第五十三話 小さな決意
三十四歳の若さで僧正となり、次期聖雅院院主の地位を半ば約束されている道明僧正。
彼がこの東山城に滞在する理由はひとえに殿の就任祝いをするためということだった。
酷い人だ。
ずっと一緒にいられるわけではないことは、薄々気づいていた。
けれど彼の優しさは、まるで永遠なのではないかという錯覚を起こさせる。
手放す事が分かっていたのなら、なぜ私を捕らえたのか。最初から触れないでいてくれたのなら、こんなに絶望的な思いもしなくて済んだのに。
「そなたが、殿からの側室の件を断っていなければ」と、私に責任を押し付けてくる本当に酷い人。
でも、今更引き返す事なんてできなかった。
「そなたが私を受け入れてくれたゆえ、触れようと思ったのだ」
そう口にする彼が、泣きそうな顔をしていたから。
聖女の私にできること。それは万能な力なんかではなく、ちっぽけで限りのあるものだった。
だけど、そのちっぽけを積み上げていけば、いつかこの世界を少しだけ変えられるんじゃないかと思った。
そして、この人のことも、救い上げてあげたいと、そう思った。
「姫様、朝でございます!」
お美代さんの声で目が覚める。
僧正様は夜明けとともに部屋を出ていて、残り香だけがそこにあった。
「お美代さんおはよう!」
今日も元気なお美代さんが障子を開け放つと、朝日が目に染みた。
新しい一日だ。
昨夜の想いを胸に誓い、「頑張ろう」と小さく呟いた。
お美代さんと一緒に朝食を食べ、着替えて、護衛の人を引き連れながら出勤する。
聖女として頑張ろうとは誓ったが、ひとまずは地道に医療所でお仕事していくしかないのが現実だ。
「おはようございます!」
元気に挨拶をして医療所に入ると、すでに出勤していた先生方がみんな笑顔で挨拶を返してくれる。
最初のあの不審者を見る目に比べれば天と地ほどの差もある反応に、ちゃんと積み上がっているものがあると安堵を覚えた。
掃除が終わると朝の集会。
泊り患者についてや薬の在庫、仕事の割り振りの指示。私は例によって例のごとく木村先生のお手伝い係だ。
そして、木村先生の診察室で見慣れてきた治療セットの確認をしていた時だった。
「昨晩は、驚きました」
先生の言葉に、そうだったとあのサプライズお披露目会を思い出す。
夜、僧正様の話を聞いてしまいそのことばかり考えていたが、先生からすれば突然城の晩餐に呼び出されてあんな話を聞かされたのだ、そりゃあ驚いただろう。
「ですよね・・・」
私だってあれは驚いたのだ。
複雑な思いから、何とも言えない表情をしてしまう。
木村先生は困ったような笑みを浮かべながら、ポンポンと頭を撫でてくれた。
「私は、いつでもあなた方の味方です。困ったときは頼ってください」
医師として尊敬する先生からの言葉は、何よりも力強い支えになった。
順調に午前の診察が終わり、昼食の時間。
私のやる気を感じ取った木村先生が次々と患者さんを任せてくれるので、すごく達成感を感じていた。
ちなみに、また力が増強していたらどうしようかと懸念していたが、今日は昨日とほとんど変わらず、原因がアレであったのかどうかは不明なままだ。
「聖女ちゃん、ここ座りなよここ」
すでに昼食を食べ始めていた幸太郎先生が自分の隣を示していたが、無視して園田先生の隣に座る。
昼食はわりとばらばらな時間にとるので、こんな風に三人しかいないというのも珍しくない。
木村先生は出先でとるからと出かけて行かれたので、園田先生を防波堤に使わせてもらうことにした。
「はい、どうぞ」
「ありがとうございます」
席に着くとすかさず御年六十くらいという幸二おじいちゃん、通称「ゆきじぃ」がお昼ご飯を出してくれる。自分の正確な年齢は分からないのに針灸の腕は随一という変わったおじいちゃんだ。
「俺もしかして嫌われてる・・・?」
幸太郎先生が芝居がかった仕草で落ち込んでいる。やっぱりどう見ても医師には見えない。
無視して食事を続けるといつの間にか復活してたので、彼の扱いはこれで正解なのかもしれない。
「午後は、私と往診に行こう」
ご飯を食べ終えた園田先生が、こちらを見て言った。
往診は備品も限られるし、何かあった時の木村先生頼みもできない。馬にも乗らないといけないため、私が往診に加わるのはまだまだ先の予定だったはずだ。
どういう意図かと見つめ返した園田先生の目には、優しさの色があふれていた。
そうか、木村先生と同じだ。
お父さんのように、いつも親身になってくれる園田先生。彼が私の将来のことを考えてくれての提案なのだと、すぐに理解した。




