2.
ライナスは真摯に考えているかのような、そして情がたっぷりこもった視線で私を熱く見つめた。
「お嬢さま、その製品とは近頃メルヴィス工房で話題の品でしょうか」
「ええ。耳が不自由な方の為の魔道具なんだけれど、ごく小さな魔力の人、お年寄りや子供でも使えるように作っているところなの。でも、医療に関連する魔道具って、神殿を通したりしなきゃって言うじゃない? 私、そういうの面倒で」
「お嬢さま、それは是非我が商会にお手伝いさせて頂きたい。当会ならば、どのような煩雑な手続きでもお嬢さまのお手を煩わせずに全て執り行うことが出来ます」
はい、食いついてきた。
でももう遅い。リーシャ商会の情報は全て古いし後手後手になっている。
私は勝利を確信してにっこりして言った。
「でも、やっぱり結構よ。神殿に通えないような人にも届けたいから、お医者さんを通して買えるような仕組みを考えたいの。それに、希少性とか高めるのはちょっと。赤字が出ない程度の少しの利益で、欲しい人に広く渡るようにしたいのよねぇ」
「なるほど、お嬢さまはご立派でいらっしゃる」
「今まで、あまり慈善活動をしてこなかったの。お母さまは熱心にされているから、私も少しは見習おうかと思って」
母である公爵夫人まで持ち出した。ライナスは何も言えなくなったことだろう。
それでも彼は、手間の割には全く儲からない仕事でも最初の一歩と考えたようだ。
「お嬢さま、その慈善活動のお手伝い、ぜひ当会にお手伝いさせてください」
「あら、いいの? 利益にはならないのに」
「はい、勿論でございます。リーシャ商会の使用人や、私どもの取引先の方々にも、その魔道具を使えばもっと暮らしやすくなる者はおります。それを広めるお手伝いが出来ることは、とても光栄でございます」
「ありがたいわ。リーシャ商会に手伝って頂けるなんて、頼もしい限りね」
こんなに上手くいって大丈夫かと思うくらい、順調に話が進んだ。
はー、やれやれと息を吐くと、ライナスが手を打った。
すぐに美女がティーワゴンを運んでくる。
「珍しいお茶と茶菓子を用意しました。是非お楽しみください」
陶磁器のティーカップには、持ち手がない。そしてティーポットというより、この形状は急須。
どう見ても茶器だ!
私がじーっと見守る中、美女が急須から茶器にお茶を淹れる。漂ってくるのは、ジャスミンの香りだ。
ジャスミンティーだ~!
しかし、本当に残念なことに、前世の私はジャスミンティーが苦手だった。
もし好物だったら嬉しい顔をして飲んでいるところだが、匂いがちょっと。それよりは緑茶とか玄米茶が飲みたい。この世界にひょっとしたらあるかも。
茶器を目の前に置かれて、やはりジャスミンの香りが漂ってくる。
お茶菓子は、月餅に見える。中に餡とか入ってるんだろうか。
うーん、でもここで余計なものを食べて変な反応するのもなあ。
「どうぞ、お召し上がりください」
勧められてるけど。葛藤の末、私は断ることにした。
「花の香りのするお茶は苦手なの。そろそろ帰らなければいけない時間だし、お暇するわ」
「えぇ~!」
勿論、抗議の声をあげたのはステイシーだ。
「欲しかったら、貰って帰りなさいよ」
「そうします!」
ステイシーは侍女用のスカートのポケットに月餅を突っ込んでいた。
この調子では、ステイシーをここに置いていくと言っても断られるだろう。
ライナスは甘い男ではないという空気がビシバシ感じられて、私はステイシー営業配置転換を諦めた。
見送りをしてくれたライナスは、最後慇懃に私に礼をして言った。
「もしお嬢さまの次の製品がありましたら、是非ともそれも当会で扱わせてください。ご満足いただけるように販売いたします」
「それは分からないわ。製品が出来上がるかどうか、売れるようなものになるかも未定だもの」
「開発段階からご協力も可能です」
「機会があれば、またね」
馬車に乗り込んで感情抑制の魔法を解くと、どっと疲れが出て来た。
反動が多少はあるのだ。
私はシーラに甘えてもたれかかり、馬車の中でダラダラし始めた。
シーラと爺やが私を褒めてくれる。
「お嬢さま、本当に立派になられました。あのような商人と渡り合えるだなんて、感服いたしましたわ」
「あの場を支配していたのは、完全にお嬢さまでした。爺やも感服しましたぞ」
疲れながらもえへへと笑う。
「やっぱり、みんなが居てくれて心強かったわ。黙っていても、みんなが心の中で応援して励ましてくれてるのが分かったもの」
それに水を差すのはステイシーだ。
「でも勿体なかったですよ。もっと良いもの貰えたでしょうに、お茶菓子だけしか貰えなかったし」
「やめときなさい。ああいう人から物を貰ったら、ろくでもないことにしかならないわ。タダより高いものはないのよ」
「でも、あの人たち、きっとすごく怒ってましたよね。私、ちょっと怖かったですもん」
「あー……」
ライナスはにこやかながらに、そして黒衣の護衛は無言ながらにムカついていたんだと思う。
でもでも! 先に喧嘩を売ってきたのは向こうだし! 私はそれを跳ね返しただけだし!
