赤い庭
血の匂いが濃く漂っていた。
息を吸うたびに、肺の奥深くまで
腐敗していく臭いが染み込んだ。
単なる悪臭ではない。肉が裂かれ、
血が固まり、肉が死へと向かう過程そのもの。
空気さえ血に濡れたかのようにねっとりしていて、
喉元を流れるたびに、自然と顔が歪んだ。
俺は右手に銃を握っていた。
手のひらに伝わる冷たい金属の感触は、
異様なほど鮮明で、その感覚は義手にも続いていた。
左手──金属の関節とフレームが骨と共に動いている。
左腕の重みは、本来知るはずもなかった種類の感覚だった。
だが今は、あまりにもはっきりと感じられた。
骨よりも重い金属、筋肉よりも無情な機械。
俺は歩いた。
歩みは遅く、重かった。
血だまりを避けて歩いているわけではなかった。
恐怖が足首を掴んでいたからだ。
どこか、背後のどこかから、
細く、ねっとりとした何かがついてきていた。
まるで点滴の管に刺さった針のように、
細いが、絶対に離れない、
奇妙に繋がれた不安の糸。
その恐怖には音もなく、影もなかった。
だが、俺にはわかった。
それは確かに存在し、
今この瞬間も、俺の背後を──
ゆっくりと、慎重に、
そして避けられぬものとして──
追いかけてきているのだ。
**
「こっち。」
優月の短く、断固とした指示が闇の中を切り裂くように響いた。
彼女は平然とした顔で先を歩いた。
血に染まったコンクリートの床、
歪んだ影と腐った肉の臭いの間を、
優月はまるで何かを「見ている」かのように歩いた。
肉と骨で作られた造形物たち。
人の形をしていながら、すでに人であることをやめた存在。
腕を失い、目を開けたまま硬直した子供、
体の半分を吹き飛ばされたまま壁にもたれかかる女、
腹を裂かれ、内側から指のように割れた肉塊。
彼らは、誰かの手によって「飾られた」存在だった。
絶望ではなく演出。
苦痛ではなく意図。
優月はそのおぞましい「花々」の間を、
まるで最初からそこにいるべき存在のように、
静かに、落ち着いた足取りで通り抜けた。
眉一つ動かさず、
呼吸すら乱れることはなかった。
優月はそのすべての光景を、
「見る」のではなく、
「通り過ぎる」術を知っていた。
司は義足を引きずりながら先を歩いた。
ぽん、と腐った指の欠片をつま先で蹴り飛ばしながら。
「腐った匂い、最高だな。」
彼は冗談のように吐き捨てた。
本当に可笑しいとでも言うように、肩が軽く揺れた。
未来は隣で端末の画面を見つめていた。
血まみれの空間の真ん中にいながらも、
その表情は穏やかで、口元にはかすかな笑みが浮かんでいた。
未来は端末を通じて、皆に伝えた。
「造形スタイルがどんどん精巧になってるね。
いいアーティストだ。」
誰かの死を、
引き裂かれた肉で作られた芸術を、
彼らはまるで展示を鑑賞するかのように受け止めていた。
冗談。
嘲り。
無関心な視線。
そして、ためらいのない動き。
俺は彼らを見つめながら、
ふと気づいた。
彼らは──人間ではなかった。
痛みに鈍感で、血に慣れきっていて、
死を計算する術を知っていた。
いや、俺だけが──人間だった。
心臓はまだ冷えきっておらず、
目はまだ震えており、
呼吸はまだ乱れていた。
俺は今、
獣たちの中に投げ込まれた、
唯一の人間だった。
**
心臓が荒々しく脈打った。
規則もなく、勝手に暴れる獣のように。
胸の奥で響く鼓動が、耳の奥まで満ちていく。
銃を握る手には冷や汗がにじんだ。
引き金を包む指がかすかに震え、
手のひらと金属の間に溜まった汗が冷たく染み込んだ。
肌がひくついた。
