3.
夕食は私とお父さまお母さま、長兄のヴィクトルと次兄のユリアンという一家勢ぞろい、プラスランベール殿下の六名で取ることになった。
私はみんなと一緒に食事をする気分でもなくて、部屋に運んでもらおうとしたけれど、ご飯も食べられないくらい具合が悪いなんて! やっぱりアランさまを許せない! という空気になったのでびびってダイニングに出向いた。
メンバーを見て改めて思うのは、うちの一族すごい麗しい~、ってことだった。
お母さまは私と同じ赤い髪に緑の瞳だけれど、一番上の子が二十八歳だなんて信じられないくらい若々しく麗しい。たおやかで豊満な美人だ。年齢不詳である。
長兄のヴィクトルお兄さまは、私より十歳上の好青年。そして年の離れた妹を、生まれた時からとても可愛がってくれている。
それはもう、ご自分の婚期を遅らせるほどに。
ヴィクトルお兄さまがあまりにも私を大切にするから、当時の婚約者のご令嬢と仲が拗れて婚約解消になったこともあると噂に聞いた。
婚約者のご令嬢が遊びに来ても、私ばかりを優先して構ってご令嬢を放置するから揉めるのだ。
それはそうだろう。シスコンすぎて自分を放っておく彼氏なんか秒で別れるわ。
しかし、それについて周囲の誰も何も言わないのだ。
おかしいだろ。妹なんて忘れて早く結婚して次の公爵家の為に跡継ぎを作りなよ。
今の私ならそう言えるが、エリザベスは周囲には興味が無かったので何も言わなかった。
彼女は自分の事だけにしか興味がないのである。
そのヴィクトルお兄さまが、私に蕩けるような笑みを向けて言う。
「可愛いエリー、無事で良かったよ。痛みやおかしなことがあったら言うんだよ。伝えなくても、お兄さまにはすぐ分かるからね」
「……はい、お兄さま」
こわ。なんかじわじわ恐ろしいものを感じるんだけど、この寒気は気のせいか……?
ヴィクトルお兄さまからは、真綿で包むような可愛がり方をしてくるけれど、私を観察しているかのような眼差しにちょっと引いてしまう。
今までのエリザベスなら、何も気にせず良い返事をしていたが。
そう考えると、何も考えておらず能天気で無邪気なエリザベスは、家族とは上手くいっていたのだろう。
しかし、今の私はあのキャラで突き通すのは無理だ。絶対無理。あんな、きゃいきゃい叫ぶ系の我儘なんて、前世では幼女の頃でもやったことない。
本物のエリザベスは一体どこに行ったのだろう。もしや階段落ちの時にもう……、と少し怖い想像をしてしまいぶるりと震える。
もし彼女が戻って来るなら、その時はその時だ。
エリザベスを、今の私に合ったキャラクターに変えていこう。つまりキャラ変だ。
さて、どのように変えていこうかと考えているとお母さまに話しかけられた。
「エリちゃん、気分転換にお買い物でもどうかしら? エリちゃんが欲しいもの、なんでも買ってあげるわよ」
母がそう言うと、父も長兄も次々に同意をした。
こんなに甘やかすから我儘娘になるんだというのに。
私は首を横に振った。
「今は欲しいものが思いつかないので、大丈夫……」
「お洋服や宝石は間に合っているかしら? 同じドレスを二度着るなんてみっともない真似は駄目よ」
二回目の服は古着のような感覚らしい。
浪費がすぎないか?
