log 7. 診察ついでに魔王城にお出かけ
筆が乗ってすこぶる長くなってしまった。
思っていたよりも被害は大きくなかった。
異世界の医療を完全に信用する気にはなれず、自分で確認したい気持ちはあったが、念のため訪れた医者の診断でも、打撲と軽い脳震盪という結論だった。
診察室は、アダムさんが片付けてくれたのだろう。ガラスの破片ひとつ残っておらず、家具の配置が少し違っているものの、綺麗に整えられていた。
唯一の心残りは――スズランのランプ。
ランプの表面にヒビが入り、魔鉱石を入れるとそこから光が漏れ、眩しすぎて目が潰れそうになる。
あれは、この町の蚤の市で見つけた一品ものだった。お気に入りだっただけに、捨てるのは惜しい。でも、もう機能しない。
――泣く泣く、ゴミの日に出すことにした。
きっとドワーフたちに回収され、溶かされて新たな何かに生まれ変わるだろう。
◇◇◆◇◇◆
事件から二日後――。
深夜、診療所の看板を「診察中」に切り替えると、開院とほぼ同時にお客様がやってきた。
「先生〜!どうも!」
朗らかな声とともに現れたのは、デュラハンのニック。
手に持った頭が、ニコニコと微笑んでいる。最初に見たときは心臓が止まりそうになったけれど、今ではすっかり慣れてしまった。なんなら……少し可愛くすら思える。
「ニックさん、こんにちは。まだ予約の日時ではないですが……?」
少し訝しみながら尋ねる。
「先生に会いに来たんだよ。」
手の中の顔がウィンクをかます。……お茶目さんだ。
「またそんな冗談を言って。おばさんを口説いても、いいことないですよ?」
「本気なんだけどな〜。」
ニックさんの腕が、手に持った自分の頭を掻く。不思議な光景だけど、今では慣れたものだ。
彼とは長い付き合いになる。最初の患者さんの一人だった。
「で、何のご用ですか?」
「先生の確認をしに来た。怪我は大丈夫?」
「アダムさんに言われたんですね?」
「それもあるけど……俺も個人的に心配できたんだよ?先生のこと、好きだし。」
「はいはい。」
冗談めかして流しつつも、その優しさが心にじんわりと沁みる。
「大丈夫ですよ。」
「うん、俺も大丈夫そうだなって顔見て思った! 弁償するものはある?ってアダムさんが聞いてる。」
スズランのフロアランプが頭をよぎる。お気に入りだっただけに、壊れてしまったのは正直ショックだ。でも、弁償してもらうのも忍びない。
「ないです、とお伝えください。それよりも……。」
それよりも――本人がカウンセリングに来るのがいちばんのお礼だ。
「それよりも、アダムさんにカウンセリングに来るようお伝えください。それがいちばん、医者として嬉しいです。」
「……アダムさん、来る気なさそうだよ。」
ニックさんがぼそっと言う。
「先生って変わってるよね。俺が人間だったら、正直会いたくないもん。」
「ま、でも――」
ニックさんが少し真剣な顔になり、言葉を続ける。
「先生、他の人間と違って俺たち魔族に偏見がないところが、変わってるけど……好きだよ。」
不意打ちのような言葉に、思わず目を瞬かせる。
「……ありがとうございます。」
「そうだ、スズランのランプは? 先生気に入ってたじゃん。」
部屋を見渡しながら、ニックさんが首を傾げる。
裏庭でゴミの日を静かに待っている――スズランのランプ。
「普通に使ってて壊れ――」
「アダムさんが壊しちゃったんでしょー?」
「全く、アダムさんってなー。」
ニックさんがニヤニヤしながら言う。
「俺、今相棒と来てるからさ。ついでに運んで行っちゃうよ〜。たぶんアダムさんの伝手で直せるよ。」
「アダムさんの伝手というより、魔王軍の伝手だけどねー。」
さらりと補足しながら、ニックさんは部屋の外へと向かう。
「裏庭に置いてあるでしょ? この辺のゴミ回収、裏庭に出すのが普通だよね。」
そう言うが早いか、ニックさんは私の返事も待たずに勝手に裏庭へ回っていった。
「ニックさん、この前忘れていった処方箋……」
言おうとした瞬間、
「あと3日で取りに来てねー!」
相棒――首のないウマのような生き物、正確にはこの世界では「ラマ」と呼ばれる――にランプをくくりつけ、あっという間に帰ってしまった。
落ち着きがないのは、ニックさんの特性だった。
◇◇◆ ◇◇◆
3日後。
私はルーナ街のど真ん中にそびえる魔王城の前に立っていた。久しぶりの遠出に、少し緊張している。
戦争で大半が焼け落ちたこの城も、五年の歳月を経て、その姿を取り戻しつつあった。黒のレンガで積まれた外壁には、大砲が城壁からこちらを覗くように突き出している。
戦争の象徴として、人間側から取り壊しの要望もあったらしい。けれど、魔王の「それなら人間側の城も壊せ」という一言で、その話は立ち消えになったと聞いている。
門番のゴーレムが、冷たい視線を私に向ける。
(こ、怖い……。)
浅草の阿吽像を思い出した。あれもこんなふうに威圧感があったっけ。
その時――
ぬっ……
門の内側から、一本の腕がぬるりと突き出される。その手にはしっかりと持たれたニックさんの顔がある。
「先生、お待たせ〜!」
……どんな登場の仕方なの。
驚くべきことに、門番のゴーレムたちはこの光景に慣れているらしく、生ぬるい視線を向けている。
「いえいえ、そんなに待ってないですよ。」
「さ、案内するよ〜。完成品を見て、大丈夫そうだったら、先生も一緒に送ってくから!」
私は軽く苦笑しつつ、ニックさんの腕がぐいっと引っ込むのを見届け、彼の後を追って門の中へ足を踏み入れた。
門を通ると、そこは広々とした中庭だった。
真っ先に目に飛び込んできたのは、大きく口を開いた人喰いバナ。紫色の歯が鈍く光り、ゆっくりと開閉している。
「綺麗だよねー。でも、先生の方が綺麗だけど。」
ニックさんが軽くウィンクをして、ニヤリと笑う。
(……本当か?)
