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1話 空飛ぶクジラ

――もう、限界だった。


 教室の空気が重い。

 笑い声が、自分に向けられているのが分かる。


 高橋涼太は、机に視線を落とした。


 そこには、見慣れた落書きがあった。


『消えろ』

『キモい』

『なんで生きてんの?』


 爪で削っても、消しゴムで擦っても、また書かれる。


 昨日は教科書を破られた。

 一昨日は靴をゴミ箱に突っ込まれた。


 それだけじゃない。


 シャツの背中に残る、赤く歪んだ痕。

 ――熱湯をかけられた火傷の跡だった。


「うわ、まだ残ってんじゃんそれ」


 背後から笑い声。


 無意識に体が強張る。


 逃げようとした腕を掴まれ、そのまま床に叩きつけられる。


「おい、こいつまた逃げようとしてるぞ」


 腹を蹴られる。

 息が詰まる。


 声が出ない。


 抵抗すれば、もっと酷くなることを知っているから。


 ただ、耐えるしかない。


 昼休み。


 トイレに呼び出された。


 嫌な予感はしていた。


「ほら、顔洗えよ」


 そう言われて、頭を掴まれる。


「やめ――」


 言い終わる前に、視界が水で埋まった。


 便器の中。


 汚れた水の匂いが鼻に入り込む。


 必死に息をしようとして、水を飲む。


 苦しい。


 怖い。


 でも――


「ほら、もっと綺麗にしろよ」


 笑い声が響く。


 最初は、怒っていた。


 次は、悲しくなった。


 そして――何も感じなくなった。


 気づけば、涼太の中には“別の自分”がいた。


 怒る自分。

 泣く自分。

 全部を受け止める自分。


 それぞれが、役割のように感情を引き受けていた。


 そうしなければ、壊れてしまうから。


 でも。


「……もう、いいや」


放課後の屋上。

 誰もいない場所で、涼太はフェンスの前に立っていた。


 風が、やけに心地いい。


 ここから飛べば、全部終わる。


 苦しみも、痛みも、全部。


 ――解放される。


 涼太は、ゆっくりと一歩を踏み出した。


 意識が途切れ――


 次に目を覚ましたとき。


 そこは、知らない場所だった。


「……え?」


 柔らかい草の感触。

 頬に触れる風。

 土と緑の匂い。


 ゆっくりと体を起こし、周囲を見渡す。


 どこまでも続く草原。


 そして――


 空を、巨大なクジラが泳いでいた。


「……は?」


 理解が追いつかない。


 あり得ない光景。

 だが、夢にしては妙に現実的だった。


 頬をつねる。痛い。


「……マジかよ」


 思わず、笑いがこぼれる。


「これ……異世界ってやつか?」


 胸の奥が、少しだけ軽くなる。


 これまで、現実から逃げるようにアニメや漫画などで見ていた空想上の物語。


現実でそんなことあるはずがないことは小学生でもわかる。


 しかし、今目の前に見えているのは空想上のだと思っていた“異世界”。


 もしここが本当にそうなら――


「……やり直せるのか」


 ぽつりと、言葉が漏れた。


 あの地獄みたいな日々を、全部忘れて。


 新しく生きることができるのなら。


 ――それでいい。


 涼太は、ゆっくりと立ち上がった。


「とりあえず……人がいる場所、探すか」


 何も分からないまま、歩き出す。


 草をかき分けながら進むと、やがて遠くに何かが見えた。


「……あれって」


 木でできた建物。

 煙が上がっている。


 間違いない――人の住む場所だ。


「助かった……」


 小さく息を吐き、涼太はその方向へと歩き出した。


 このときはまだ、知らなかった。


 この世界が――

 自分が思っているより、ずっと“くすんでいる”ことを。


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