小さな婦人
楽しんでいただければ幸いです。
彼女との出会いは些細なことで、私はランチに喫茶店のピザトーストを食べようか、それともパンケーキを食べようか悩んでいた時だった。
「もし。」
背後から声がした。振り返ると私よりも頭一つ分背の低い、穏やかな笑みを浮かべたご婦人が立っていた。ベロア生地の深いワイン色のワンピースに、可愛らしいオフホワイトのボレロを羽織っていた。手には少し大きめの鞄が握られている。
「この喫茶店に入られるの?」
「…ええ、そうですね。ピザトーストかパンケーキか悩んでいて。」
私は急な出来事にひどく弱い。聞かれてもない事をつらつらと話してしまう癖が出た。ご婦人はそう、そう、と頷くとピザトーストを指さした。
「私はピザトーストが良いと思うわ。チーズたっぷりで美味しそうですから。」
「私もそう思います。ピザトーストにしよう。」
「じゃあお店に入らないとね。ご一緒してもいいかしら?」
このご時世、知らない人に話しかけられたら詐欺だと思えとは言われているが、不思議とこのご婦人はその手の人ではないように見えた。私が首を縦に振れば、ニコニコと喫茶店に入っていった。私も後に続いた。
「二人でお願いします。」
ご婦人がそう言えば、少し広い席に通された。そう言えば、名前も知らない人だったと思い、自身の名を名乗ろうとすれば、ご婦人ははっとしてから恥ずかしそうに笑った。
「本当の名前だと面白味に欠けますから、ハンドルネームを使いましょう。私はノエルにするわね。」
「ノエルさんですか。では…私は、カエルにします。」
「あら、カエルさん?良い名前ね。」
その後、店員を呼び、二人分のピザトーストとブレンドコーヒーを頼んだ。ノエルさんに、何故私に声をかけたのか疑問を伝えた。
「ノエルさん、何故私に声をかけたんですか?」
「貴方が一番、親切そうだったから。喫茶店って、今の若い人は気軽に一人で入られるけれど、私くらいの年代だとね、女が一人で入るなんて!って言われていたのよ。」
そういえば、私の祖母も一人では外食に行かない人だった。もう亡くなっているが、最後のお願いが「一人でブラックコーヒーが飲みたい」だった。
「私の祖母も一人では家で食べる人でした。私が外食に誘うといつも嬉しそうにしていて、特にコーヒーが好きだったのですが、胃に悪いからとカフェオレをよく飲んでいました。」
「あら、カエルさん、良いことをしたわね。貴方のお祖母様はきっと感謝しているわよ。外食ってお金もかかるから、お祖母様は中々行く勇気が出なかったと思うわ。孫から言われたら大手を振って行けるもの、ふふ。」
ブレンドコーヒーにミルクを入れて口に運んだノエルさんを横目に、少し涙目になった目を乾かした。それからもノエルさんのことを聞こうとすると、私のことを話してしまって、彼女についてわかったのはご近所には久々に来られたということだけだった。
ピザトーストが届いた頃には、すっかりノエルさんに心を開いてしまった。小さな口でゆっくりピザトーストを楽しむノエルさんの真似をした。食べている間も、最近の映画や小説などを話せば、打てば響くように面白い話が出てきて、私はすっかりノエルさんの虜になっていた。老人特有の少し頑固なところは、彼女には見受けられなかった。コーヒーがなくなった時には、ノエルさんは帰り支度をしていた。
「貴方のお話、とても楽しかったわ。久々に頬が痛くなってしまったもの、お話し上手ね。」
「いえ、こちらこそありがとうございました。私もとても楽しかったです。」
「料金は割り勘でいいかしら?あいにく手持ちが少ないの。本当は奢ってあげたいのだけれど。」
「気にしないでください。私はノエルさんとお話できて本当に楽しかったので。」
ノエルさんと喫茶店を出て、別れた。一期一会とはこういうものなのだろう。彼女とはこれっきりなのだと思うと少し寂しいが、このくらいが丁度いい。
後日、ニュースで喫茶店の近所の住宅で、七十代の男性が頭をハンマーで強打され亡くなっていたのが見つかった。妻は寝室で寝ていた為、殺されなかったとのこと。




