11-7
東の空に太陽が昇る。空が白から青に染まる。
僅かに雲が浮かぶ朝の空、その下にエドンの朝を告げる鐘が鳴る。
ユートが朝を告げる鐘の音を聞くのは、本日で二度目。南区から中央区とを隔てる堀を超える橋の上でのことだった。
ユートの隣にはケラウス。今日は二人そろって歩いている。
「しかし、金のことを考えないといけないとは星の海から来た人間も俗っぽい悩みを抱えてるんだな」
ユートは苦笑いをして応える。
「金で解決出来るのは幸運だよ。俺みたいなのが、当たり前のように買い物が出来たり街を歩けるのも『お金』と言う保証があるから。通貨と言う法≪ルール≫がいかに偉大かよくわかる」
「違いねえ、いくら魔法使いだって魔法で脅して無理を通しちゃ、このエドンの地を堂々と歩けないからな」
ケラウスの笑い声が朝の空に響いた。
◆◆◆
朝早く、ユートとケラウスは二人そろって屋敷を出た。昨日は別々に行動をしていたが、今日はケラウスも同行している。
昨夜、金属加工の事業をしたいとの申し出に、ウエは快く返事をした。だが、商売をするには、既存の職人たちに話を通す必要がある。
もちろん、ウエから交渉の助けとして書状は預かっている。ユートは腰のポーチの中にその存在を確認すると、ケラウスの顔を見る。
(エドンの門番とのやり取りをみても、ケラウスさんはこの街でも顔が知れている)
ユートが一人で来ていたのなら、門番に呼び止められて街に入れなかったかもしれない。経験を蓄えた逞しい顔を改めて眺めた。
◆◆◆
エドンの中央区は、別名旧市街地と呼ばれている。
ウツロブネによる入植が行われる前から存在した石造りの町並みで、石で組み上げられた建物は、周辺の木造家屋よりも一段背が高い。
その中でもっとも高いのが東西南北、四方に立つ塔。時を告げる鐘はその先端の鐘楼にあり、昔からこの地に穏やかな音を届けてくれている。
「中央区に、鍛冶屋の工房があるんだっけ?」
「そうだ、それ以外にもエドンに昔から根をはってる商人や職人は、中央区に住んでいる」
「なるほど」
ユートは周囲を観察する。言われてみれば、道行く人々の様子も他の街並みとは異なっている。
(着物とかの和装が混ざった姿じゃなくて、しっかりとした皮や毛織物の洋装が中心だ……)
それも、冒険者が使うような実用性を重視したものではない。人に見られることを前提とした、華やかな装いだ。
◆◆◆
中央区のその中心に伸びる大通り。そこから伸びる細い道に入ると、目的地が見えて来た。
看板の掲げられた、飾り気のない外壁の大きな建物。
ワンドガルドの文字で『ムラマサ工房』と書かれている。
「ここが、ウエ様の言っていた場所か」
昨夜、ウエから尋ねるように言われた建物だ。
「ああ、この工房の親父は、ここいらの鍛冶屋の元締めだからな」
「うん、失礼のないようにしないと」
誇りをはらって服を整える。その様子をケラウスは微笑んで見守る。
「準備はいいか」
「うん、大丈夫」
確認すると、工房の扉を開けた。
「失礼します、ムラマサ工房はこちらでしょうか」
重い鉄の扉を開くと、鉄の匂いがした。
石畳の床の上には重い何かを引いたような跡がある。壁には見本のように日用品が並んでいる。その中に、いくつか剣もあった。
「おーい、いないのか?」
だが、人の気配がなかった。それだけではない。
(……おかしいな、金属の加工をしている割には火の気配がない)
音もしなければ、空気はどこか寒々としている。
「なんだ、もうちょっと奥に行ってみるか」
ユートは頷く。それを確認するとケラウスは奥の部屋へと入っていく。
部屋に入った瞬間、ケラウスは一瞬足を止めた。一歩遅れたユートは、目に入ってきた状況を見て納得する。
(壊れた金属製品が乱雑に散らかってる)
床の上に、穴の開いた鍋や折れた金属の棒が散らかっている。しっかりと動いている工房とは思えない状況だった。
「おーい! ムラマサー!!!」
たまらずケラウスが大声で呼び。
