
明日は休みだという期待と、伸びきった緊張感が修二はなんだか好きだが今日ばかりは違った。
絵を書くことが嫌いな修二はもちろん美術も嫌いだ。
毎回美術の時間は左右前後の友人と喋って一限が終わるから、全くと言っていいほど課題が進んでおらず今日、居残って課題を仕上げなければならないのだ。
課題はデッサン。
修二が嫌いな美術の中でも最も嫌とするジャンル。
「あーサボって帰ろっかなあ…」
教室の背もたれに体を預けて伸びをする。ギィと椅子が軋んだ。
すると背後から
「サボりはいけねーぜー?立岡さんよ。」とヘラヘラ笑いながらクラスメイトの日裏が机に座った。
「今日俺バイトだから付き合ってあげらんないけど、美術がんばんなよ。」と日裏が話したいことを話すだけ話したら、デコを小突いて「お先にー」と帰っていったた。
「しゃーねーなぁ…単位やべーもんなぁ…留年はしたくないし…」
自分に仕方ないからと言い訳をしまくって、重い足を美術室へと引きずって行った。
*****
「失礼しまーす。」
古い木の戸を開けると、木材やら絵の具の混ざった甘酸っぱいような匂いが広がった。
誰もいねーのかな。そう思って教室を見渡すと一人、ボブショートの女子が机4つ分くらいの大きなキャンバスに何かを書いていた。
戸を閉めると、その重い音に気がついたのか女子が振り返った。
「…あ、立岡くん。」
普段あまり話さない女子と話すと緊張する。ギクっとなって言い訳のような言葉が出た。
「あ、いや。美術の課題がまだ…終ってなくって…それでその。」
「あ、そうなんだ。頑張ってね。」
深山はそういい終わると、大きな巨大キャンパスに向きなおした。
何かを言いたかったわけでもないが、振り返った割りにあっさりと返され、何かを期待してたわけでもないが何か男子として少し釈然としなかったが仕方なしに隣に座って修二も画用紙と鉛筆を持ってみた。
目の前にはピーマン、バナナ、マイタケ。
書けない…書けねー。なんだこれ、美術ってワンダフルだなこりゃ。
なんだ美術って。
ああ。俺早く書きゃなきゃ。
うんうん悩んで、野菜を書き始めるけど影が着けられない。
フルーツのバナナも、これではただのふにゃふにゃしたUMAだ。
気分転換に外の空気でも吸いに行こうと立ち上がったとき、椅子から乗り出す形ですぐ真横に深山の顔があることに気がついてギョッとした。
「絵、描けないの…?」
黒目がちな目をこちらに向けたまま真顔で聞いてくる深山。
「まあ。どうやって書いていいのか分からないんだ。」
「ふうん。」と呟いた深山はなんだか言いたげに俺が書いたふにゃふにゃしたバナナを見つめて突然、『書く』『描く』『画く』と画用紙に薄く書いてしゃべりだした。
「もともとこの3つの言葉は『掻く』だったんだって。昔々に石とか木とか土に引っ掻いて文字とか絵を痕つけてたから『掻く』なんだって。それが『書く』とか『描く』とか『画く』になっただけだから、立岡くん、そんなに力まなくたって、字書くみたいに力抜いてていいんだと思うよ?」
机の縁に両手を掛けて大きな二重でこちらを見てくる深山。
「俺、そんなに力んでた?」
「うん。がっちがち。」と深山は肩を上げて修二の真似をした。
彼女のそんな軽い指摘が、今更ながら自分が鉛筆を握る手に力が入ってたことに気付く。
「思ったとおりに描けばいい。」ぽそっと深山が小さな声で呟いた。
思ったとおりに描けないから俺困ってんだけど。そう思ったけど口には出さなかった。
黙って聞いていると、深山はまたもぽそぽそとデッサンについて語り始めた。
「モチーフは実物大より少し大きめに描くといいんだよ」
「光の方向はひとつ。絶対に。」
「位置をハッキリさせる構図にしたらいいんだって。」
深山の声は軽くて、なんだか聞いてるのが楽しかったから、ついついそれに従っていたら。
「おっしゃバナナできたどー!」
手に画用紙をかかげて叫ぶ。
