2.
その名前を聞き、私は驚きの声を出して固まった。
「えっ!」
「断っても良いが、どうする?」
「えっ、えっ! どうして? 何故来たか、おっしゃってましたか」
「どうだろうねぇ。会いたくないなら、会わなくて良いよ」
何故か、ランベールも口を挟んでくる。
「会うなよ、今更。手ひどく振られたんだろ」
何を言われるのか、怖い。昨日のことで怒って、苦情を言いに来たとか?
でも、アランさまはそんな苦情を言うような人でもないと思うし。口止め、もしくは言い過ぎたフォローとか?
そっちの方が有り得る。昨日教えてもらった、アランさまの個人的なことは言いふらさないと約束しておかないと。
「いいえ。会います」
「そうか……」
会う決心をしたものの、でも、死者を鞭打つような言動は勘弁してほしい~。もうこれ以上厳しいこと言われたら、本当にメンがヘラってしまう。
でも、アランさまに今日も会えることが嬉しいと感じてしまう。ドエムじゃない筈なのに。
私は見苦しくない程度にお化粧で顔を整えて応接室へと降りて行った。
部屋を出たらステイシーとユリアンお兄さまが居た。こいつら許せん!
後で仕返ししてやる!
応接室に入ると、お父さまとアランさまが話をしているところだった。
「いやあ、君も結構面の皮が厚いんだね。昨日の今日で、どの面下げてうちに来ているのかと思うよ」
ちょっと、ちょっと! お父さまがめちゃくちゃチクチク言ってるんだけど!
「お父さま、やめてよ」
「ああ、可愛いエリザベス。つい本音が漏れ出てしまったよ」
職場で部下に嫌味言ってそうでヤだな。
私はアランさまに向き合って淑女の礼をした。
彼も立ち上がって紳士の礼をしてくれる。
「アランさま、どうかされたんでしょうか」
言いながら、彼の手元には魔術の書物があるのを目ざとく見つけてしまって、アッと思い当たる。
昨日、私が『初心者用の書物があったら教えてほしい』と頼んだから、わざわざ持って来てくれたんだ。
律儀か?
口約束はしたけど、そんな、わざわざ昨日振った女の所に持って来なくていいのに。
本の題名教えてくれたらそれで良いって言ってたのに。
すると、彼は本への視線を感じたのか否定をした。
「いや、これは。これもあるんだが……、昨日の謝罪と。それと、求婚をする為にきた」
「…………」
謝罪と言われた時に、そんなのいいですよ、と言おうとしたけどキュウコンと言われて脳が止まった。
ワット?
球根?
きゅうこん……、えっ、求婚じゃないよね?!
いきなりどうした?!
驚いて、マジマジと彼を見上げる。
でも、アランさまはいつもの無表情で、当たり前だけどふざけている感じではない。
固まる私に、アランさまは静かにお願いをした。
「私と再び、話をしてもらえないだろうか」
「え、ええ。構いませんけど……」
とにかく、関係ない人は出て行ってもらう。
応接室になんか関係ないランベールまで居るし、お父さまとヴィクトルお兄さまも同席するってゴネねたけど、扉は開けとくからと無理に追い出した。
それでやっと、二人きりになれた。
アランさまは昨日と同じく、麗しいお姿だ。
私はやっぱり、アランさまの容姿が大好きだ。
でも、アランさまはそうやって容姿を好んで近寄ってくる女性に嫌悪感があると言う。
どうやっても好かれることはない。
それなのに、どうしたんだろう。
二人、ソファに向かい合って座っていると、彼は頭を下げた。
「エリザベス嬢、昨日はすまなかった。酷い言葉を投げつけてしまった」
「いいえ。アランさまの本音を聞けて、私は嬉しかったです。でも、どうして謝罪なんか。誰かに何か、言われましたか?」
何も悪くない彼が謝罪をして求婚だなんて、何らかの圧力がかかったからとしか考えられない。無理強いされてるのかな、と心配になる。
だが、アランさまは首を横に振った。
「誰にも何も言われていない。ただ、本当に反省をして、酷い態度を取ってしまった許しを乞いにきた。謝っても、貴女を傷つけた事実は無くならないが」
「それほど酷いことを言われた覚えは無いです……」
私の言葉に、彼はまた首を横に振った。
「昨日、私は今までに受けた恨みや怒りを貴女にぶつけてしまった。何の罪もない、ただ私に好意を伝えてくれた女性に掛ける言葉ではなかった」
「そう、でしょうか……」
いや~、嫌がってる人に結構ぐいぐい迫ってるんだから、罪はあると思う。
だが、彼は真摯に反省しているらしい。
「そうだ。それに、貴女が私に好意を持っていることは明白だったのに、告白されるまで気を持たせるような態度を取ってしまった。それでいて、いざ気持ちを伝えられると、貴女には関係のない過去の出来事を話して拒絶した。貴女にはどうしようもないことなのに」
「そう、かなあ……」
気を持たせるといっても、今までからアランさまは結構きっぱり私に拒否の言葉を投げかけていた。エリザベスが気にしなかっただけで。
昨日、階段落ちを理由に初めてお茶会に呼んで、少し会話したくらいだ。気のある素振りなんて見せられたことはない。
アランさまはハア、と小さく溜息を吐いてから話を続けた。
「昨日、私は感情を乱され落ち着かないまま帰宅した。そして、どうしてこんなにも心が乱れたかを思い起こした」
「はい」
すごいな、一々反省会とかするんだ。ほんと、律儀で真面目よね。
「そして思い返した結果、私が一番腹を立てたのは、『どんな手段を使っても、子供を守ります。売るなんて、絶対にしません』と貴女が言った時だった」
え、そこ?
