10-6
大通りが俄かに騒がしくなる。
人々が一斉に振り返った先から、大地を蹴る音とざわめきが伝わってくる。
(なんだろう……)
ユートは背伸びをして見渡してみたが、人々の頭の先は見渡せない。一歩踏み出そうとしたところ、マントの端を掴まれて強制的に道の脇に移動させらられた。
「ケラウスさん、急に引っ張らないでよ」
「んなこと言うな、道の真ん中に居たら巻き込まれるぞ」
立ち止まっていた人々が徐々に道の端へと移動し始める。
ようやく開けた視界の先、大通りの先から二つの影が走ってくる。
一つは、小さな少女。
「……たぶん、俺と同じくらいだ」
「お前、年齢はいくつだっけ?」
『15歳ですよ。身長はその平均よりも低めですが』
「余計な情報だな!」
15歳の平均よりも少しくらい小さい。ユートと同じくくらいの背丈の少女。その小さな影が、人々の隙間を踊るようにすり抜けてくる。
(早い……それだけじゃなくて、身のこなしも明らかに訓練されている)
道にはまだ人々が残っている。普通に走っていればぶつかってしまうが、少女は違った。速度を緩めることなく、衝突することもなく進む少女。その右脇には、桃色の紐で止めた袋を抱えている。
「待てぇっ!」
少し遅れて、小太りの男の影が追いかけてくる。避け遅れた人々を強引に跳ね飛ばしながら走ってくる。
「しつこいねえ! 人に迷惑かけながら走って、みっともないったらしょうがないよっ!」
「うるせえ! 泥棒が偉そうに言うんじゃねえ!」
「はっ!!」
少女は吐き捨てるように言うと、宙に飛ぶ。
月を背に一回転すると、音もなく地面に立つ。
「なんだ、逃げるのは諦めたのか」
「ああ、このままじゃ迷惑になっちまうからね」
額に青筋を浮かべて、今にも掴みかかりそうな怒気を放つ男。その怒りの視線を受け止めて、平然と挑発する少女。
上は若草色の羽織。対して、下はショートパンツ。履物は下駄である。
カラン、と下駄の脚が地面を蹴る。
その瞬間、ユートは大気が震える気配を感じ取った。
「……今のっ」
「ああ、『魔法』だ……」
直感的にマナの収束を感じ取ったユートは目を見張る。
少女の踏み込みは一瞬。踏締めた地面から衝撃波のように風の塊が吹きだす。
(魔法でおこした風を利用して加速している……逆さ天雷路と違う、物理的な速度の上乗せ)
少女は一瞬で男の目と鼻の先まで踏み込む。
驚愕に、男の目が見開かれる。
「まっ――」
悲鳴を出す暇もなかった。屈みこんだ少女の体が一瞬で浮き上がる。
「せいやっ!!」
気合と共に突き上げられた拳。肉に食い込む衝撃の音。同時に弾ける空気の爆発音。
拳が男の腹に突き刺さった。同時に、拳の先に収束したマナが圧縮された風となり、一気に解放される。
同時に、衝撃で男の体が宙に舞った。声にならない叫びが響く。
――おおっ――
人々が一斉に息をのんだ。巨体は受け身を取ることもなく落下すると、轟音と共に地面に叩きつけられる。そこで再び雑踏が騒めきたつ。
「追いかけてくるくらいの根性はあるみたいだけど、てんで弱いじゃん。この程度じゃテングの山じゃ一合目で追い返されるよ」
得意気に見下ろす少女に、男は言い返そうとする。だが、口から出るのは軽い息ばかりで、言葉を発することも出来ない。
「あーあ、これを取り返したいんだろ」
少女はこれ見よがしに袋を取り出すと、片手でお手玉を始めてしまう。
奪えるものなら奪ってみろ。そう言わんばかりの挑発。だが、男は立ち上がることも出来ず、ただ恨めし気に見上げるだけ。
「ま、アンタはそこで眠ってな。アタシはさっさと行かせてもらうよ」
そう言って、立ち去ろうとした時だった。
「雷撃!」
響き渡る言葉に、少女の顔が一瞬で険しくなる。
半ば反射的に横っ飛びをする。すると、先程まで立っていた場所に黒い稲妻が襲い掛かる。
「まずっ」
着弾するより早く二回目の跳躍。その判断は間違っていなかった。
黒い稲妻は大地に突き刺さると爆発する。直撃は避けたものの、その衝撃で少女の体はバランスを崩す。
――その隙を、少年は見逃さなかった――
雷撃の衝撃音に紛れてユートが駆けていた。その視線の先にあるのは少女――が持っていた桃色の袋。
一瞬の隙のうちに距離を詰めると、少女の腕から袋を奪い去る。
「なっ……アンタっ!」
「調子に乗って手から離したんだ、誰にだってこれくらいできる」
ユートはケラウスに向かって袋を投げる。見事キャッチしたケラウスはサムズアップで応えた。
「はっ、今度は男二人で囲んで相手かい」
少女は身を低くして拳を握る。脇をしめ、今にも飛び掛かってきそうな気配を纏う。
ユートは腰に刺していたリキッドメタルブレードを抜き放つ。
「リキッドメタルブレード、非殺傷モード」
圧縮された液体金属は刃の無い剣になる。ユートはゆらりと構える。
「後ろは気にしなくていい、そんな感じの目をしてるね」
ユートは頷く。少女はニヤリと笑った。
「さあさあ、周りの奴らも巻き込まれないように離れてろよ」
ケラウスは一歩下がると、両手を振って人々の波を遠ざける。
「ま、このまま逃げてもいいんだけど、アタシもナメられるのは好きじゃないからね。その余裕ぶった顔を一発くらい殴らせてもらうよ」
「一発殴られたくらいじゃ俺は退かないよ。逃げないなら打ち倒して然るべき場所に突き出すまでだっ!」
「言ったな!」
少女が大地を蹴った。
再び人々が騒めきたつ。
少年は、剣を構え、拳を迎え撃った。
弾ける気体化したマナと拳の重さ。剣を挟んで、少年と少女の瞳が交錯する。




