4.
その日の夕食は父母と私の三人で、ヴィクトルお兄さまは出掛けているようだった。
父がニコニコとして言う。
「可愛いエリザベス、リーシャ商会の商品は気に入ったかい」
「ええ、まあ。お父さま、色々買って頂いてありがとう」
「そろそろ、リーシャ商会をうちの御用達にして良いかもしれないな。イダルゴ商会は、ツキに見放されているという話だ」
母も頷く。
「やはり、先代のイダルゴ会長が亡くなったのが躓きの始まりでしょうねえ。今の会長は、商売っ気が無いみたいだもの」
へー、商人なのにそんな商売っ気が無い人もいるんだ、と思って聞いていると父がこちらを見て言った。
「大体、顧客が要望しているのを用意しないのが悪い。可愛いエリザベスが希望した商品を持ってこず、己が見繕ったものを売りつけようとするなど」
「えっ! そんなこと、あったかしら……、あー! そういえば、あの時ね」
あった。思い出した。
今のイダルゴ商会の会長は、三十代くらいの、人の好さそうな髭もじゃおじさんだ。ニコニコはしているが、基本的にライナスのようなお世辞は言わない。
そして、エリザベスがまだ子供なのにお母さまのようになりたいとキツい化粧品や真っ赤な口紅を望んだ時、別のものを渡したのだ。
『お嬢さまにはこちらのお色の方が似合います』
濃い紅や、匂いのキツい香水、肌を覆い隠す白粉など欲しいものを全部反対されたエリザベスは激しく怒り、もう貴方からは買わない! とへそを曲げたのだった。
でも、それってエリザベスの為には良い判断だと思う。彼はきっと、エリザベス度を下げるのに必要な人材だ。
阿らず、ヨイショせず、従うだけでなく正しいアドバイスをくれる人じゃないの。
私が色々思い出していると、母は話を続けた。
「彼、頼りないでしょう。だから相続した後、先代の兄弟たちが口を出したり揉めて商会が空中分解を起こしたのよ。積み荷の強盗被害に遭ったり、海難事故にあったりする不運もあったみたいだけれど、一番は顧客の望む立ち振る舞いが出来なかったことね」
一般的な貴族の顧客は、ライナスのような言動を好む。
それが出来ず、またリーダーシップも無かったからうちとの大口契約を打ち切られ、その座をリーシャ商会に奪われるのだ。
でも、今の私はイダルゴ商会に興味がある。
利益を優先して売りつけるより、客に良いものを勧めたその心根を聞いてみたい。
「お父さま。私、イダルゴ商会に行ってみたいわ」
「えぇ? どうしてだい」
「リーシャ商会との差を見てみたいの」
「構わないが、出向くのは駄目だよ。ここに呼びつけなさい」
「はーい」
「ふふ。エリちゃんもお買い物が好きになったのかしら? お母さまは嬉しいわ」
「えへ……」
ほんと、甘い両親が居たらやりたい放題だな。
こうして私は、イダルゴ商会の会長であるロナルドを呼び出した。
彼は記憶にある通り、人の良さそうな髭もじゃのおじさん……、まあ三十代で会長としては若い方だが、ライナス程のいかにも出来る感じがしない。笑みの形に細められた目と口元を覆う髭という見た目からして、良い人そうではあるけれどあまり商売上手な雰囲気ではないのだ。
大きな商会の会長というより、町の商店の店長くらいだったら似合うかもしれない。
応接室に招かれていたロナルドは、私が入室すると如才なく挨拶をした。
「本日はお招きいただきありがとうございます、エリザベスさま。商品は無くとも良いというお言葉に甘えて、特にめぼしいものは持参しておりませんが本当によろしかったでしょうか」
「ええ。話をしたかったから。どうぞかけて、楽にしてちょうだい」
使用人たちを下がらせ、マドレーヌだけに控えてもらう。だから今、応接室は三人だ。
彼はさっそく口火を切った。
「エリザベスさまがしたいお話というのは、化粧品の一件でしょうか」
話が早い。彼はこういう時の定石である雑談から入らなかった。
