1.
セルジュの質問責めからやっと解放された私は、げっそりとして部屋に向かっていた。滅茶苦茶疲れた。頭良い人と気を遣うやり取りをしたら、カロリー消費がすごいんだよね。
今日は午後からは読書もやめて、昼寝したり甘いものを食べたり、のんびり過ごそう。
そう考えていると、ステイシーが元気よく近付いてきた。
「エリさま~! 見てみて! 見てくださいよー」
「何……?」
彼女はずいっと顔を近付けて頬を寄せて言った。
「見てください、この頬の肌艶。今までよりすごくハリがあるでしょう!」
こういう時の答えは一つだ。
「ステイシーは前から肌艶が良くてハリもあったわよ」
「やだ~! エリさまったらー! でもそうじゃなくて! リーシャ商会の化粧水、使ったら全然違うんですよ!」
リーシャ商会。どっかで聞いたことあるな。
思い起こしてハッとした。お母さまでも入手困難だと言っていた、流行の化粧水!
「どうしてステイシーがその化粧水を持っているの」
「昨日、お使いに行ってたらすごいイケメンが声をかけてきてー! 私に是非に使ってくださいってくれたんですよ!」
あぁ~。これはアレですね。
どう考えても工房絡みだよね!
メルヴィス工房の製品開発について、私がスポンサーであり依頼主だと知って、そして私の侍女でガードの緩いステイシーに狙いを付けたんだ。
すごい情報調査力だけど、少し情報が古い。
私はステイシーをヤバ使用人と思っているから以前ほど仲良くないし、彼女には何も教えていない。ステイシーから得られるものは無い筈だ。
しかし、これを機に彼女をきっちり詰めることは出来るかもしれない。
私はさっきのお兄さまのように威厳をもって告げた。
「ステイシー、分かるでしょ。貴女は公爵家の侍女だから、情報を得る為に賄賂を渡されているのよ」
「やだエリさま。私、何も情報なんか教えてませんよ。化粧水貰っただけですもん」
「知らない人から物を貰っちゃ駄目って習わなかった?」
「我が家の家訓は、貰えるものは何でも貰えですよ!」
「そ、そう……」
強い……!
陽キャの天真爛漫さと図太く何も気にしない性格が組み合わさって、かなり手ごわい。
はっきり言って、私は最近ステイシーを干して冷遇している。それなのに、彼女は全く気にしてないのだ。普通、気付いて空気を読んで大人しくなったり、己を顧みるたりするだろう。私だったら居づらくなって辞めることも考える。けどステイシーは以前のまんま、変わらず私に対するのだ。
もう、こういう侍女が居るのもいいのかもしれない。苦手な部類だけれど。
私が遠い目をしていると、ステイシーは抜け目なく続けた。
「でも、次に商会まで遊びに来たら、もーっと良いものをくれるって言ってもらえたんですよね~。エリさま、一緒に行きましょうよ!」
「行くわけないでしょ……」
「どうしてですか? 相手に何か考えがあるっていうなら、直接聞けば早いじゃないですかー!」
確かに商会を介して補聴器のことを何とかしたいっていうのはある。でも私が直接やり取りなんてする必要ないし、誰か商談が上手い人に間に立ってもらった方が。
いやそしたら更にマージンが必要になったりする?
「………………」
「ねえねえねえ、エリさまってば~」
その時、フと思いついた。
このステイシー、陽キャで押しが強いなら営業に向いているのでは?
ステイシーを商会に押し付けるのもアリかもしれない。向こうの言い分を飲む代わりに、こちらも……ってやつだ。
「……そうね。マドレーヌの都合が良い時に行ってみましょう」
「じゃ、私、さっそく声をかけてきまーす!」
こういう時のステイシーの動きは素早い。マドレーヌに反感を持ってそうだったのに、あっという間に駆けていってしまった。
しかし、たとえマドレーヌが騎士とはいえ女三人で相手の本拠地に乗り込むのは心もとない。生憎、父母も兄も出掛けてしまって屋敷には居ない。
私はこの屋敷の家令であり爺やでもあるトマスに相談に行った。
「ねえ、爺や」
「どうしましたか、エリザベスお嬢さま」
「私の周囲をうろつく商会に、釘をさした上で利用してやりたいんだけど、武装した騎士を連れて行ってもいい?」
商談は騎士に剣を握らせつつやるに限るという成功体験を知っているので、そう伝えると、爺やははっはっはと朗らかに笑ってからにこやかに告げた。
「勿論です。私も同行しましょう」
「わぁ、頼もしいわ。ありがとう、爺や」
商会に向かうのは四頭立ての大きな馬車の中には、私と爺や、ステイシーと侍女頭のシーラという四人のメンバーが座っていた。シーラはちょっと顔が怖く見える三十代の女性で、めちゃくちゃ仕事が出来る。目が大きいけれど、白目の部分が大きくて瞳孔が開いたみたいになっているのが、顔が怖いという印象になるのだと思う。眼光鋭くて、いつも無表情で、そして厳しい態度だ。流石のステイシーも、シーラには苦手意識があるみたいで少しは大人しくなる。
シーラは記憶力が良くて何でも間違いなくこなしてくれる、かなりのしごできなので私は信頼している。
それから馬車に付き従う騎馬の騎士が二人。マドレーヌと、もう一人ベテランの男性騎士にも付いてきてもらった。騎士の中でも偉い人らしい。キリッとしたいけおじだ。
二人も騎馬の騎士が同行していると、大分物々しい雰囲気だ。
リーシャ商会には先触れを出してあるので、私たちが向かうことは了承済だ。
