1.
私は、アラン・バーテラス。今でこそ魔術伯という肩書を得ているが、生まれはシュルマン王国の中流家庭で平民出身だ。
幼少期に己の魔力を制御しきれず、魔力を持つ子供たちを奴隷のように扱う場所に売られた。
そこで、私は己の中に境界のようなものが存在することに気付いた。
心身ともに虐待されることに耐えかねた私は、その場に居る大人たちを皆殺しにしようとしたのだ。私の魔力があれば、それは可能だった。
しかし、それは出来ないと身体が拒否をした。
心ではそれを実行したいと思っているし、出来る力も持っている筈だ。それなのに、それは出来ないと身体が動かなくなる。
私の中の論理観が、正しくない行動だと制止しているのだろうか。
善悪や道徳など、この場では何の価値もなく諦めているというのに。
では何が、どの基準を持って誰も殺すなと決めているのか。
私は己の中を魔術的に探るようになっていった。すると、その中には境界と思われる行動規範が存在することに気付いた。
アランという男は、勢いに任せて人を殺さない。じっと耐えて待っていると、そのうち助けが現れる。
行動規範の中には、将来の予言も含まれていた。
私は夢中になってその行動規範を解き明かそうとした。
しかしその解明が出来る前に、官吏によって私たちを飼っていた組織は摘発された。奇しくも、行動規範内の予言が実現したわけだ。
こうして私はヴァランシ公国のヘニング・ホルト侯に助けられ、世話をされることになった。
ホルト候の元で魔術について教わっている間は忙しく、行動規範を解明する暇はなかった。
そしてホルト候夫妻が亡くなり、魔術伯となってからはそれどころではなくなり、半ば忘れている状態になっていた。
それを思い出したのは、エリザベスに告白された時だった。
それまでの私は、エリザベスに冷たく当たるのが当然のことのように振る舞っていた。
そこには特に感情も存在せず、エリザベスに無視するのは標準的な行動だと、私の中の常識に植え付けられていた。
それに疑問を感じたことはなかった。
エリザベスが目の前で、屋敷の階段から落ちた時もそうだった。
見舞いの打診を出すだけで、私は何の行動も起こさず過ごしていた。心の中では、こんな風に放置しているのはまずいのではないか、という気持ちはあったにも関わらずだ。
そしてエリザベスに呼び出され、温室で話をした時が運命の分かれ道となった。
私はその時、とても楽しかった。女性と会話を楽しんだことなど一度も無かったというのに、彼女とは夢中でお喋りを続けられたのだ。
エリザベスが嬉しそうに相づちをうって、同じく会話を楽しんでいることが分かって私は浮かれた。魔術をもっと知りたいという彼女の好奇心がとても好ましく、私が知っていることなら教えてあげたくなった。
彼女がキラキラした瞳で私を見つめるのがくすぐったくも嬉しくて、前のめりになって魔術の講義をしてしまった。
しかし、エリザベスが私の過去に触れた瞬間、何故かその気持ちはスッと引いてしまった。
『行動規範』が戻ってきたのだろう。以前の、彼女に対しては冷たく厳しく振舞うのが当然といった言動を知らないうちにしていた。
多分、私がエリザベスに抱いた好意は、境界に触れてしまったのだろうと今なら分かる。
私は感情的に、過去についてくどくどとエリザベスに話してしまった。それも、重く暗い過去だ。とてもじゃないが、赤の他人である彼女に話すべき内容ではない。
規範の通りに冷たく振る舞いながらも、己を知っていてほしいという願望が混じったのだろう。そして私の望み通り、エリザベスは私に嫌な顔を見せたり、冷たい振る舞いをしたりはしなかった。
普通なら、そんなもの受け止められないと逃げられるであろう話なのに、エリザベスは受け止めてくれたのだ。
更に、こんな私に愛を告白してくれた。
私の過去を知ってかつ、身分差があるというのに、それでも結婚したいと申し出てくれたのだ。
今までの人生で、これほど感激したことはなかった。痺れるような感情に満たされたあの時、私は幸福の絶頂に居た。
けれど、それは行動規範を著しく犯す感情だった。
境界に触れた私は、今度こそ自身の感情が消え去り、規範を守る言動をした。つまり、エリザベスをキツく拒絶し、手ひどく振ったのだ。
そして、涙に濡れたエリザベスを放置して公爵家の屋敷を後にしたのだった。
本来の行動規範なら、ソフィアの居る屋敷に戻るよう指示しただろう。だが私は一人になりたくて、王宮の自室に逃げるように向かった。
そして一人で閉じこもり、久しぶりに自身を解明することにした。
以前より、魔術の知識も増えたし魔力の使い方も慣れている。
己の境界を探っていくと、ソフィアを大切にすることとエリザベスに冷淡な態度を取ることはあらかじめ定められていた。
他には、欲望の魔神コーディウスに条件が整うまで近付かないようするというのも含まれていた。
では、その条件はというのを探っていると突然、精神世界に迷い込んでいた。
精神世界、というのかどうかも分からない。
ただ、そこは王宮ではない、夜空のような真っ暗な空間に数字の0と1の羅列が流れているような、不思議な場所だった。恐らく心象風景のような、現実には存在しない場所なのだろう。
その中で立ち尽くす私の前に、突然文字が浮き上がってきた。
『警告 これ以上の開示は、深刻なシステムエラーが発生する恐れがあります。進行が停止する恐れがありますので、お戻りください』
「拒否する」
私が手をかざすと、その文字は砕け散った。
システムエラーとは、どういう意味だろう。
進行とは、何の?