私としてはそれはありがたいけど、色々お話をしたいタイプのお客さんだと単刀直入すぎてムッとなるのかもしれない。
私はそっちの方が助かるという空気を醸し出しながら頷いた。
「ええ。貴方にしてみれば、私が望んだ商品をそのまま買わせた方が簡単でお得じゃない。わざわざ別のものを薦めるから、あの時の私は怒ってしまったでしょう」
「今のエリザベスさまならば、既にお分かりなのではありませんか」
おお、見透かされている。
「私に似合わず、肌にも良くないという判断かしら」
「そうです。エリザベスさまには、濃い化粧など必要ございません。もし、もう一度あの商品を求められても、私は再び別のものをお勧めいたします」
「それは、貴方の独断ではないの? 似合わないと判断して、買うのを諦めさせるわけでしょう」
私の意地悪な問いかけにも、ロナルドは穏やかに淡々と答える。
「別の商品をお勧めし、試していただき、そちらの方が気に入ったら購入いただくという形にしております。あの時、もしエリザベスさまが私のお勧めする化粧品で試しにお化粧なされたら、それはもう美しい仕上がりになったと確信しております」
「そう。あの時の私は、どうして貴方の言うことなんて聞かなきゃいけないのよ! と聞く耳を持たなかったものね」
そう言うと、彼はサラリと言い難いことを告げた。
「それもありますが、エリザベスさまは上手く乗せられていたように見受けられました。私のような商人の言うことを聞く必要はない、言われたものを早く出すだけで良いと教えられ、それを疑うことなく信じ込まされていた。そんなことはございませんか?」
ステイシーだ。
彼女が太鼓持ちとなって、エリザベスを頭の軽い神輿として担ぎ上げ、傍若無人な振る舞いを常としていたのだろう。
まあこの世界に太鼓もお神輿は無いのかもしれないけれど。
とにかく、ステイシーは一切の悪気がなくエリザベスを持ち上げる。貴族の令嬢なんて持ち上げてなんぼだと考えそのような言動をしているのだろう。
けれどロナルドは、ステイシーの言動が度を越していて、エリザベスに悪影響かと懸念していた。
これは、慧眼そのものだ。
その時のエリザベスにしてみたら余計なお世話だったが、今は違う。
こんな風に、見なくても良いところを見て意に添わなくても差し出がましい言動をするから、ロナルドは干されたような気がする。
「……よく分かったわ。今の私には、貴方のような人材が必要だということが」
「それはありがとうございます。しかしながら、既に私にはエリザベスさまをお助けする力はありません」
「ああ、うちの御用達じゃなくなるって話ね」
私が知っていると応じると、彼は首を横に振った。
「それだけではございません。私はその責を取るために、イダルゴ商会の会長を辞任しました。実際は解雇で、身一つで追い出される形です」
「えっ! じゃあこれから、どうするの」
「イダルゴ商会からは離れ、一商人として行商から始めます。この年で再出発だと笑われるでしょうが、実は胸が躍る思いです。これから、初めて知る世界でどのような出会いがあるのか、とても楽しみにしています」
淡々とにこやかなので、本心なのかもしれないが心配になる。
「だって貴方、何代も続く名門商会の御曹司だったんでしょう。そんな、行商から始めるだなんて大丈夫なの……」
前世でいうところの、大企業のお坊ちゃんだ。苦労知らずだろうし、商売っ気が無さそうだし、そんなので一人旅してもすぐ騙されて一文無しになるんじゃないかと思ってしまう。
すると彼はニコッとして口を開いた。
「商売しか知らないというのもありますが、欲しい人のところに良いものを届けるというのは、本当に満足感を得られることなのです。買う方も売る方も互いに満足など、幸せな仕事だと感じています」
「それはそうかもしれないけれど、本当に大丈夫なの」
私には、聞いているだけで不安しかない。