屋敷に戻ると、母が既に帰っていたのでさっそく話を聞いてもらう。
「お母さま! 聞いて聞いて。私、リーシャ商会の会長に会ってきたの」
「まあ。一体、何があったの」
母は可笑しそうに微笑んで聞いてくれる。
でも、私が語り進めるにつれて真顔になって、最後の方は無言のまま目を瞑って眉間を揉み解す仕草を見せてきた。
そして語り終えると、大きな溜息を吐いたのである。
「ハァ……」
いつも優しい母がこんな態度を見せたのは初めてである。私はおずおずと尋ねた。
「えっと、お母さま。私、まずいことしちゃった?」
「あのね、エリちゃん。人と対決する時も、あくまで逃げ道は残しておかなきゃいけないの。相手を完全に叩きのめす勝ち方は、恨みを残すからね」
「えっ。私、そんなことしてない……」
反撃はしたけど、叩きのめすまではいってないと思うんだけど。
しかし母は首を横に振った。
「相手に無理難題を吹っ掛け、結局こちらの要望を飲ませるまでは良かったわ。でももてなしを拒否し、他の商品を何も買わず売らず、最後に相手の要望を拒否して帰ってきたんでしょう。それはもう、商会に喧嘩を売っているのと同じよ」
「えぇ~。相手の方が喧嘩を売って馬鹿にしてきたのに……」
「それは様子見からのじゃれ合いのようなものでしょう。エリちゃんはそれに武装騎士集団に襲わせて勝ったようなものよ」
「そんなこと言われても……」
お茶菓子を食べて雑談して、何か商品を商会から買えば良かったのかと今更思う。
でも別にお茶も飲みたくなかったし、欲しいものも無かったし。あのライナスとあれ以上やり取りするのも嫌だったし。
侮られてると思うと話をするのも嫌だなって思ってさっさと帰ってしまった。
母は忠告する。
「あの手の男は、蛇のようにしつこいわよ。受けた恨みをずっと覚えていつか仕返ししてくるわね」
「そんな~。どうすればいいの?」
「やっぱり、商会で買ったり売るものがあれば頼むのが一番よ」
「でも、向こうは十分に儲けてるでしょ。それにちょっとやり返しただけで恨まれるなら、もうあんまり関わりたくないわ……」
「そうねえ。関わらないのが一番かもしれないけれど。それで済むかしらね……」
「えっ、そんなに? そこまでなの?」
自分的にはちょっとした反撃くらいに思っていたのだが。ひょっとして私、ざまあの対象になってしまった?
ライナスが私のことを忘れてくれますように!
それでも翌日、リーシャ商会からは補聴器の販売に関しての締結書が届いたし、商売はやるらしい。
締結書は読んでも全く分からないので、法律家のセルジュ先生を呼んでもらった。
ここの世界の法律家は、いわゆる弁護士や弁理士の仕事をしているようだ。
法に則って解釈し、依頼を引き受ける。
それにしたって、特許申請から商売の締結書確認までするのは仕事の範囲が大きすぎる。
この人のお仕事は大変だなあ、と思いながら書類を渡した。
「ご苦労さまです、セルジュ先生」
「やめてください、先生呼ばわりなど。エリザベスお嬢さまこそ、昨日の今日でよくぞここまで話を詰めてこられましたな。流石です」
「たまたま、話が進んで。でも、私、やりすぎたのかもしれなくて」
私は昨日の、ライナスに仕返しされるかもしれない一件を話した。
セルジュは聞いた後、あっさり請け負ってくれた。
「お嬢さまは法的に何の過失も犯していません。むしろ、向こうの行動の方が法に触れそうだ。工房への侵入が、その商会の指示によるものなら犯罪示唆です」
「そうよね! 良かった~」
セルジュは私がしごできだと認めてくれたようで、とても親身に書類仕事を請け負ってくれた。
あとは彼が監修したこの書類を元に、公爵家とリーシャ商会の業務を提携すれば良い。
目先の仕事が思い通りに片付きそうで、私はホッとしながらセルジュを見送って部屋に戻った。
自室で、リーシャ商会との契約締結について書類を見直していると、ちょっと不安な気持ちと楽観視する気持ちが混ざっているのに気付いた。
母が警告してくれた警戒心が半分、セルジュが安心させてくれた言葉に乗っかりたい気持ちが半分だ。
その時、ハッと思い当たることがあった。
自分に都合の良い意見ばかりを信じ、重用するのはエリザベスの性質であると。だから彼女は、太鼓持ちのようにヨイショしてくれるステイシーと仲良くやっていたのだ。
そして、母の警告を重視して気を付けなければと感じているのは前世の私。
つまり、エリザベスの度合いが高いと調子に乗ってイタすぎる言動をしてしまう。私は最近の己を顧みた。自分は調子に乗っていなかったかを、だ。
思い返した結果、平気で親に甘えていた。良いように利用していたし、多少の我儘くらい大丈夫だろうと上からだった。
そして爺やとシーラにも平気で自分に付き従うよう命じ、リーシャ商会に必要以上に失礼な態度を取った。そしてライナスにかなり恥をかかせてしまったのだ。それも、母に指摘されるまで気付かないくらいナチュラルに高圧的だった。
「あぁ~……」
これは、エリザベス度を下げて前世度を上げていかないと。
前世度、とは私が勝手に作った造語だ。前世の私の、空気を読んで気遣う言動を心掛けるということだ。
それには、どうすれば良いか。
耳に痛い忠告でもちゃんと受け止めて考える。人を必要以上に追い詰めない。イエスマンで周囲を固めない。後は、我儘と甘えは控えるのが良いだろう。
以前、前世の記憶が蘇ったのはエリザベスが死んでしまったからではないか、と考えたことがあった。
しかしそれは間違いだ。私の中に、エリザベスは確実にいる。
私の中というか、この身体の中に私とエリザベスが混ざり合って存在しているのかもしれない。前世の記憶を取り戻したけれど、エリザベスの記憶も持ったままなのだから。
このまま上手く融合していって、落ち着いたエリザベスとなってほしい。