15-20
男が――アッダマスが振り返る。
縮れた前髪の奥に隠された瞳が光る。
瞳には昏い光が宿っていた。魔導鎧越しに感じていた悪意は生身になっても変わらず、ユートは肌に不快感を覚える。
だが、あまりにも弱い。
(これが、あれほど苦戦した男の……)
あまりにも弱く、小さな姿があった。
何を口に出すべきだろうか、ユートは戸惑った。
(今、この場でこの人に言う言葉が、俺にあるのかな)
散々苦労させられた恨み言をぶつけるのか、それとも、殺してしまったことへの謝罪を口にするのか。
その全てが違う、とユートは考える。
ケラウスが、一歩前に出る。それを見て、ユートは待つことを決める。
アッダマスに最期の言葉を届けるのは、自分ではない、と。
ケラウスの姿を見て、アッダマスの視線は揺らぐ。だが、ケラウスの視線を受け、それをまっすぐに見つめ返す。
「――う、ああ。やはり、死の直前にここに呼び寄せたのは、お前か」
「いや、それは違うが。まあ、訂正も面倒だ」
男は、困ったように笑った。
この期に及んで、笑ったのだ。
「まったく、修行時代に言ったよな、お前と一緒に死ぬなんてまっぴらゴメンだって。だってのに、こんなことになるとはな」
「あ、あれは……」
「それが、肉体を犠牲にしてお前を倒す、なんてな」
アッダマスは信じられないと言った風に口を開ける。
「……どうして、そう笑っている」
「お前が言ってただろ、魔の真髄は呪いであり、魂。現にお前はそうやって生き延びた」
何度も聞かされた来た言葉。それは魔法使いにとっての理であり、アッダマスはもとより、ケラウスもライカも分かっている。
「……ああ、そうだ。その筈だ。
だがな、肉体を失うと言うことは物質世界に対して干渉する術を失うことだ。
仕方なく選ぶのとは違う。お前は、自分からそれを選んだ」
他人によって肉体の消滅を選ばされるのとは違う。自らの意思でもって死を選ぶ。
「後悔はなかった。だが、喪失はあった……俺も、弟子たちと語らうことも難しくなるだろうよ」
「そうまでして……そうまでして俺を殺したかったのか!」
アッダマスは叫ぶ。そこには怒りと失望があった。
「そうしなければ、ならなかったからだ」
「詭弁だ! お前は俺を殺したことにかわりはない!」
「そうだ」
アッダマスは跳ね上がるとケラウスの服を掴む。ケラウスはただ、静かに受け止める。
殴ることはなかった。ただ、興奮した顔で睨みつけている。
そして、掴むその手が震えていた。
(あ、この人は……俺たちと同じだ、死が怖いんだ)
怒りではなくて、恐怖で震えていた。
「お前は後悔する。俺を殺すために魂だけになったことを――
魔導の研究にも、人との触れ合いにも大きな制限がかかり、いつ、魂が消滅するかも分からない状況に」
恨みの言葉をケラウスは受け止め、そして――
「大丈夫だ。仮に一瞬の先で俺が果てても後悔はない」
――また、笑った。
「ユートが居る。ライカが居る。こいつらには仲間がいる。
俺の姿を覚えてくれるこいつらが居るのなら、大丈夫だ……だから、俺は迷わず肉体を捨てることを選び事が出来た」
ケラウスの腕から力が抜ける。その場にへたり込むと、弱々しく顔を上げる。その先にあるのは、満ち足りた男の顔だった。
「俺はな、もう、いつ死んでもいいんだ」
「私は……私は怖い。消えてしまえば、私の研究が間違っていたことを証明する方法が無くなってしまう……」
「……あのなあ、だから、俺が引導を渡したんだぞ。
何度も言っただろ。お前は俺と同門だ。お前の失敗を、尻拭いしないといけないから、ここまでやったんだ」
ケラウスはアッダマスの肩に手を置いた。
震えていた。アッダマスの肩は震えていた。
怒りでもない、恐怖でもない、ただ、感情の発露だけがあった。
「……失敗だった、と言うのか」
「ああ、失敗だった」
――失敗だった。
それは、ただの結果でしかない。
間違ってしまった、と言う結果でしかない。
ずっと早く言うべき言葉で――どうしようもなく遅い、言葉だった。
それだけだった。道を踏み外さないための言葉は、それだけでよかったのだ。
だから、その言葉を届けられたなかったのは、自らの罪でもある、とケラウスは思っている。
仮に感情を受け止めたのがユートであれば、失われた存在に対する糾弾を行っていただろう。だが、彼はただケラウスの答えを聞いている。この場において必要なのは、同じ道を歩いた男の言葉だけである、と分かっていた。
長耳の女性も何も言わない。ただ、静かに見守っている。
「……そうか……」
小さく、言った。
「そうだ……」
「そうだな……」
アッダマスは立ちあがると、三人に背を向ける。
「……先に行ってる」
「ああ、すぐに会おうぜ」
それが、アッダマスの最期の言葉だった。
残声が小さくなっていくのに合わせるように、男の影が薄れていく。
やがて、真っ白な空間に溶け込んでいった――




