2.
部屋の中には私、ソフィア、マドレーヌ、クレモン夫人の四人の女が残っている。
私が口火を切った。
「お聞きの通り、私はアランさまと結婚します。でも、貴女は出て行く必要もないし、今まで通り住んでくださって結構よ。必要なものや足りないものがあれば、援助もするわ」
「なんて失礼な! 人の顔に金貨を投げつけるような態度を!」
ソフィアではなく、クレモン夫人が喋るのは、ソフィアがそうさせているのだろうか。
私は続けた。
「それから魔力の枯渇について、それを無くす為の仕掛けをアランさまと共同で作っているの。社会貢献の一環よ。成功すれば、貴女の体調も良くなるでしょうね」
いつまでも病弱なふりしてしがみついてんじゃねぇぞ、という釘だ。
ソフィアは全くの無表情だ。ただ私を睨むようにじっと眺めている。表情が無さ過ぎて、怖い。今までの、弱弱しく庇護欲そそる態度は全く失せていた。
いいぞいいぞ。
私はニヤつくのを我慢して、小首を傾げて彼女を見つめる。
ソフィアが声を出したが、表情の通りの感情がまるでこもっていない様子だった。
「一体、どういう手を使ったのかしら。アランお兄さまをたぶらかすなんて」
「たぶらかしてなんていないわ。真正面から、愛を告げただけだもの」
「魅了か呪術でも使って、アランお兄さまの心を惑わせたのではなくて?」
「アランさまはそのような、弱い心の持ち主ではありません。貴女は分かってらっしゃると思っていたのに。残念ですわ」
いかにも悲しそうに言うと、彼女はさらにムカついたらしい。
お茶を飲もうとカップを持った手の関節が、ぎゅっと白くなっている。
そういえば、アランさまの屋敷のお茶葉はどうなのだろう。
飲むのは躊躇するが、香りを嗅ぐくらいはしたい。
私はティーカップに手を伸ばした。
次の瞬間、スマホショルダーが弾けるように反応した。
えっ、と驚いてカップをソーサーに戻す。
すると、カップがひとりでに宙を浮いて、その紅茶の中身をソフィアにぶっかけたのだ。そして、カップはころんと机の上に落ちた。
ソフィアの首から下、ドレスが紅茶の染みで汚れている。
一拍置いてから、クレモン夫人がけたたましい悲鳴をあげた。
「キャー! なんてことを!」
「どうした!」
すぐにアランさまが入ってくる。応接室の扉のすぐ横に居たようだ。
ソフィアを庇うようにクレモン夫人が立って、騒ぎ立てる。
「そちらの方が! 急にソフィアさまに紅茶をかけたのです! なんと酷いことを!」
ソフィアはわざとらしく、しくしくと泣いている。
ウソ泣きすな。
私は、あーそういう感じなのね、とマドレーヌにちらりと視線を向けた。
彼女は一歩進んで口を開いた。
「恐れながら申し上げます。私の目には、エリザベスさまがカップをソーサーに戻してから、カップのみが勝手に動いて紅茶を零したように見えました」
「何をわざとらしい! そのようなことが起こるはずがありません! この騎士は、主を庇ってそのように述べているだけです!」
「そうかしら? 起こるはずがない、なんてどうして断言出来るの。魔術を行使出来るなら、カップだけを浮かせてお茶を零すなんて、簡単に出来るでしょう。ねえ、アランさま。実現ならば可能ですわね」
アランさまは何が起こっているんだか分からないままに、部屋の様子を見て呟いた。
「確かに、魔力の反応はあった。二度だ」
「ええ。一度目は、しおりの護符に阻まれて発動しなかったようです。これも、アランさまのお陰ですわ」
「……となると、一体どういうことだ」
「アランさま! 騙されてはいけません! その女がソフィアさまにしでかしたことです。このありさまを見れば分かることではございませんか!」
「……騒ぎ立てる使用人は嫌だわ。アランさま、彼女を部屋から出して」
私の要望に、彼は頷いてくれた。
「クレモン夫人、出て行け。行かなければ、強制的に排除する」
「そんな! こんな部屋に、ソフィアさまを置いていけるわけがありません! ソフィアさま、参りましょう!」
出て行く二人の背に向けて、私は言い放つ。
「真実は明らかになるものよ」
応接室に残ったのは、私たち三人だけになった。
「一体どうしたんだ」
アランさまが尋ねるので、私は立ち上がって撮影していたタブレット端末の元に行った。
「説明するより、見てもらう方が早いわ。これ、画面が大きい分容量も大きいの。動画だって保存出来るのよ」
録画を止めて、そして動画の後半部分を再生する。途中、まだ私たちがいちゃいちゃしてる部分だったので、そこは早送り。アランさまが出て行った後から再生した。
画面が大きいので、画像が鮮明に映っている。音声もばっちりだ。
『魅了か呪術でも使って、アランお兄さまの心を惑わせたのではなくて?』
無表情のままじっと私に視線を送るソフィアもばっちり映っていた。
「これが、ソフィアか?」
信じられないものを見るアランさまを置いて、画像は進んでいく。
そしてティーカップを持った手が異常を検知し、カップを置いてからそれ単体で浮かび、紅茶をソフィアにかけるのも綺麗に映っている。