そして、私たちはVIP扱いとかで、普通のお客さんが来るような商会の建物ではなく、特別な顧客だけが入ることの出来る場所へと招待されていた。
「うわ~、なんか凄すぎて、夢のような場所ですね。エリさま」
「……そうね」
私だって公爵家のご令嬢だ。うちの屋敷だって立派な庭園つきのすごい物だし、王宮にだって何度も行ったことがある。
しかしここはまたそれとは違う、贅をつくした場所だった。庭の中に川が流れていて湖がある。そのお庭も様式の庭園ではなくて、オリエンタルな感じとでもいうのだろうか。前世の言葉でいうところの、桃源郷という言葉がぴったりの場所だった。
リーシャ商会側が有利な条件で契約を締結する為に、相手を圧倒する為の場所なのだろう。普段見慣れない様式の場所では、人は気圧されるものだから。
湖の傍にある、ガゼボというには立派すぎる建物に案内されて入っていく。
中はこれまたオリエンタルな造りで、やっぱり歴史的な中華の建物を思い出させた。
通された部屋には、麗しい男性が三人。そのうちの一人は護衛のようだが、顔をマジマジと見てしまう。
護衛らしい、主人の背後に立っている男性は黒髪で塩顔の、東洋人にしか見えない容貌だったのだ。
私にすれば懐かしさが感じられるのだが、勿論エリザベスには見たこともない平たい顔だろう。日本人基準ですれば、めちゃくちゃイケメンのモデル並みの美貌とスタイルの人物だが。黒衣の騎士っぽい服に、帯剣していて細身ながらとても強そうだ。
主人と見られる男が立ち上がって挨拶をした。
「お初にお目にかかります、お嬢さま。私はリーシャ商会の会長、ライナスと申します。以後お見知りおきを」
大きな商会の会長というには若すぎる。まだ二十代半ばくらいに見えるイケメンは銀髪の肩までのちょろ毛を縛っている。紫色の瞳も口元のほくろも官能的で、色気が駄々洩れのセクシー会長だ。
しかしこういうセクシーさも、商談では有利になるから分かっててやってるのだろう。
ステイシーがそっと耳打ちする。
「声かけてきた人は左の人です」
ライナスの隣にいる、役者のような優男だ。金髪で青い目の、この国で好まれそうな容姿をしている。私がちらりと視線を送ると、にっこりとほほ笑みかけてくる。
やはり色仕掛け。
この商談の全てが
『こいつみたいなチョロい女は、顔の良い男をあてがっておけばホイホイ言うこと聞くだろ』
的な空気を感じる。
舐めやがってよぉ~。
私は名乗りもせず、スンとした表情で口を開いた。
「ここに来たら、もーっと良いものとやらを頂けると聞いて伺ったのだけれど。貴方は一体、私に何をくださるのかしら?」
するとライナスは色気たっぷりの笑顔でにこやかに口を開いた。
「お嬢さまが望むものならば、何でも用意いたしましょう」
「それなら、その護衛の方を頂きたいわ」
ぴくり、と黒衣の護衛が目元を反応させたが無言だ。
ライナスがにこやかな表情のまま答えた。
「残念ながら、この者は異国出身で言葉もままならない、お嬢さまに仕えるには値しないのです。護衛が必要ならば、もっと強く、そして気が利く者を用意いたしましょう」
「いいえ、彼でないなら結構よ。残念だわ」
何でもくれるって言ったのに、くれないんですかぁ? と煽っているわけだ。
多分、隣の金髪イケメンならライナスは簡単にくれる。でも黒衣の護衛はきっと渡さない。それが分かっていての要望なのだ。
掴みはオッケーと言ったところだろうか。
ライナスが説明してくれる。にこやかだが目は笑っていない。
「この者は、遥か遠い東にあるサイという国の出身なのです。興味がおありでしたら、サイについてお話させて頂きます」
すごく興味がある。この世界の東国ってどうなってるの。オリエンタルな世界が広がっているのか。もしかして、お米とかもあったりする?!
しかし、そんな話をしに来たわけではない。
念のために、感情抑制の魔法を自分にかけておいて良かった。それが無かったら、未練たらたらの表情になっていたところだ。
私はそれもお断りした。
「特に興味はないわ。私の侍女に声をかけた、その理由が知りたいだけ」
「おや、お嬢さまはせっかちでいらっしゃる。せっかく数多の国を旅し、世にも珍しい商品を扱い、様々な話を見聞きした商人が目の前に居るのです。どのようなお話でもお好みのものをお伝えしましょう」
「そうね。リーシャ商会の化粧水は入手困難で誰もが手に入れにくいと聞いたわ。それを改善して、欲しい人が買えるようにはしないの?」
ライナスはいかにも残念そうな口ぶりで返事をする。
「残念ながら、希少な成分を使い、それほど大量に生産も出来ない品物なのです。お客さまにはお待たせして申し訳ないのですが、出来上がり次第順次のお渡しになっています」
「品薄なところも含めて高級品として扱うから、大量生産して価値を下げはしないってことかしら」
「私どものお客さまの中では、希少性を求められる方が多くいらっしゃいます。いくら良い品物でも、庶民が使うものと同じものでは満足出来ないというお気持ち、お分かりになるでしょう」
ブランディングも分かってない小娘がよぉ、といった感じだろうか。
しかし、私はその答えにいかにも困った様子で小首を傾げた。
「それならば、私の製品はリーシャ商会ではお任せ出来ないわね。私が今、作っているものは庶民の中でも、困っている人に安く使ってほしい、慈善事業のようなものだもの」
ライナスの笑みが引っ込んだ。