6-3
草原に穏やかな風が吹き抜ける。この緑生い茂る土地に、敵意を剥き出しにして動く存在はない。
雷撃により草原に穿たれた焼跡の下には動く存在はなく、適切な言葉を選ぶなら殲滅されていた。
ようやく一息ついたユートは、ローバーに積んでいた飲料水のボトルを取り出す。同じく備え付けのコップに注ぐ。鈍色の遊びのないデザインのコップが、透明な液体で満たされた。
「客に出すには色気のないものだけど」
ライカと座り込んでいる男に、コップを差し出した。
「ありがとう、ユートくん」
ライカは迷うことなく受け取ると、そのまま水を飲み始める。
(少しくらい警戒してもいいのに……)
ユートは座っている男を見る。差し出したコップは受け取ってくれたものの、中身を飲もうとはしていない。
男は顔を上げる。顔には緊張が走っており、ユートを見る目も鋭い。
「……なあ、そろそろ、アンタが何者か聞いていいか?」
もっともな質問に、むしろユートは安心感すら覚えた。
「星の海から来た人間です。この鉄の乗り物の、運転している機械……」
運転席を指さすと、ドリーは充電なのか、カメラアイを停止していた。
「あーっ使い魔って言った方がいいかな。何れも、ずっと遠くの世界では当たり前のように使われている技術です」
なるべく、この大地で使われている言葉に合わせて説明をする。
(これで納得してもらえるものかな)
とは言っても、いきなり空の向こうから来た人間と言われて納得出来るかとユートには不安であった。
「少なくとも、俺たちはあなたに危害を加えるつもりはありません。暴力が不安であるなら武装を解除した上で改めて説明をします」
ユートは腰に下げた短銃と剣の鞘を見せる。
「ただ、説明できる内容は先程と同じです」
ユートは男の顔を見る。
男は目をつぶると、深く溜息を吐いた。
そして、次に出てきた言葉は――
「そっか……うん、そっか。分かった、アンタたちは星の海から来たんだな」
肯定の意思であった。
「……あの、信じて貰えるの?」
「まあ、このワンドガルドの中だってよく知らない技術はいっぱいあるしな。外の世界から来たのなら、尚更だろ」
ライカが後ろでしきりに頷いている。男の顔からも警戒の色は消えている。
むしろ、この場で一番困惑しているのはユートであった。
「いや、普通はその外の世界から来たって事実を信じられないものなんですが」
「そうか? 少なくとも東の民はそんなの気にしないぞ。『東果てのエドン』を拓いたのはウツロブネでやって来たんだしよ」
「そうだねえ、リュウセイの広野だって星が落ちて来た広野だから名付けられたんだし」
二人の固有名詞が混ざった会話にユートは面食らいつつも、なんとか情報の整理をする。
「『東果てのエドン』……拓いたって言ってるから、なにか土地や国家みたいなものかな」
「そうだよ、ユートくん。ここから西の方角に進んで、丘を越えた先にある街の名前なんだ」
「そうそう、そこは元々見捨てられた地だったのに、外の世界から来た人たちが街を作ったんだ」
ユートは改めて考えこむ。
(常識的な範囲で考えるなら、別の土地から来た移民の話だ。そうであるなら外部の人間に対する抵抗が薄いのも分かる。ライカさんたちの態度が文化的な背景によるものなのだとしたら幸運ではあるけど)
相変わらず難しい顔をしているユートに、ライカは微笑む。
「うーん、もう少し踏み込んだ答えが欲しいのかな。君自身が納得できるくらいの」
顔を覗き込んだ。目の前にある瞳に吸い込まれそうになって、思わずユートは後ずさる。
わざとらしく咳ばらいをすると、自分の考えを整理する
(……自分が納得していない?)
