15-7
最低限の機能だけを残して工場の電気が落ちる。最後に目視で確認をすると、ユートは外へと出た。
扉を開けると夜の湿った空気。東の果ての空には今日も星が瞬いている。
明日へ向けての作業は終わった。ユートに残った仕事もない。
『お疲れ様ですユート』
「お疲れ。あとは明日のためにゆっくりと寝て――」
あとは休息をとり、万全の状態で朝を迎えるだけ――の筈だった。
『いえ、その前に、一つだけお願いしたいことがあります』
「お願い?」
AIからの情報より、その言葉遣いが印象に残った。
(珍しく柔らかい言い回しだな)
依頼、とは違う、感情に訴えかけるような言葉。ただ、言われた方としては悪い気はしなかった。
「いいよ。と言いたいけど、内容を聞いてから。そう言わないとシーナも文句言うだろ」
『ええ、確約は詳細を聞いてからと言っていました』
そして、本題を告げる。
『ライカが来ています』
◆◆◆
夜道を早足で歩きながら、ライカの待つ建物へと向かう。
「まったく、言ってくれればよかったのに」
すっかり夜は更けている。待たせてしまい、申し訳なさに思わず愚痴が出てしまう。
『ライカからの要望です。作業が終わるまで待っているから、邪魔をしないように、と』
気を遣わせてしまったことに、ユートはますます申し訳なくなってしまう。
速度を上げて拠点の入り口の方へ。
普段は休憩に使っている建物には、灯りがともっていた。
◆◆◆
扉をあけて室内に入る。すると、微かな寝息が聞こえてくる。
部屋の真ん中にあるシンプルなテーブル。何冊か本が積み重なり、そこに寄り掛かってライカは寝ていた。
隣にはルーブが立っていて、マニピュレーターを顔にあてて、静かに、とポーズをする。
ユートは足音を抑えてライカの傍に立つ。
彼女の肩には、毛布がかけらえていた。
「これ、ルーブがかけたの?」
「はい、途中で眠ってしまったので」
ライカの肩が小さく揺れる。うっすらと目が開くと、ちょうどユートの顔が見えた。
「ふあっ! ユートちゃん!?」
途端に、大慌てて立ち上がる。
「ごめんね、待ってたら眠くなっちゃって」
「いいよ。待たせたのは俺たちだし」
部屋の隅で水音がする。ポットからお湯が注がれる音だった。
ルーブはマニピュレーターで器用にお茶を淹れると、二人に差し出してくれる。
手にもつと、ほのかに温かい。
優しい香りが届き、ライカも落ち着いたようだった。
「で、急にどうしたの?」
ライカは少しだけ考えこむ。
「なんだろう。いろいろ。
怒ってないか気になったし、なんだか頭のグルグルで、少しだけお話したかったし」
そして、ゆったりと微笑むと。
「でも、顔を見たらそれだけでいい気もしてきた」
そう言って、お茶を一口飲んだ。
◆◆◆
ふと、ユートはテーブルの上の本を手に取る。
コロニーに保管されていた古い絵本だった。
表紙には、赤い鮮やかな魚の群れに、黒い一匹の魚が描かれている。
「これ、読んでたの?」
「うん、文字はまだ分からないけど、絵だけでも楽しめるから」
ぱらぱらと本をめくって確認をする。
苦難に襲われた主人公。知恵と勇気と、そして仲間たちの協力で危機を乗り越えていく。
「気になったんだけど、いいかな」
いったん本を閉じると、ライカはユートの顔を見る。
「ルーブちゃんに聞いたんだけど、ユートちゃんが持って来た物語って、数百年くらい前のものが多いんだね」
ユートがワンドガルドにやって来たのは、地球上の西暦では二千六百年。対して、絵本の物語は千九百年代に書かれたものだ。
それだけではない。机の上にある本の殆どは、二十世紀から百年ほどの間に造られたものだ。
「ああ、それは」
ユートに先んじて、シーナの通信が入った。
『停滞の世紀があったから、です』
「停滞?」
聞き返すライカに、ユートが続ける。
「うん。俺たちの世界では、人類が月に人工都市を作った後に、文化と文明の長い停滞期に入ったんだ」
文明の停滞、と言うのは人類の歴史の上で何度か発生している。
地球の環境の変動であったり、社会を維持していた国家が解体されてことによる衰退であったり。歴史上何度も起こっている。
むしろ、『停滞』で済んだのはまだマシな結果であった。
「最初はAI技術の停滞からだったかな。宇宙船のサポートAIで一定の成功をおさめたけれど、そこから一時的に進化が止まったんだ」
『古い時代のAIは、『過去に実証された』情報のみしか是としませんでしたからね』
シーナの言葉には、どこか優越感があった。
「どういうことなの?」
ライカの質問に、ユートは少し考えこむ。
(こっちの言葉だと、どういったら伝わるかな)
極力専門的な言葉を排して、説明を始めた。
「星の海に飛び出すときに、凄い力で一気に吹き飛ばすのと、空まで届く塔を建てて昇り降りするの、どっちがいいと思う?」
科学燃料によるロケットと、宇宙と地上とを繋ぐエレベーターを作る、と言う方法があった。
「う~ん……あくまで実現可能であるのなら、塔を建てる方がいいかな。
完成までは時間がかかるけれど、その後はずっと手軽に利用できるから」
ユートは頷いた。
実際に、地球で宇宙開発が大きく進歩した――人類が長い停滞を振り切ったのは、地球規模のプロジェクト、宇宙エレベーターの開発が終わった時だった。
「ライカの感想は正しい。宇宙と地上との距離が近づき、宇宙の開発は一気に進んだ。停滞の世紀が終わったのは、それを選べるようになった時からだ」
『古い世代のAIは、その段階で実証されたものしか是としませんでした。当時の人間はAIの答えを真に受けてしまった。
だから、『否定』出来る機能が生まれるまで、停滞をしてしまう』
宇宙に行くにはどうしたらいい?
そう質問をすると、AIはロケットによる方法を推奨した。人類はそれを根拠に大規模な進歩を何度も逃してきた。
それは芸術や学術の分野にもおよび、停滞と言う名の模倣文明は長く続いたのだ。
「そうだったんだ……」
「ま、進歩したら進歩したで、月面帝国が出てきたり、面倒なことになったけどね」
活発になったら問題も増える。
だが、それが進歩でもあった。
◆◆◆
結局、一時間程話し込んでしまった。
もう夜は遅いから、とルーブに止められて、ようやくライカは部屋を出る。
「ありがとう、少しだけ気が楽になったかな」
「うん、おやすみ」
手を振って送り出す。
扉が閉まると、夜の空の下にライカだけ。
「……ダメなお姉ちゃんだなあ……言えなかったよ……」
だから、その呟きは、ユートには聞こえなかった。