話題を変えよう。
「お母さま、今貴婦人の方々の間ではどのようなものが流行っているの?」
最近のトレンドを教えてほしいと質問したわけだ。
母は次々に教えてくれた。
「今の流行は、なんといってもリーシャ商会の化粧品ね。化粧水からお粉まで、肌に優しくて美しくなるといってあっという間に売り切れて、入手困難なのよ。わたくしもなんとか手に入れられたけれど、ストックが心もとないわ。エリちゃんも興味があるなら頼んであげるけど、いつ手に入るかは分からないわ」
「今はまだ大丈夫」
「そう。それからモンペール劇団の歌姫、ヴィヴィアンが出るお芝居はなかなか良いわよ。チケットがすぐ完売して、なかなか取れないらしいの。でもうちのボックス席ならいつでも観劇出来るわ」
なんと、劇場に年間契約のボックス席があるらしい。一度は行ってみたい。
お芝居には少し興味がある。
前世でもよく観劇していた。グランドミュージカルから小劇場まで、色々観ていたけれど好きだったのは元気が出る明るい漫画原作ものだった。古典的なミュージカルは、歌も演技もキャストも、美術品に至るまで素晴らしいけど内容があんまり……、と思うことが多かった。まあ古典作品は原作が数百年も前に作られたものなのだ。現代との意識の隔離もあっただろう。
そんなことで死ぬことなくない? と思いつめるポイントもよく分からなかったりした。
それでこの国のお芝居のことを聞いたのだが。
「どのような内容のお芝居が人気なの?」
「美しい恋人たちの悲劇よ。もー、泣けるのよとにかく。みんな感動してお化粧が取れるほど涙していたわ」
「悲劇はあまり、好きではないわ」
前世でも、わざわざ泣ける映画を見て涙してデトックス、みたいなことをする人がいると聞いたことがある。私の感想では、いちいち泣きに行くことはないと思うし、別に感情の起伏を楽しみたくはない。やはり楽しめる舞台が観たい。
そう思っているとランベール殿下が口を開いた。
「叔母上、それは酷というものだ。実際に悲劇を目の当たりにして涙しているエリザベスを、芝居でまで泣かす必要はないだろう」
その台詞は決して可哀想で言っているのではない。
嘲笑して馬鹿にしているのだ。殿下の腰ぎんちゃく……、ではなく侍従のユリアンお兄さまも追従するように頷いて皮肉な笑みを浮かべてこちらを見ている。
キーーッ!
何よ馬鹿にしてぇ!
と今までなら突っかかって怒鳴るところだが、今は無視した。
ちなみに、ランベール殿下が母のことを叔母上と言っているのに、父のことは名前でフィリップと呼び捨てているのは、間違えて王宮内で叔父上と呼んじゃったからと聞いた。
学校で先生のことをお母さんと呼んじゃうくらいのミスと思う。王太子殿下はいくら本当の叔父でも臣下をそのように呼ぶのは駄目なのだ。まだ子供だったからちょっと恥ずかしいくらいで済んだらしいけれど。
私はランベール殿下に目もくれず母に質問を続けた。
「観終わった後、楽しい気分になるような、そのようなお芝居はないのかしら」
具体的には、劇場から出た時に、エールをもらったから私も明日から頑張ろうっと! と思えるようなものだ。
母は頬に手を当て小首を傾げた。
「わたくしはあまり、喜劇を好まないのよね。馬鹿馬鹿しい内容は、しらけてしまうもの」
「では、悲劇か喜劇に二分されるのね」
するとランベール殿下がまた口を挟んだ。
「庶民が好む、大衆演劇では違うものもあるらしいぞ。半裸の男優に、有閑マダムたちがおひねりをこぞって渡しにいくとか」
そう言ってニヤニヤしている。
今までのエリザベスなら
『ちょっと! いやらしいこと言わないでよランベール! 不潔よっ!』
と顔を赤くしていたかもしれない。
だが今の私はそこまで初心でもピュアでもないのだ。
前世で言えば、トップレスバーのダンサーの下着にお札を挟むようなものでしょ、と想像がついてしまう。
だから私はにこやかに述べた。
「御詳しいですね、殿下。殿下もおひねりを渡しに行かれたのですか」
するとランベールは顔を真っ赤にして怒り出した。
「なっ! そんなこと、俺がするわけないだろっ!」
「冗談ですよ、ムキにならないでください」
わざとらしく肩をすくめて言うと、彼はムカついたらしくキッと睨んできた。
