第三十五話 宴の始まり
宴は、殿のお住まいである本丸の大広間を会場にしていた。
この日のために用意した沢山の膳に、これまたこの日のために用意した豪華な食事。お酒も大量にあったので、昼からの酒盛りになるのだろう。
ひとつ高くなった席に殿、ご正室様、菊千代様が並び、その正面にはお城で働く人たちや街に住むお偉いさんが偉い順に並んでいる。
医療所の面々はそこそこ前の位置で、何故か締め切った障子に背を向けて並んでいた。
「このような場では気が大きくなり、万一のこともありますゆえ」と木村先生が言っていたが、飲み過ぎ食べ過ぎ乱闘の際の治療班ということなのだろう。
面々とは言うが、もちろん全員では無い。
木村先生、園田先生、私、隣は信介先生と言ったか。その向こうには郷広先生も座っていたが、彼はお偉いさんの多さにひたすら恐縮している。
それ以外の人は医療所で通常勤務だ。残り物をもらえたらお土産にしてあげようと思っている。
「みな、よく集まってくれた」
殿の挨拶が始まる。
「遅くなってしもうたが、ワシの着任に際しみなをねぎらう場を設けた。心ゆくまで楽しむが良い」
会場からワァと歓声が上がる。真面目そうなお偉いさんが多いが、おじさん方はみんな宴会が好きらしい。
「さっそく乾杯といきたいところじゃが、その前に軽く紹介しておこう」
何故か、全体を見渡していたはずの殿と目が合った。
そしてその口元に、ニィとイタズラな笑みが浮かんだ。
まずい。これは無茶振りをされる時のやつだ。
「噂を聞く者も多かろう、ワシの医療所にて助力いただいておる聖女殿じゃ」
殿が手にした扇子で私を示すと、数十対の目が一斉に私の方を向いた。
ひぃぃ!やめて、本気でやめて・・・!
内心で悲鳴を上げつつ反射的に笑みを浮かべたが、かなり引きつっていた自信があった。
殿はいつもこんな光景を見ているのかと少し尊敬してしまう。
「聖女の業はワシも認めておる故、何かあれば頼るが良い」
視線から逃げるように深々と頭を下げるが、それでも頭頂部ら辺に突き刺さってるのを感じる。下げながら早く次の話題へ行って欲しいと切実に思っていた。
そんな中、ふと、横目に信介先生と目が合う。憎々しげな表情がこちらを向いていた気がしたが顔をそらされてしまった。
目立ちたがり屋なのだろうか?心を読めば分かることではあったが、さすがに同僚にこの力を使う気にはなれなかった。
「乾杯!」
殿の声に答えるように野太い「乾杯」の声が次々と上がる。
助かったと安堵の気持ちから、信介先生の表情のことはすぐに忘れてしまって。
そうして、賑やかな宴が始まったのだ。
宴の開始から体感で三十分は経っただろうか。乾杯をしたはいいが、私はお茶のひとつにも手をつけないでいた。
ちなみに、医療所メンバーにはお酒は出ていないが、それ以外の食事はお偉方と一緒だ。
「具合が悪いのか?」
隣に座る園田先生が気づいて声をかけてくれる。
「大丈夫です」と答えはしたが、本当は大丈夫ではない。
この、聖女然とした格好をするために、朝から朝食も食べずに準備をしていたのだ。
私は、激しくお腹が空いているのだ・・・!
先程からずっとお腹が悲鳴を上げているのにも関わらず、誰かさんのせいでお預けを食らっているのだ!
美味しそうな肉料理の匂いが、腹ペコな私の鼻をくすぐり、ゴクリと唾を飲み込む。
会場を挟んで向かいの端。廊下近くに設けられた僧正様の席らしき所に、彼はいなかった。
いないことも相まって、私だけが何故こんなにもひもじい思いをしなければならないのかと怒りさえも湧いてくる。
そんな時だった。
私の怒りの原因、僧正様が若いお坊様を伴いながら早足で現れたのは。
「殿、お食事をお召し上がりになられてはなりませぬ!」
彼の鋭い声に、賑やかだった宴の場が一気に騒然とする。
中には不快感を隠さない者もいた。
「道明僧正、殿のご前ですぞ」
不愉快そうな重鎮の一人が食ってかかるが、彼はその重鎮が見えていないかのように殿の方を向いていた。
「料理番の一人が自白いたしました。毒が盛られておりまする」