まるでその下で何かが這い回っているかのように。
皮膚が内側から波打ち、
緊張と恐怖が筋肉を締め付けた。
左腕。
金属でできたその腕さえも、生きているかのように
ぶるぶると震えていた。
関節の一つ一つに不快な微振動が広がり、
電子神経が拒絶反応のように振動を起こしていた。
俺は喉を掴んだ。
指の間から伝わる脈動は、執拗に跳ね続けていた。
破裂しそうな心臓。
胸を打ち破って逃げ出そうとする本能。
人間という殻を引き裂き、
外へ飛び出そうとする、原初の恐怖。
口を閉ざした。
呼吸を止めた。
この感覚が漏れ出さないように、
一筋の悲鳴すら許さないために。
**
「ここ。」
優月が手招きした。
声は低く穏やかだったが、
その先に広がる空間は決して静かではなかった。
彼女の前には、別の造形物があった。
他のものとは違っていた。生きていた。
血で固まっていない肌、かすかに上下する胸。
彼は呼吸をしていた。死んでいなかった。まだ。
一人の男だった。
彼の体は、手足がすべて切断されていた。
切断面は雑に縫い合わされたようだったが、
それ以上に恐ろしかったのは腹部だった。
腹は縦に深く裂かれ、
中の臓器が一つ一つ引き出され、
宙に編み上げられていた。
それはまるで「蔓」のようだった。
血管と内臓が針金のようにねじれ、空中に固定され、
そこから血がゆっくりとぽたぽた落ちていた。
彼の口は縫い合わされていた。
荒く、雑に、だが確実に──声を奪うために縫われていた。
それでも、目は開かれていた。
あまりにも正確に、あまりにも鮮明に。
すべてを見た者の目だった。
恐怖、苦痛、屈辱、絶望──
幾重にも絡み合った感情が、
一度に押し寄せた赤い瞳。
血の滲んだ白目と、その中で震えるまぶた。
彼は泣いていた。
声なき涙、流れない悲鳴をたたえながら。
彼の存在そのものが、一つの問いだった。
なぜ、まだ生きているのか。
なぜ、ここまでして生き続けなければならないのか。
俺はよろめくように一歩後ずさった。
つま先が血で滑り、体が片側へ傾いた。
呼吸が途切れた。肺が閉じた。空気が入ってこなかった。
冷や汗が滝のように噴き出した。
背筋を伝い、首筋を伝い、服の内側へ染み込んでいった。
湿った冷たさが全身を押し潰した。
息ができなかった。口を開けても、喉が塞がっていた。
空気は鉄のように重く、
その匂いは腐った内臓の生臭さだった。
「うううう……く、けほっ……」
嘔吐物が喉元まで競り上がった。
腐った血の臭いと混ざったねばつく胃酸が食道を焼いた。
俺は必死に飲み込んだ。
今、吐き出していい状況ではなかった。
一度でも腰を折れば、二度と立ち上がれない気がした。
指先がぶるぶると震えた。
拳銃を握る右手。
その重さに耐えきれず、震えていた。
手のひらはすでに汗で濡れていた。
そして左手──鉄塊でできた義手さえも、
かすかに震えていた。
本来、感覚などあるはずのないその腕が、
今はまるで生きているかのように、
俺の恐怖を代わりに感じているかのようだった。
**
「新人。」
司が背後から笑いながら言った。声は軽く、馴染んだものだった。
彼にとっては、これが普通の一日だった。
「もう気絶するか?」
冗談めかして放たれた一言。
だが、その言葉は異様なほど大きく耳に響いた。
俺は答えられなかった。口を開くことすらできなかった。
顎は固まり、舌は乾ききっていた。
頭の中は静寂と痛みで埋め尽くされていた。
その時、優月がふと顔を向けた。
静かに。無表情で。
そこには一片の感情も浮かんでいなかった。
目は見えないはずなのに、