まだ生まれても、作ってもない子供の話なんか関係なくない?
そう思ってしまった。
「えっと、はい……」
「腹が立ったのは、当然貴女に対してではない。貴女が将来産むかもしれない子に嫉妬した。私を捨てた両親に怒りを覚え、そして子供の私を弄び助けてくれなかった大人たちに、今も許せないと感じていたんだ。そんな感情、もう無くなったと思っていたのに」
「アランさま……」
「私は長らく、誰にも助けてもらえなかった。それを恨みに思っていて、貴女がただ我が子をどうあっても助けると言った時に気持ちが抑えきれなくなった。そう分析している」
すごく冷静に、自分のことを見られるんだなって思った。
そして、それをわざわざ私に謝りに来て説明してくれるなんて。
「……きっと、アランさまの中には、助けて欲しかった子供のアランさまが居るんだと思います。今まで忘れていても、私が感情をぶつけたから起きてきてしまったのかもしれません」
「眠っていた過去の記憶が起きて来た、か。有り得るな」
「私が、その子も抱きしめてよしよしってしてあげます」
「……! 貴女には、本当に敵わないな」
「その頃のアランさまには、私はどうやっても会えないけれど。今のアランさまを昔のこともひっくるめてお慕いしていますから」
「本当に、ありがとう。そんな貴女だから、結婚したいんだ」
そこが、急に、ほんと、どうした?!
私はどぎまぎしながら確認する。
「あ、アランさまは、本当に本気でそうおっしゃってます?」
「そうだ」
「やっぱり止めた、とか冗談だ、とか言っても受け付けませんよ?! 私、そんなことされたら何するか分かりませんからね?!」
先に脅してしまうのは、エリザベス成分が増しているからだろうか。
しかし、アランさまはやはり心底真面目な様子で頷いた。
「誓って本気だ。昨日ほど、女性と楽しく時間を過ごしたことはなかった。それに、無意識にだが貴女に触れてしまった」
それってひょっとして、魔法を教えようとして手に触れただけでは?
そんなことで結婚とか、責任取るとか、アランさまが真面目すぎて心配になる。
「それで責任を取ろうとするのはちょっと、気にしすぎっていうか……」
「そうではない。いくらなんでも、それで責任とか言い出すほど世間知らずではない」
「あ、そうですか」
それなら良かった、のかな。彼を見つめると、じっとこちらを見つめ返してくる。
こっちが一方的に見るのはいいけど、見つめ返されるのはちょっと恥ずかしいな。
照れて目線を逸らすけど、彼からの視線は感じられた。
「手が触れても嫌ではなかった。それくらい、自然に触れあえたのは貴女だけだ。エリザベス。今までは、嫌悪感が先立っていたからそれははっきり分かる」
「そう、なんですね……」
「それに、魂が私を求めていると言ってくれた。そんな人には、これから二度と会えないだろう。そう思い当たった時に、昨日の拒否の言葉を謝罪、撤回して求婚すべきだと結論付けた」
「えっ、えっ、本当に……」
するとアランさまはソファから立ち上がって私の前まで回り込んできた。
私も反射的に立ち上がる。
彼はなんと、私の前に跪いた。
そして、信じられない想いで彼を見下ろしていると、私の手を取って乞うたのだ。
「エリザベス、私と結婚してほしい」
「はっ……、はい~……」
反射的に返事をしたので、声は裏返っているし心は舞い上がっていて、いまいち記憶にない。けど、私はいつの間にかプロポーズされてそれをお受けしていた。
信じられない!
九回裏ツーアウトから三連続四球の後、逆転満塁サヨナラホームランだよ!
人生にこんな大逆転が起こるなんて。
もうびっくりして、思考回路はショートしてしまった。
そんな私に、アランさまは手の甲に口付けてから上目遣いでおっしゃった。
「エリザベス、ありがとう。貴女の告白に、私の心は震え、揺り動かされ、起きてしまった。もう貴女無しではいられない。これからの人生を、共に過ごしてほしい」
「はい……」
多分、この時の私は白目を剥いていたと思う。
完全に固まってしまい、身体も脳も動かない。
立ち上がったアランさまがそっと私を抱き寄せ抱擁してくれた気もするが、すぐにお父さまたちに引きはがされた。気が付いたら、詳しいことを話す間もなくアランさまは追い返されていた。
私は目を開けたまま気絶していたような状態なので、何も言えずボーっとしていた。