私は映像を止めた。
「これは、風の魔法でしょうか。それとも、精神操作の一種?」
「最初は精神操作だろう。そして二度目が風魔法。しかし、ソフィアは火の魔力が多く、精神操作と風魔法は使えないはずだ」
「ではクレモン夫人は使えますか」
「いいや、彼女は魔術を行使出来ない」
「マドレーヌ、貴女は魔法は?」
一応聞いておくと、彼女は冷静に答えた。
「風魔法の適正はありますが、ほとんど魔力がありません。精神操作は出来ません」
「ありがとう。私もそうよ。攻撃魔法を使ったことはないし、生活魔法だけしか使えないわ。アランさま、映像からは魔術を誰が使っているか、魔力の流れは見えませんか」
該当部分まで映像を戻して、再び再生する。
彼はじっと見た後に答えた。
「映像の内部には、魔力操作の記録はされていない」
「これは見た目だけを記録する魔道具ですから、仕方ありませんわね。では、状況をまとめますと、何者かが私に精神操作をしかけようとした。けれど、アランさまの護符のお陰でそれを阻まれました。さらに、何者かが風魔法を使ってカップを操作。私の紅茶をソフィアさんにかけました。しかし現場に居た四人とも、その魔法の適正はない。魔術の遠隔操作は出来るのでしょうか」
「やろうと思えば出来るだろうが、今回は扉の外に私が居た。遠くから魔力が使われたように感知は出来なかった。よほど上手く痕跡を消す、私よりやり手の魔術師が居れば別だが。しかし、やはりこの室内で行使されたように思える」
かなりまどろっこしい。
犯人は絶対ソフィアなのに、アランさまに遠慮しているからだ。
私は結論をまとめた。
「アランさま、私、結婚してもこの屋敷には住めません。もし今日、護符を身に着けていなかったら、私がソフィアさんに紅茶をかけたと決めつけられ、加害者となっていたでしょう。冤罪の犯人とされていたのです」
「そうだな……」
「それに、クレモン夫人は屋敷の管理者でありながら管理をおろそかにしているようです」
「そうだろうか。今までは過不足なくやっていたようだが」
「アランさまはたまに帰って、歓待される側なので気付かれないようにしていると思います。結婚後、私がここに押しかける形になれば更なる問題が勃発するのは目に見えています」
「さらに、結婚が遠のくのか。ソフィアの魔力が安定し、成人して帰国するまで……」
アランさまが暗い顔をした。
しかし、私はにっこりして言う。
「アランさま、私たち、二人で住みませんか」
「二人で?」
「そうです。新しい小さなおうちで、二人だけで、楽しく過ごすのです。大声を出す使用人はいりません。もし使用人を雇うとしても『ですが!』と言わない者を雇いましょ。ね、気楽に過ごせるでしょう?」
「そうだな。どうせ、ここには様子を見に来るだけで住んではいなかったのだ。新しい家で、二人で住もうか」
「わぁ! 楽しみです! 私、さっそく家探しをしますね」
「あぁ。ありがとう、本当に貴女には救われる」
ふふ。思ったとおりだ。
アランさまはヒステリックなクレモン夫人と、守って慰めてのうじうじソフィアにうんざりしていたようだ。
本当は私も
『ほらぁ! 言ったじゃん、ソフィアなんてろくでもない女だって!』
と、私言いましたよねムーブをかましたかったが、それをしたら彼を追い詰めるだけだと分かって自重しているのだ。
アランさまは、癒しと愛されることを望んでいる。
彼から愛してほしいと、周囲をうろつく陰湿な女には負けない。
「でも、私も肝を冷やしました。本来なら、私がカップの紅茶をソフィアさんにかけていたところなんて。衣服を洗浄する魔法、自分のものしか出来ませんし」
「ああ、それならば。こうやるんだ」
以前、途中で止めたそれを、アランさまは私の手を握って最後まで教えてくれた。
私の魔力が、アランさまの手を伝って彼の衣服を清めていく。
「わぁ! 出来ました!」
「ああ。そして確信出来た。貴女の魔力は、こんなにも温かい。先ほどの、風の魔法との違いが明確に分かる」
「アランさま、今思い出したのだけれど。私が階段を落ちた時も、足が勝手に動いたような気がします」
私の報告に、彼は苦い顔をした。
「まさか! そんなことをすれば、すぐに分かる……、いや。あの時、その前に大きく風が吹いて窓ガラスと扉がいきなり開け放たれたのだ。それに気を取られて風が吹く中、気付けばエリザベスは階段から落ちていた」
「まあ、分かりませんけどね。しかし、手慣れているようには思えました。アランさま、屋敷の内部で起こった最近の事故を家令に報告させてください。似たような事故が起こっているかもしれません」
「そうだな。しかし、家令は高齢で最近は見かけていない。誰が調査出来るものか……」
「やはり、機能不全に陥ってますね。うちの屋敷でも、そのような事故が無かったか一応調査しておきます」
「分かった。こちらでもなんとか、調べてみよう」
こうして、私とソフィアの二度目の対面も、上手くいかずに終わったのだった。