彼女は確かに俺の方を見ていた。
彼女は指先をそっと持ち上げた。
まるで空気の中に隠れた震えを手探りするかのように。
俺が吐き出せなかった悲鳴、
口にすることすらできなかった絶叫。
それらすべてを隠しながら、
彼女は微かな震えを空へと流していった。
彼女はそれを読み取った。
一言も発することなく、
眉一つ動かさず、
ただ指先で感じ取った。
そして、また背を向けた。
無関心に。
冷たく。
まるで何事もなかったかのように。
彼女は前へ歩き出し、
俺はその場に立ち尽くしたまま、
自分の呼吸音さえ漏らさぬよう必死に耐えた。
「生きてるね。」
未来がメモを差し出した。
その顔には一片の感情もなく、
ただ機械的な動きだけが残っていた。
紙に書かれた文字が、はっきりと目に飛び込んできた。
「完成直前だね。
たぶん、この状態で数時間耐えさせるつもりだった。」
俺は無意識に唾を飲み込んだ。
未来の言葉は、単なる分析ではなかった。
それは死刑宣告だった。
今、あの男は──
生きるために生きているのではなく、
死ぬために残されているのだった。
司がゆっくりと近づいた。
生きた造形物の前にしゃがみ込んだ。
死者を見るような目はしていなかった。
彼は、本物の「作品」を鑑賞するかのように、首をかしげた。
「なあ。」
司が言った。
荒く息をつく男を見下ろしながら、
軽く、平然と口を開いた。
「どんな気分だ?」
「生きたまま、展示される気分。」
その言葉は答えではなかった。
ただ独り言のように、ぽつりと零れ落ちた。
そして、その言葉が宙に漂う間に、
男の目から──
ぽた、
ぽた、
涙が流れ落ちた。
音もなく。
言葉もなく。
口は縫われ、
舌は動かなかった。
それでも涙は、
止まらなかった。
それは苦痛でもなく、
怒りでもなかった。
純粋な屈辱。
生きていることさえ、
自ら許せないという感情。
彼は今、
呼吸をしながら死んでいっていた。
俺は耐えられなかった。
指先がぶるぶると震えた。
金属の関節にまで振動が伝わった。
皮膚の下で神経が暴れ、
頭の中は破裂しそうな圧力で今にも弾けそうだった。
心臓が、
真っ赤に、
破裂しそうな勢いで脈打った。
意思とは無関係に脈は荒れ狂い、
血が耳を塞いで世界の音を遮断した。
呼吸は浅く短くなり、
空気は肺の中で腐っていった。
逃げ出したかった。
この地獄のような空間から、
苦痛と狂気が共存するこの庭から、
どこへでもいい、遠くへ逃れたかった。
だが、俺は動かなかった。
一歩たりとも。
その場に釘付けになったように。
体が重くなったわけでも、
恐怖に飲み込まれたわけでもなかった。
俺は──逃げなかった。
耐えた。
汚れた空気を吐き出しながら、
喉元まで込み上げる嗚咽を必死に飲み込みながら、
血の滲んだ目で、
壊れかけた体で、
裂けた心を無理やりかき集めて、耐えた。
それは勇気と呼べるものではなかった。
生き延びるための悪あがき、
ただ獣のように、
最後まで死を待たないための抵抗だった。
そしてそれこそが、
今の俺を、
かろうじて「人間」と呼ばせる
最後の境界線だった。
「殺してやらないとな。」
司が銃を取り出した。
口調は無感情で、手つきは慣れたものだった。
死に対して一片の躊躇もない者の手、
冷たく、熟練した動き。
俺は、それを遮った。
意図したわけではなかった。
考えるより先に、体が──ただ反射的に動いていた。
前に立ち塞がった俺の影が、
血の匂いが立ち込める床に長く伸びた。
「俺がやる。」
かすれた声。
折れた声。
俺の中に溜まっていたすべてが、