ピュアボーイな王子さまが人をからかおうとするから返り討ちにあうのだ。私はまた彼を無視して父に顔を向けた。
「お父さま、おねだりしたいことを思いつきました」
「おお、なんだい可愛いエリザベス。何でも買ってあげよう」
「何でも良いので、実務を任せて頂けませんか」
「……は?」
その間の抜けた声は、父のものだったか、兄のものだったかは分からない。
とにかく、ダイニングを囲む皆はぽかんと口を開けてしまった。
真っ先に気を取り直したのは次兄のユリアンお兄さまだった。
「そんなの出来るわけがない。失敗するに決まっている」
「それでは、失敗しても良い小規模なもので結構です。我が公爵家でしたら、多少の失敗はしても余裕はあるでしょう?」
父はヴィクトルお兄さまと顔を見合わせた後、いつになく歯切れ悪くもごもごと言った。
「今はそういうのも無いから、またあったら頼むことにするよ」
「きっとですわよ、お父さま」
毎日父に確認してやろう。
貴族の令嬢は基本、働いてはいけない。手を動かして働くのは労働者階級であり、それは貴人はやってはいけないということになっているのだ。それで暇だから、恋をしたりストーカーをしたりするのだろう。
まあ、ストーカーをするのはエリザベスだけかもしれないが。
とにかく、暇なのがいけない。大体、男に依存するようになるのは本人が暇で空っぽで、相手に自分を満たすよう求めているからだ。
仕事をして暇でなくなって、充実していればいい。
それには勉強とかぬるいことを言ってないで実務に関わるのが一番だ。
すると三度、ランベール殿下が口を挟んだ。
「暇なら王宮に来い。今、俺の婚約者候補たちが学んでいるところだ」
ぜぇぇっったい嫌だ。
私はすげなく断った。
「行きません。私と殿下は従兄弟で血が濃すぎます」
「お前が婚約者に選ばれるわけないだろ。ただの賑やかしだ」
「普通に嫌なんで行きません」
「なんだと!」
剣呑な雰囲気になったが、母も私の味方だ。
「エリちゃん、行かなくていいわよ。王宮なんて窮屈で厳しいところはエリちゃんには似合わないわ」
「そうよね、お母さま!」
父も頷いた。
「パパも反対だ。可愛いエリザベス、ずっとこの家でのびのび過ごすと良い」
それはどうなんだろう。
行き遅れでも良いと言ってもらえるのはありがたいが、とりあえず生きる術は考えておきたい。
「ありがとう、お父さま。お母さま。お兄さまも」
一家でうふふと笑い合う。
その団欒を、ユリアンお兄さまは冷めた瞳で見つめていた。
では先に部屋に戻ります、と一足先に一人でダイニングを出て歩いていると、後ろからユリアンお兄さまが追いかけてきた。
「エリザベス、働きたいなら良い仕事があるぞ」
「……ユリアンお兄さまのご紹介ですか」
こちらに好感情を持っていないと分かっているので、普通に警戒してしまう。
今までのエリザベスなら、素直に
『何なに? どんなお仕事?』
と無邪気に訊ねていたことだろう。
彼は敏いので、私の反応が今までと違うことに当然気付いたし、私が警戒していることも分かっただろう。
「フン、そんなに身構えなくて良い。こっちだ」
ユリアンお兄さまが案内してくれたのは、普段は立ち入らない場所である地下の蔵書庫だった。重厚な扉についている鍵をガチャリと開けて、中に入る。
埃っぽくて、乾燥している空気を感じた。本棚がたくさん並んでいて、色々な書物がところ狭しと並べてある。
「ここに来たのは初めてです。こんなに本があるのですね」
「子供の頃、罰としてよく閉じ込められたがお前には無関係の場所だったな」
やはり、言葉の奥底には
『俺は厳しく育てられたのに、お前は安穏と暮らしやがって』
というものが感じられる。
私はそれを無視して尋ねた。
「それでお仕事とは」
「本棚の整理だ」
「はあ」
「それも立派な仕事だろう。俺は十歳やそこらから言いつけられていた」
つまり、子供のころ罰としてやらされていたことを、今仕事としてやれという訳だ。
けれど、私は面白いと思った。
多分、この中は知識の宝庫だ。
エリザベスが知らなかった色んな事柄を今の私が学べば、良い方向に転がるかもしれない。
ユリアンお兄さまが差し出す鍵を受け取ると、ずっしりと重かった。それはこの公爵家の歴史の重みを感じたのかもしれない。
「はい。ありがたくお受けいたします」