あれよりも綺麗と言われても、あまり嬉しくない。口に出すのはやめておいた。
少し歩くよ、とニックさんに言われ、入り組んだ小道を歩く。
歩きながら、アダムさんについて探りを入れてみることにした。患者のプライベートについて根掘り葉掘り聞くのは褒められたことではないのだが、情報が少なすぎるのだ。
「アダムさんは今、大丈夫そうですか?」
「うーん。」
ニックさんが唸る。
「最近は取り憑かれたみたいに仕事してるな。」
やはり罪悪感に駆られているのだろう。必ず、体を壊す前に会わないと。
「あと……」
聞くべきか躊躇したが、意を決して尋ねることにした。
「イブさんって知ってますか?」
ニックの足が止まる。
「……その名前、どこで聞いたの?」
気迫がにじみ出ている。思った以上に重い話題だったようだ。
「いや、アダムさんが……。」
「アダムさんが口にしたの?」
「はい。」
「ふーん……。」
ニックさんはしばらく考え込むような表情を浮かべ、やがてゆっくりと口を開いた。
「その名前が出てくるってことは……いい兆しかもしれないね。」
中庭の奥、鍛冶場へと続く石造りの小道を歩く。しばらく進むと、鉄を打ち鳴らす音と、硫黄のような匂いが鼻をついた。
「着いたよ! ここがドワーフたちの鍛冶場。すっごく腕がいいんだぜ。」
ニックさんが胸を張って言う。
鍛冶場の入口には、槌と炎が交差するドワーフの紋章が掲げられていた。
中に入ると、熱気が一気に押し寄せる。
「おお、ニック。フロアランプ、受け取りに来たんだろ?」
立派な銀髪の髭を揺らすドワーフの親方が、満足げに腕を組んでいる。銀髪には編み込みがされており、銀の留め具で三つ編みが止められている。おしゃれだ。
「そう、俺のじゃなくて先生のだけどな。」
「よろしくお願いします。」
親方が奥に合図すると、スズランのフロアランプが運ばれてきた。
「ほらよ、見違えただろう?」
目の前に置かれたランプを見て、思わず息を飲む。
「えっ……豪華……。」
スズランの花びら部分には繊細な銀細工が施され、支柱には魔法陣が刻まれている。強化用魔法陣だ。以前高価な皿に彫られているのを見たことがある。
「えっと……これ、本当に私のランプですか?」
「こっちの世界じゃ、修理ってのは元通りじゃなく、元以上にするもんさ!」
そうなのだろうか。
ニックさんが隣で肩をすくめる。
「ドワーフってさ、基本的に“元よりいいもの”にしないと気が済まないんだよね〜。」
「……嬉しいです。でも、お代の方は……?」
思わず聞いてしまう。こんなに豪華になったら、修理というより完全なアップグレードだ。お金は払って然るべきだろう。
親方は鼻を鳴らし、腕を組んでふんぞり返る。
「ふん、金のことなら気にするな。」
「え?」
「材料費は、別の奴からきっちり受け取ってあるしな。俺たちは修理ついでに、ちょっとした腕試しをさせてもらっただけだ。」
親方はニヤリと笑うと、誇らしげにランプを叩く。
「それに――あんたのランプ、今ではなかなか見かけない古き良き素材だったからな。こっちもつい若い頃を思い出して、熱くなっちまったよ。」
「……ありがとうございます。」
そっとランプに触れると、温かみのある手触りが指に伝わってくる。
私は改めて親方に頭を下げた。
「ありがとうございます。町外れで心療内科を営んでいますので、何か相談したいことがあれば、いつでもいらしてください。お菓子くらいならお出ししますし……。」
それくらいしか、私にできるお礼はない。
親方は豪快に笑い、手を振った。
「いいってことよ。それより、丁寧に扱ってくれよ? 下手にいじると、夜中に喋りだすかもしれねえからな。」
「えっ?」
思わずランプを持つ手が硬直する。
「ホラーだねぇ、先生!」
ニックさんがケラケラと笑う。
「じゃ、俺、これ相棒に積んでくるよ!」
そう言って、ニックさんはランプを抱えて外へ向かう。しかし、その途中で斜め上を見上げながら、ぼそっと呟いた。
「俺が荷物を積んでる間だったら、アダムさんの部屋に行くのを止めることはできないな〜。」
声の調子が妙にひっくり返っている。言外に「行くなら今しかない」と伝えているのは明らかだった。
「……本来は部外者立入禁止なんだけど、迷い込んじゃうのは仕方ないよねー。」
ニックさんがニヤリと悪戯っぽく笑う。
私は思わず笑みをこぼした。
「ニックさん、ありがとうございます。」
不器用な優しさが、なんだか心に染みる。
「お礼なんて言われることしてないよ。」
ニックさんはおどけた口調で笑い、軽く手を振った。
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