1.
告白玉砕の翌日になっても、私の涙腺は壊れたままだった。
昨日は泣きながら寝てしまったので、目元も酷いことになっている。
でも、今日から少しずつ前を向いていかなきゃ。今すぐ忘れるとかは無理そうだけど、他の事を考えてちょっとずつ。
と思っているのに、気付いたらボーっとして涙が零れてしまう。
どうして、仲良く話せていたのに自分からぶち壊すようなことをしてしまったんだろう。
でも、あのまま生殺しのようにずっと続けるのも無理だ。一緒に居たら、どうしても期待してしまう。
アランさまが気持ちを寄せられるだけで嫌だなんて、知らなかった。
これを知れて、本音を聞けただけで良しとしよう。
「グスッ……」
やっぱり、今日は駄目だ。勝手に涙が出てしまう。さっきから、本とか書類をテーブルに広げているのに全然頭に入ってこない。いつぞやのヴィンス呪術店の店主のように、姿勢悪くダラーっとソファにもたれかかる。
今日は永遠にめそめそしてしまうから、一人にしてもらっている。マドレーヌにも、今日は休みを取ってもらった。私は部屋から一歩も出ないと約束したら納得してくれた。
いつもの調子でステイシーが部屋に入ってきたけど、厳しい態度で追い出した。
誰も入るなって言ってるのに、どうして平気で入ってくるのか。そういう恐れ知らずな懐への入り具合をエリザベスは気に入っていたのかもしれない。けど今の私はちょっと許容できない。とにかく一人にしてほしい。
それなのに、またノックの音がした。
もう無視だ。入ってきたら厳しく言って叱りつけよう。
しかも、私が応じていないのに勝手に扉が開いた。
許可も得ずに主人の部屋に入るなんて! キッと振り返って扉を見て、入って来た人物を認めて驚いた。
「よぉ、エリザベス。振られて泣いてるんだってな」
「なっ、ランベール! どうして! それに、なんで知ってるの!」
勝手に入って来たのは従兄弟で王太子殿下のランベールだった。
こいつ、普通に扉を閉めてるんだけど!
普通、未婚の男女が同じ部屋で二人きりにならない為に扉は開けておくって知らないのか。第一王子のくせに、物知らずすぎる!
大体、いくら赤ん坊の頃からの知り合いで気安い仲とはいえ、女子の部屋に勝手に入るのがありえない。
そういえば、前も階段から落ちた日に来てたな。どうして私が振られた日に限ってずかずか入ってくるのか、と思ったところでハッとした。
ステイシーか!
彼女が多分、ユリアンお兄さまに連絡して、そしてランベールが屋敷に来てるんだ。
気付くのが遅い! ステイシーが私を裏切ってランベールと繋がっているんじゃないかとやっと思い当たった。そうじゃないと、こんなにタイミングが良く来るわけがない。
ランベールは馴れ馴れしく私の隣に座って、しかも肩を抱き寄せてきた。
近いな。
彼は私の頬に滲んでいる涙を指でぬぐって言った。
「昨日、この屋敷にアランが来て、その後お前が泣きっぱなしなんだ。すぐ分かる」
「だから、どうしてそんなにうちの屋敷のこと分かってんのよ!」
「そういうものだ。アランなんて新聞記者に付けられてるんだ。どうせ今頃、お前たちの記事が面白おかしく書かれているだろうな。エリザベス嬢、言い寄るも手ひどく振られる、くらいには」
「なっ、何よー!」
悔しくて、ぼろぼろ涙が出る。
目を伏せて、ハンカチで涙を拭いていると無理やり顎を持って上を向かされた。
「はぁ、たまらん……」
「え?」
聞こえなかったわけじゃないけど、どういう意味かよく分からなくて聞き返した。
うん、と口の中で呟いた後、ランベールはニヤニヤとしながら私を見下ろして言った。
「エリザベスに良い話を持ってきた」
「……なに」
「お前を、この国で一番高貴な花嫁にしてやろう」
「はぁ?」
「分からないか。王太子妃にしてやろうって言ってるんだ」
はぁ~? 嫌だが?
「普通に嫌だが?」
あ、口に出してしまった。思い切り不敬だが、仕方がない。
「馬鹿、よく考えろ。これだけ人の噂になって嘲笑われているんだ。お前がこの国で誰をも見返す結婚をするには、王太子妃になるしかないだろ」
「なんで人を見返す為に結婚すんのよ! そんなの、誰も幸せにならないでしょ!」
「そんなのは結婚してしまえば何とでもなる。俺とお前は気心も知れているし、お前なら王太子妃になれる。反対意見があっても、俺が潰す」
「いや、だから~。なりたくないし結婚したくないって」
「大丈夫だ、身分も立場も問題ないから」
こいつ、何でこんなに人の話聞かないの?
