5.
ロナルドは中年だけれど夢見るお坊ちゃんといった様子なので、余計に心配になる。どうにも、もじゃもじゃした髭が温和そうなのんびりした感じを見せて、有り体に言えば頼りない。有能では無さそうに見える。
すると彼は、少し考えてから口を開いた。私の心配に応え、自分語りをしてくれるようである。
「……私の原初の仕事体験は、子供の頃に祖父に連れられ、片田舎で手伝いの真似事をしたことです」
「それが楽しかったのね」
「はい、それはもう。二十年ほど前のことですので、今より流通も悪く、田舎ではどのような商品でも喜ばれました。その中でも人気があるものと無いものがあり、どうすれば全ての商品が売り切れるのか、生意気にも祖父に意見をしたものです」
「お祖父さまも喜んでいたんじゃないかしら」
「そうですね。祖父は多くを語りませんでしたが、見本として商売の様子を見せてくれました。初めて心付けをもらったのも、嬉しかった思い出の一つです」
「心付け。やっぱり必要なのかしらね」
今まで、全然渡したこともなかった。支払いは父がしているというのもある。基本的に、貴族の令嬢は現金なんて持ち歩かないし。
すると、彼はふふっと思い出し笑いをして言った。
「その田舎で一番の豪農の屋敷の料理番が、これからも頼むよと甘い菓子をくれたのです」
「可愛い心付けね」
「なんてことはない、その料理番は私がイダルゴ商会の孫息子であることを知っていた上で、将来を買ってご馳走してくれたのです」
「ま~、なるほど。しっかりしているのねえ」
「そういうやり取りも、面白いと思いませんか」
いやー、私にはあんまり。商売とかよく分からないし。
それを正直に告げる。
「私は商売を楽しいとも面白いとも思えないの。人とのやり取りも煩わしいわ。楽しく感じるのは、貴方が商売人に向いているからでしょうね」
すると、彼はパッと顔を輝かせた。今までで一番嬉しそうな表情だ。
「エリザベスさまに認めて頂き、大変光栄です。そのご慧眼に基づいて、これを買って頂けないでしょうか」
そうして胸元から大切そうに包みを取り出す。
出て来たのは、巨大なルビーの宝石だった。まだ指輪にもブローチにも加工していないので、塊で輝いている。
「これはまた立派な、赤い石ね」
「はい。父が鉱山より直接買い付けたものを、加工もせず石だけの状態で母に贈ったのです。母は、こんなのどうやって使えば良いんだと半ば呆れていました」
「それでこのまま、使わずにしまっておいたの」
ロナルドは懐かしむようにルビーに優しい眼差しを向けた。
「母は、こんなに立派なものを商売人の妻が付けるわけにはいかないとか色々言っていましたが、父がくれたこのままで残しておきたかったような気がします。母が亡くなる前に、私の妻となる人に贈るよう言われ、譲り受けました。不甲斐ないもので、私は妻も迎えず、一切の財産を放棄する形で商会を追い出されることになりました」
「そう。つまり、この石が唯一の商売の元手ってわけね」
これを買い取ったお金で、商品を仕入れて売りに行く。最後の種銭だ。
「はい。流石エリザベスさまでございます。いくらでも構いませんので、言い値でお買い上げください」
「それには条件があるわ」
「私に出来ることは少ないと思いますが、何なりと」
よしよし、言質を取れた。
彼には色々手伝ってほしいと考えていたところだった。商会を追い出されて一商人となって僻地に行くのも、逆に良かったと思える、かもしれない。
いや、大商会の会長でたくさんの人を使える身分の方がありがたかったけれども!
