log 5. 罪を忘れられる時間
難産だった…
「いつも、大事な人が目の前で死ぬんだ……それを止めようとしても止められなくて目が覚める。でも、その人が誰なのかも、なんで目の前で死ぬのかもわからない。それなのに、目が覚めた後はもう眠れなくなるんだ。」
アダムさんの声は低く、乾いた音を立てるようだった。その言葉が重みとなって部屋の中に滞留していく。
やはりトラウマなのだろうか。脳が無意識に記憶を抑圧している可能性がある。
PTSDを抱える患者には、まず「誰かに話を聞いてもらえる」という安心感を与えるのが日本では主流だった。信頼関係を築く前に無理に思い出したくない記憶を掘り返すのは得策ではない。
だが、この状況はそれだけでは済まない気がする。何せ目の前にいるのは数百年を生きてきた魔法使い――その心の奥底には、私たちのような短命な種族では計り知れないものが眠っているのだろう。
それにしても「5年前から」という言葉が引っかかる。
戦争終結の時期と一致している。何か関係があるのだろうか?
「……何もかもを手放して、安眠したいだけなんだ。睡眠は、全ての罪を忘れられる唯一の時間なのに……。」
アダムさんの赤い瞳が、ほんのわずかに揺れた気がした。
「同じ魔王軍のハーピーに子守唄を歌ってもらっても眠れなかった。それでも藁にも縋る思いで、この胡散臭い「心療内科」って言うんだっけか?ここに来ているんだ。」
皮肉げな物言いだったが、声の奥に滲む疲れを隠すことはできていない。
仕方がない。この国では、トラウマやヒステリー、PTSDといった精神的な病気が「女性性」に結びつけられてきた歴史がある。病に苦しむ女性たちは「悪魔の手下」や「魔女」として扱われ、監獄に閉じ込められた。悪魔と契約した証である「星形の瞳」がなくとも、浄化という名目で火炙りにされた者も少なくない。
戦争が終わり、精神疾患と言うものが存在し、男性にも起こり得る病であることが認められるようになりつつあるが、「悪魔付き」の偏見はまだ根深い。この国での精神疾患に対する理解は、十分とは言えないのだ。
私も一度、「悪魔付き」の女性たちが収容されていた施設を見学したことがある。
――あれは悪魔なんかじゃない。ただの心の叫びだ。救えなかった悔しさは、今でも私の胸に残っている。
だからこそ、この心療内科を作ってもらったのだ。――国王から勝手に異世界転移させられた私への「迷惑料」として。
「心の病気は誰でもなるものですし、心療内科は誰でもお世話になる可能性がある場所ですよ。」
こういった説明はもはや慣れている。現代日本ですら、精神科や心療内科に偏見を持つ人は少なくなかった。患者に対して偏見のない環境をつくり、「ここなら安心だ」と思ってもらうこと。それがこの場所の役割だ。
「そういうものなのか。いや……そういうものかもしれないな。」
アダムさんはコップの中を覗き込むように俯いた。
「すまない、寝不足で気が立っていた。ニックもここに通い始めてから本当に明るくなったし、仕事も頼もしくなった。感謝する。」
コップを置き、深々と頭を下げる彼に驚いた。魔法使いは傲慢で危険だと聞いていたが、アダムさんは少し違うのかもしれない。
「いえいえ、理解をしてくださるだけで十分です。」
私は内心、偏見を抱いていた自分を恥じた。自分の信念を守るためにも、偏見を捨てて向き合わなければ――。気を引き締め直す。
「では、この家族構成についても……」
「親の顔は知らない。すまない、この話も少し話したくないんだ。いつか話せたらいいのだが、気分がいい話ではなくてな。」
「わかりました。」
アダムさんの言葉を受け止めつつ、彼が長い人生の中でどれだけ傷つき、心を閉ざしてきたのかを考えた。それがいま、悪夢という形で彼の体から浮かび上がっている――一人で耐え続けることが、どれほど苦しかったのだろう。
「では配偶者に関しては……?」
その瞬間、アダムさんの身体がぴくりと硬直した。
「配偶者……」
「はい。奥様や、もしくはパートナーの方でも……」
「……っ……」
「アダムさん!?」
アダムが突然、頭を抱えて唸り始めた。脂汗が額に滲む。
「大丈夫ですか!?」
まずい、やはり配偶者に関するトラウマだったのか。声をかけながら、内心の焦りを隠せない。プロ失格だ。
そのとき、アダムさんが顔を上げた。
「イブ……」
その言葉が、低く唸り声のように、魂の叫びのように絞り出される。赤い目の奥で星形の瞳孔が、じわりと大きく拡がるのが見えた。
「イブ……頼む……!俺を置いていかないでくれ……!一人にしないでくれ……!」
空気が圧力を帯び、私の体を押しつけてくる。次の瞬間、爆発的な力が解き放たれた。
「アダムさ――!」
言葉が途切れる。激しい衝撃が私の体を襲い、視界が一瞬ぐるりと反転した。次の瞬間、私は部屋の天井に叩きつけられていた。
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