私は次々と解明に着手していき、何度も警告文が出てきたがその都度拒否した。
そして最後に、選択肢を選ばされた。
『このまま進むとシナリオが正常に進行しません。システムを解放すると、二度と元には戻れません。それでも構いませんか?』
はい、いいえの選択肢だ。
屈したら、元通りになる。ソフィアを大切に、エリザベスに冷淡に振る舞うのだろう。
けれど、このまま進むと今までにはない言動を出来るようになる。規範を無視して、私が私らしく好きに過ごせるのだ。
私は迷わず『はい』を選択した。
それで、境界を越えたのだ。
それが分かったのは、私を取り巻いていた『こうしなければいけない』という常識と思っていた部分が、ことごとく覆されたからだ。
屋敷に戻ってソフィアとバーバラに会った時、それが顕著になった。
まるで屋敷の主人のごとく振る舞うバーバラと、バーバラに全てを仕切らせて己は弱々しく振舞うソフィア。
確かにソフィアの父君には世話になった。しかし当然のごとく己の屋敷に住まわせるなどおかしい。
私は独身で、ソフィアも子供だったとはいえもう十五歳になっている。公国にホルト侯の屋敷があるのだから、そちらに住んでもらう方が良いだろう。
こんなことをしているから、ゴシップ紙にも好き放題書かれるのだ。それなのに、以前の私はこうすることが最良なのだと何の疑問も思い浮かばなかった。
ソフィアと共に居なければいけない、という気持ちはすっかり消えてしまった。
その代わりに、エリザベスと共に過ごしたいという欲望が膨れ上がっていた。
そうして私は境界を越えた翌日、前日に彼女の告白を拒絶したにもかかわらず、エリザベスにプロポーズしに行ったのだ。
***
私が境界と規範について語り終えると、エリザベスは何やら考え込んで呟いた。
「境界って、ひょっとしてプログラミングってことかしら。規範も、入力されていたコード内でしか言動を許されないとか。だったら、今のアランさまは……」
「今の私は、何だろうか」
「あ、ええ。アランさまは、以前より自由で、思ったままに振る舞えるということです」
私は一つ頷いてから、彼女をじっと見つめて確認した。
「それはエリザベスも同様なのだろうか」
「そうですね。私は以前のエリザベスに別世界の知識と経験が合わさった状態なので、とっても自由に好き放題しています」
「……それならいい。その上で、私を選んでくれるなら」
私の言葉に、彼女はハッとしたようだった。
「勿論です! 私は、どんな私になってもアランさまのことが大好きです!」
「ありがとう。愛しているよ、エリザベス」
「はわ~ッ! アランさま……」
私が少しでも彼女に愛を囁くと、とても嬉しそうに反応してくれる。
こんなに気分が良く、心が浮き立つことは今までに無かった。
私たちは抱擁し、何度もキスを交わす。その度に、私はエリザベスに自身の魔力を送った。
私の目論見通り、エリザベスの身体には魔力が浸透している。
それを今日も確認して、ぎゅっと彼女を抱きしめる。そして、誰にも見えない角度でうっそりと笑みを浮かべたのだった。