その一言でひび割れた。
俺はゆっくりと銃を持ち上げた。
手のひらは汗で濡れており、
まぶたの上には微かな震えが続いていた。
息を整え、汗を拭うこともなく、
金属と肉が一緒に支える銃の重みを耐えながら、
彼を見つめた。
男──
いや、
残骸。
彼は静かに目を閉じた。
拒絶もなかった。
抵抗もなかった。
どんな恐怖も、未練もなく、
彼は自ら呼吸を閉ざした。
まるで、感謝するかのように。
そのまぶたの下に、最後まで流れなかった涙が
かすかに滲んでいた。
俺は引き金に指をかけた。
これは殺しではなかった。
これは救いであり、彼に残された最後の尊厳への──
別れの挨拶だった。
ガンッ─
銃声が短く、しかし深く響いた。
鉄と火薬が切り裂いたその一瞬が、
空気さえも引き裂いた。
血の匂いに満ちた庭の真ん中で、
すべての音が消え去った。
**
「は。」
司が短く笑いながら唇を舐めた。
血の匂いを含んだ空気を吸い込み、
口元に残った感情を飲み込むように。
「ようやく、ちょっとチームらしくなったな。」
彼の目は冗談のように見えたが、
その中には微妙な認めが滲んでいた。
何かを通り抜けた者だけが得られる、暗く静かな歓迎。
未来はいつものように静かにメモを差し出した。
「新入りも染まったな。」
短く、そして明確だった。血に染まった指先で書かれた冗談。
だが、その言葉にはぞっとするような真実が込められていた。
優月は何も言わずに前へ歩き出した。
無言の余白が多い彼女の歩み、
地面と足の間の距離を感じ取るかのような、
その動きは依然として乱れなかった。
しかし彼女は歩きながら、
誰にも気づかれぬよう、
指先で俺が撃った銃口の残りの震えを
静かに感じ取っていた。
空気の中を漂う、
最後に残った熱。
引き金を引いた直後の振動。
それらすべてを言葉ではなく、感覚で受け止めていた。
彼女は分かっていた。
俺がまだ人間であることを。
血を撃ったが、血に溺れることはなかった。
銃を握ったが、その重さには慣れていなかった。
死を選んだが、死を愛してはいなかった。
壊れ、割れた、
それでもまだ「人間」が残っている新人。
彼女はその震えを静かに胸の一角に刻み込んだ。
いつか完全に消えてしまうかもしれない、
小さくて薄い人間性の痕跡を。
**
赤い庭はまだ終わっていなかった。
死が一時的に止まったように見えたが、
それはただ次の展示の準備に過ぎなかった。
血は乾き、悲鳴は収まり、
俺たちはその隙間を歩いたが、
庭は依然として生きていた。
土のように息をして、
肉のようにうねっていた。
**
俺たちは今、
ようやく、
第一歩を踏み出したばかりだった。
これは終わりではなく、始まりだった。
狂気の巡礼。
血に染まった礼拝。
そして、俺たち全員はその中で
何かを失っていた。
俺は分かっていた。
最初に引き金を引いた瞬間から、
俺はもはや以前の自分ではなかった。
血の匂いに染まり、
恐怖を飲み込みながら歩き、
死を見つめる目が変わり、
言葉ではなく沈黙を選ぶ方法を学んだ。
そして、俺はすでに
赤い庭に咲く
一輪の傷になっていた。
裂け、埋まり、
それでも自ら消え去らない
小さくも執念深い痛みの痕跡。
庭は俺を受け入れ、
俺はその中で根を下ろしていた。
初めて引き金を引いた。
だが、それは戦いではなく、別れだった。
「赤い庭」は、一人の死が「作品」として展示される場所、
そして主人公が「殺す」ことで「生きる」を選ぶ物語です。
生きるために戦うのではなく、
人として残るために耐える戦場が始まる。