「まず、うちの……、セントリム公爵家の領地の中で、お金持ちで新しい物好きな人を見つけて仲良くなってきて。あ、この場合のお金持ちっていうのは、ケチケチせずに高くても良いものを買うってことよ」
「はい。既に心当たりはございます」
「あと領地の中でも、特に僻地の、なかなか情報が伝わりにくい場所に行って拠点を築いてほしいの」
「それは……。いえ、それが条件でしたら、喜んで」
もっと便利なところで仕事をしたかっただろうけど、ロナルドは頷いてくれた。
「公爵家の御用達ではなくなったけれど、私の御用達ってことにして名前を使って。それで商売がやりやすくなるなら、私の名前を出していいわ」
「よろしいのですか」
「ええ、本当に御用達にしたいもの。それから、以前私と一緒に買い物に来ていた侍女、ステイシーって言うんだけれどね。彼女がもし、年上の頼れる殿方に甘やかしてもらって、我儘な言動も許されて満たされたら、可愛らしい女の子になると思わない?」
すると、今までにこやかな様子だったロナルドがスンッと真顔になってしまった。笑みの形をしていた瞳が、真っ直ぐになっている。そして心底答えに詰まっているような声を出した。
「いやぁ~……、それはどうでしょう……」
「今は満たされていないから、足りないものを求めていると思うのよね。器の大きな、大らかな男性が傍に居て可愛がってあげたら、愛嬌があって商売上手な美人になると見ているんだけれど」
「……いくら満たしても、底の抜けた器には何も溜まらないものです」
「底ごと包んであげるとか」
「それに、いくら商売上手になろうとも、彼女には商売の本質は分からないでしょう」
商売の本質。売り手と買い手の双方が満足することだろうか。
まあ私も分かっていないのだが。
小首を傾げて尋ねる。
「本質を教えてあげたら、分かるのではない?」
「確かに、商売上手にはなるかもしれません。しかし、顧客の為に売るのではなく、自分の欲を満たす為の商売に始終するでしょう」
「そんなの分かるの?」
「そういう性根、本質だと見えました。それは誰が何を言おうと変わるものではありません」
「……そう、残念だわ」
ステイシーを連れて行ってもらう計画は、ロナルドの抵抗によりとん挫してしまった。若くて可愛い女の子と二人旅だと喜ばれるかなーって思ったのに、絶対に嫌だという強い意志を伝えられ仕方なく諦める。
部屋の空気も微妙になってしまって、ちょっと部屋がしーんとなった。
気を取り直して、包まれた布ごと目の前にあるルビーを取り上げて言った。
「この石の買い取りだけど、私は現金を持っていないの。でも、お父さまにおねだりしてお金を払ってもらうのも、ちょっと違うと思うのよね」
「はい」
「だから私が持ってる、ドレスとか宝石とかと物々交換にしてちょうだい。それらを売って得た金額が、ロナルドの商売の元手ってことで」
「本当によろしいのですか。公爵家ではなく、エリザベスさまと直接取引が出来るのは、本当に助かりますが」
御用達じゃなくなったのにお父さまとの商売をしていると見られたら、また商会に財産没収とかされるのかもしれない。
まあ、私のドレスや宝石だって元はお父さまが買ってくれたものだから、詭弁と言えば詭弁なんだけれど。
私は勿論、頷いた。
「ええ。古着と要らないものをまとめておくわ。都合の良い時に引き取りに来てちょうだい」
「ありがとうございます……!」
ロナルドは立ち上がり、深々と頭を下げた。
私は考えていたことを少し口にする。
「色々な商売の仕方があるから、希少性を出して利益を引き延ばして、っていうやり方もいいのかもしれない。でもね、私はそうじゃないやり方を望んでいるのよね」
「はい」
「さっき、買う方も売る方も喜んでたら幸せって言ってたじゃない」
「ええ、私はそのように考えています」
私はパッと立ち上がって持論をぶつけた。
「買う方と売る方と、あと更に社会も良くなるといいなって思っているの」
「社会、ですか」
遠い昔、前世で聞きかじったことを披露する。
「そう。ずっと昔の言葉で三方よしっていうのを書物で見たことがあるわ。社会、つまり地域とか世界とか、そういうことね。商品を売ることによって、買う方も喜んで、今より便利で良い暮らしになったら、みんなが幸せでしょ」
「三方良し。それは素晴らしい理念です。私もそのようになりたいものです。とは言っても、今から出発する出遅れ商人ですが」
それを聞いて苦笑する。
「自虐はやめて。遅咲きの花は黙って綺麗に開くかもしれないでしょう」
「はい、心に刻みます。もう一つ、図々しいお願いをしたいのですが」
「何かしら?」
「エリザベスさまのお名前を、商会の名前に付けたいのですが」
「えー。うーん……」
あまり気が乗らない。名前は出して良いって言ったけど、新しい商会を私物化するみたいなのはちょっと。
しかしロナルドも粘る。
「お名前の全てではなく、一部でも良いのでお願い出来ませんか」
「エリとかベスとか? うーん、でも語呂があんまり良くなさそうだし……」
「そんなことはございません。しかし、それほどお嫌でしたら、それではサンポウヨシの名前を使ってもよろしいでしょうか」
「あっ、それ良いわね! サンポウヨシ商会、いやでも語呂悪くない? サンポウ商会だと短いかしらね」
「サンポウ商会、素晴らしいです。それでお願いいたします。ありがとうございます!」
こうして、新しくサンポウ商会が誕生した。
着ないドレスと使わない宝石をまとめてみると、結構な量になってまたロナルドは恐縮していたけれど全部持っていってもらった。
そして彼は、この国の中でもとても不便な、公爵家の領地の東の最果てに旅立ったのだった。