ややあって、部屋の奥から人の影がのっそりと出て来た。
「……なんだ」
覇気のない声だった。
声の主は浅黒い肌をした、ケラウスと同じくらいの年齢の男性。口ひげを蓄えた厳つい顔が鋭い視線を向けてくる。
「おう、ムラマサのダンナ、久しぶりだな」
「……ケラウス、ケラウスさんじゃないか」
だが、来訪者が知古の人間であると知ると、一気に緊張が消えた。
小柄ではあるが、がっしりとした筋肉の付いた肉体。
(まるで、物語の中のドワーフみたいな姿だ)
髭面の小柄で筋肉質な男、まさしくイメージそっくりだった。
「まったく、どうしたこの寂れた状況は。それに、コムラの姿も」
「……悪い、ちょっと事情があるんだ」
ケラウスの問いに、ムラマサは言葉を濁した。
「なんだあ、まさか嫁さんと一緒に実家に帰ったとかか」
「……」
沈黙。それもとびっきりに居心地の悪い空気が流れる。
ユートは思わずケラウスを小突き、なんとかしろと言外に伝えた。
「わ、わりぃ」
ケラウスの謝罪にも、やはりムラマサは無反応だった。
「それより、話があるんだ。紹介したい奴がいるんだ」
ユートは一歩前に出ると、深くお辞儀をした。
「初めまして、俺はユートと言います。最近ケラウスさんの伝手でこの土地にやってきました」
「……なるほど、どことなく匂いがこの町とは違うな」
ムラマサはユートの姿を下から上まで、じっくりと見る。
その視線に、どこか刺々しさが混ざっていた。
「金属加工で人手が足りないと聞いています。実は俺たち、鉄の扱いに関しては自信があって――」
ユートは、自分たちが金属の加工を出来ること。可能であるのならこの街で商売をすることを認めて欲しいと伝えた。
話を聞き終わると、ムラマサは髭を撫でながら考えこむ。
「なるほど……それならここ積まれてるものを頼む……と言いたいが、流石に見ず知らずの奴にいきなり仕事を任せるわけにはいかねえ」
「ごもっともです。自分も口だけで信頼されるとは思っていません」
「はっ、言うじゃねえか」
「な、見込みあるだろう。ここは俺の顔を立てる意味でも、一つ試してみてくれないか」
「そうだな――」
その時だった、鉄の扉が開く音が聞こえた。その瞬間に、ムラマサは言葉を飲み込み、顔を強張らせる。
石畳を靴が叩く。足音と共に、姿を見せたのは長身痩躯の男。
男はユートたちをじろりとみると、ずかずかとムラマサの前に立った。
「悪い、今日は帰ってくれ」
「? どうしてだ」
「先客だ、どうしても外せないんだよ」
突然の拒絶に、ケラウスは思わず顔をしかめる。
「それは承知の上だが、せめて次の交渉の時間くらい――」
「分かってくれ!!」
ケラウスは抗議をするが、ムラマサの態度は頑なである。
どうしたものか、ユートは考えながら周囲を観察する。
そこで、入って来た男に注目した。
(……この男、物を持ち込むわけではない。差している剣も特に破損している様子もない……)
客にしてはどこか不自然だった。もちろん、ユートのように交渉に来たのかもしれないが、それにしては気配が違った。
どこか硬質で、店に依頼に来た、と言う空気がではないのだ。
そうしていると、男がユートを見る。
「何を見ているんだ」
ユートの視線に気が付いたのか、不機嫌そうに顔を歪めている。
(潮時、か)
ユートはケラウスの腕をつかむと、無理やり引っ張る。
「いや、どうしたものかと迷っていただけです。邪魔なようなので失礼します」
「おい、いいのかユート」
「大丈夫です、一度戻りましょう」
ケラウスはまだ不満そうであったが、ムラマサの態度が変わらないことを確認すると溜息を吐いて歩き出す。
ユートも歩き出す。
その最中、壁に手をつけた。
「それじゃあ、失礼しますね」
手を離す。
先程まで手が置かれていた場所には、粘着テープで付けられた『何か』が設置されていた。
『……やりましたね』
その正体に気が付いたシーナは、誰にも聞こえない声で呟いた。