しかも、何か近い。互いの吐息がかかるくらい近付いている。
「そうじゃなくて~、っていうか、近い! 何なの、離れて!」
私は恐れ多くも王太子殿下の顔をぐいっと遠ざけた。
すると、彼は私の手首をそれぞれ掴み、体重をかけて私をソファに仰向けに寝かせる。手首はソファに縫い付けられた。
何故か、ランベールに押し倒された形になっている。
私の頭の中ははてなマークでいっぱいになった。
「え、どうしたのランベール。何……?」
「お前はいつまでも子供のままなんだな。俺が男だってこと、分かってないだろう」
「分かってるわよ、そんなの。でも、何なの?」
私の手首を握っている手は大きくて、力が強い。動かそうとしても押さえつけられて動けない。
それに、のしかかっている身体も逞しく重い。こちらも動けない。
彼が男だって分かってるけど、改めて分からされているのだろうか。
彼はニヤニヤを止めずに舌なめずりせんばかりの声を出した。
「さあ、どこまでしようか。悩ましいな」
「えっ、何? ちょっと! どいてよ!」
まさかとは思うが、不埒なことをするつもりじゃないだろうな! ランベールのくせに! いやでも、そんな、まさか!
誓って言うが、私とランベールの間にそんな雰囲気が発生したことはなかった。
いつも意地が悪く、好意のかけらも感じられたことはなかった。
だったらつまり、これは嫌がらせだ。
嫌がらせで普通ここまでする?
私は怒って言った。
「ふざけないで! やめなさいよ!」
「ふざけてない、本気だ」
だったらなんでそんなにニヤニヤしてるんだ。許せん、頭突きしてやる!
それに、扉のすぐ近くに居る筈のステイシーとユリアンお兄さまも許せない!
「ちょっと! ステイシーにユリアンお兄さま! 早く扉を開けなさいよ! もーやだ! 放してっ!」
「少し静かにしろ、エリザベス」
そう言ってランベールの顔が近付いてくる。
え、うそ。このままだとキスされそうなくらい近いんだけど!
慌てて首を横に背けると、ククッと喉の奥で笑われた。
「どいてよっ! このことは、お父さまに言いつけますからね!」
「後で言ったって、手遅れならフィリップにもどうしようもない」
「……! やだって!バカァ!」
めちゃくちゃ暴れたけど、全然動けない。ジタバタしようとしても、抑え込まれて全然抵抗出来ないことに気付いた。
嘘うそ、こんなことありえないんだけど!
しかも、体力がなくて暴れたらすぐ疲れる。全然動けない。
彼は嘲るように言う。
「おいおい、こんなにひ弱でろくな抵抗も出来ずに、今までよく無事でいられたな」
「なっ、何考えてんの!」
「悪いようにはしない。俺に身を任せろ」
「絶対ヤだ! 嫌よっ!」
「嫌がったって、今のお前にはどうしようもな……っ、痛っ!」
突然、のしかかっていた重みが消えた。ランベールがべりっと引きはがされ、床に転がされた。
「可愛いエリザベス、大丈夫か」
「ヴィクトルお兄さま! 助かりました、もう悪ふざけがしつこくて」
私がホッとしてヴィクトルお兄さまの差し出す手に縋ると、彼は引き起こしてくれた後さっきのランベールの代わりに真横に座った。
ヴィクトルお兄さまもなんか、近いな。
彼は私にはにっこりとしてよしよしと頭を撫でてくれた後、ランベールに氷のような冷たい視線を向けた。
「このヘタレが。お前の敗因は本音を伝えなかったことだ」
「ハ、何を。というか俺は王太子だぞ! なんという扱いだ!」
それには私は文句を言う。
「何が王太子だぞ、よ! そう扱われたいなら、相応しい振る舞いをしなさいよ! もうあんたなんて出禁よ! お父さまに言いつけるから!」
「チッ……」
舌打ちとかする王子さまいる? ほんと、何なのこいつの態度。やっぱり子供じゃん。
お兄さまはお兄さまで、私を抱きしめて頭を撫でてベタベタしている。
「エリザベスが大人になっても可愛いと思うけれど、今のままもう少し居てほしいんだ」
「はい。それにしてもヴィクトルお兄さま、よくタイミング良く来てくださいました。助かりました」
「それなんだけど。エリザベスに客が来ていてね。会うかどうか、僕が確認する為に来たんだ。偶然だよ」
「どなたが来られたんですか」
一拍置いてから、彼は驚きの名前を出した。
「アラン・バーテルス魔術伯だよ」