そして、なにより拘っているのが自分自身であることに気が付く。そこで、図星をつかれたことに気が付き、冷や汗を流した。
「君は、最初に誤魔化すために嘘の名乗りをしたよね」
ライカとの最初の出会いの時、旅の剣士である、と、その場を乗り切るためにユートは適当に嘘をついた。
「だけど、私たちを助けるために、もう一度名乗った。最初に嘘をついたのに、同じことを二回するのは騙せる確率も低くなる。
何より、あの場所では意味がないよね。だけれど、君はその後に改めて堂々と名乗りを上げた。
それは利ではなくて礼に基づいた行動なんだって思うんだ」
状況もあったのだが、最初に嘘をついたのに再度嘘をつくのは考え辛い。
「最初の言葉を撤回する形でより突拍子もない嘘を重ねるのはね、どちらも信じられなっちゃうんだ。だから、君の二回目の名乗りは本当のことだって私は思うよ」
そして、だますつもりならば、そういう場合は最初の嘘よりも信じやすい嘘になる。
彼女の中で筋は通っていた。ライカの言葉に、ユート自身も警戒が解かれていた。
(二回目の言葉の方が常識の外側にある。どちらが受け入れやすいか問われたら、前者だ)
ユートはバツの悪そうに視線を逸らした。
「……まいったなあ……俺だったら、一度嘘をついたら二回目も嘘をつかれるって思うのに」
そう言う過剰な警戒が、無用な用心に繋がっていたことに気づかされた。ユートは恥ずかしさで顔が赤くなっていた。
そんな彼の姿を見ていた男の口元が緩んだ。
男は立ち上がると、臆することなくユートに近づいて来る。
「そう言うもんだ。子供が妙なことを気にするな」
男はユートの背中をバンバンと叩く。不満げな視線を返すと、男は声をあげて笑った。
「それに、目の前にあったら信じるしかないだろ」
「そうそう、それに、命の恩人だもんね」
「ああ、そういうこった。さすがにそこまで恩知らずじゃねえよ」
二人の暖かな視線が重なる。その中で、一人だけ不機嫌な自分がおかしくなった。
自然と、ユートの口の端が上がっていた。
「そうですか、ありがとう」
手を差し出す。男は握り返す。
「あ、私も私も~」
そこに、強引にライカが重ねて来た。
◆◆◆
男はコップの水を飲み干すと、改めて話を切り出した。
「俺はザッツって言うもんだ」
ずっと先延ばしにされていた自己紹介を始める。
「相棒と一緒に、西の都の研究所から逃げ出したスライムを追いかけてたんだが、このザマだ」
「研究所?」
「ああ。魔法生物の研究所からスライムが逃げ出したってんで、駆除の仕事が入ったんだよ」
「そうだね。人工的に生み出されたスライムの駆除だよね」
二人は依頼を受けてこの人の気配のない広野にやってきたようだ。
「俺たちが戦ってたスライムは、人工的に作られた危険な生物だってことですか?」
「うん、そうだね」
望んでいた答えがあった。ユートは力を抜けた顔をしてへたり込んだ。
「あ、スライムってやっぱり自然界には存在しないんだ……ほんと良かった」
『あんなのが存在するのは許せません』
我慢できなかったのか、シーナもローバーの通信を通して割り込んできた。
「でに、そんなこと言ってると幽霊とかそのうち出てくるでしょ」
『は? はぁ~(半ギレ』
わざわざ半ギレと感情を主張しているが、むしろ語り口は狼狽であった。
「さっきから変な言葉が聞こえてくるんだが」
今度は、二人の会話を聞いていたザッツが割り込んでくる。
「やっぱりザッツさんにも聞き取れない?」
「ああ、なんかよく分からない古代の呪文でも聞いてるみたいだ。星の海の言葉か?」
「うん、そうだよ」
シーナが話しているのはコロニーの共通語。
この星の人間からしたら、異界の言語だろう。
(やっぱり、俺だけが『この星の人の言葉が分かる』状態になってるんだ。シーナやドリーは単純に変化が起こっていないのか、人だけにかかる状態なのか……それは後でシーナに相談するか)
少なくとも、起こっている現象については受け入れるしかない。目の前の二人がしていたのと同じように。
「さて、一つ聞いていいか?」
ザッツは起き上がると、ユートに問いかける。
「俺と似たような恰好をした男を、ここいらで見なかったか」
「……それは」
その質問に、ユートは心当たりがあった。
ユートたちが巨大なスライムと遭遇する前、岩陰に放置されていた遺体。服はまだ残っていて、天然素材の動きやすい軽装をしていた。
それは、ザッツの姿と同じである。
◆◆◆
ユートはローバーを起動して移動する。
その間、終始無言であった。
目的の岩陰に到着した時、真っ先に降りたのはザッツだった。
青い顔で遺体に駆け寄ると、その顔を見て肩を落とす。
「はは……想像はしてたけどな」
ライカとユートが近づくと、声を殺して泣いている男がいた。
「……ごめんなさい、もう少し私が早く気が付いていれば良かったのに」
「いい、いいんだ。最初に、いの、命を危険に晒されるのは、斥候≪スカウト≫の仕事だ」
しわがれた声で必死に絞り出した言葉。それは、自分に言い聞かせている様だ、とユートは感じた。
「……すみません、一つ聞いていいですか?」
ユートは痛いの前に立つ。
「死者を弔う方法を教えてもらえませんか」
もう、既に命は失われている。
ならばせめて、その死を悼むことは許して欲しい、と。
「この大地の人が望む方法で、安息を祈りたい」
それを、この大地に生きる人々が知る方法で行うため。
「うん、わかった」
ライカは立ち上がると、両手をそれぞれ握る。握った両手を体の前に出すと、上下に重ね合わせた。
「拳を握って、上下に合わせるの。そして、大地に対して垂直に立てる」
背筋を伸ばして、真っすぐに大地に立つ。
「この大地を支える杖のように、魂も営みの礎になるように、って」
ユートは見よう見まねで握った拳を重ねると、目を閉じる。
(……ただ、死後に安息が訪れますように)
ただ、シンプルな祈り。目を開けると、涙を拭うザッツが居た。
「ありがとうな。ゼーンに代わって礼を言うよ。あいつ、新しい物が大好きだから、お前みたいな未知の人間に祈ってもらえて喜んでるよ」
相変わらず鼻声ではあったけれど、表情は大分明るくなっている。
「……なんつか、安心したよ。星の世界から来た奴が、ちゃんと死を悼むことが出来る奴だって分かって」