こんなに美味しそうなバナナを描けたのは生まれて初めてだと思う。
「ありがと、深山。深山ありがと!アンタのお陰だ!これで単位を落とさなくて済むー!」
すると深山は顔を赤らめて、うつむいて「どういたしまして」と少し笑った。
振り返ると大きなキャンバスがあって、下書き段階の絵だけでも上手いことが伺える絵だった。
「深山は、あんな大きなキャンバスに何書いてんの?」
純粋に何を書いているのか興味を持って聞いてみると、深山は少しためらってから「涙」と答えた。
「涙?」
「うん。なんの本で読んだか忘れちゃったんだけど、宇宙で涙を流しても、宇宙は無重力だから涙は頬を伝わらないんだって。その本では凄く悲しいお話だったんだけど。私さ、なんか流れない涙ってなんか凄いな、いいな。って思って。
あたし、泣き虫だから、ただただ下に落ちるんじゃなくて上に上がるなら、泣くのもいいかなって」
深山は乗り出した体を元に戻していて、「なんか恥ずかしい」と顔を手で覆っている。
「深山って凄え。」
芸術家だな、と修二は思った。
宇宙じゃ涙は頬を伝わらない。なんて本で読むと一行だけなのに、その一行でこれだけのことを考えることが出来る深山は綺麗だし、ゲイジュツカだと思った。
深山は凄い。深山は可愛い。深山のことをもっと側で見ていたい。
今日初めて話したにも等しくて、今日も数回言葉を交わしただけだけど――――
「深山。」
まだ手で顔を隠している深山に声をかける。
「何?」
指と指の間を開けて視線だけをこちらにチラリと見せて問う。
「深山、俺、お前に、惚れた。」
つい3分前まで多分そんなことは考えてなかったし、言おうともしなかった。けど口から「沢山の好き」がこぼれた。
「ごめ、どういう意「俺が深山を愛してます」
「何度でも言う。俺は深山が好きです。」
深山の言葉をさえぎってまで「好きだ」「愛してる」なんていう自分のほうが恥ずかしい。
二人で顔を隠して黙っている。
何も音がなくて、放課後の色んな部活が練習してる音がやけに耳に付く。
すると深山が静寂を破って聞き取れないくらい小さな声で何かを呟いた。
「え?」と聞き返しても小さな呟きしか聞こえない。もう一度「え?」と聞き返すと
「ええい、何回も言わせるな、立岡修二!!あたしもっ、立岡修二が1年んときから好きでした―――――っ!!!」
「あ、あたし。根性悪で綺麗とか言われたことなくって、サプライズに弱くって。でも!前から立岡くんがバスケしてるとこ体育とかで見てて、友達に毎日囲まれてて、羨ましい、キラキラしてるって思ってて。だから今日声をかけました。役に立ちたくって。だから好きです!立岡くん。あたしと、付き合ってください!こんな根性悪だけど、あたしでよかったら、付き合ってください!」
一息に吐くだけの言葉を吐くと深山は机につっぷした。相変わらず顔だけはこちらに向けて。
もう無理だと思って、「ごめん、無理行って」って行ってそのまま立ち去ろう、もう話しかけないで置こうと思ってたら叫ばれた。
深山らしくない。でもいきなり叫んで、またその後恥ずかしくなって机につっぷしてる深山は可愛かった。
多分、今の俺はアドレナリンだか恋愛麻薬でとてつもなく深山が可愛く見えてる。
でも何十年たってもこの恋愛麻薬は切れないと断言できる自身が今の俺にはある。
「好きだった…。好きだったから今日も声かけた。好きじゃなかったら声なんてかけない。
下心があったから声かけたんだ。よかった。ほんとよかったよぉ…」
深山がボロボロ涙を落として修二の体に体当たりする。
修二は泣きじゃくる深山の頭を「はいはい。」とひとつ小さなため息ついてなで続けた。
深山はまだ修二にべったり抱きついている。
頭ひとつぶん違う彼女を大切にしようと思った。
下がる方と上がる方。
涙の落ち方には種類があるけれど。
自分いる間、どうせ泣かせるのなら彼女の言う「上がるほう」に泣いて欲しいなと思った。