5. 弔い
「弔い」を手に取ってくださりありがとうございます。
こちら、作者の卒業制作作品となっております。
短編小説で全5作品で一つの作品となっており、こちらの作品は「だけど、」というものになっております。
読了致しましたら、感想をいただけますと幸いです。
そちらの感想は卒業制作の報告書内で感想例として提示させていただく場合がございます。
「今ちょうどおじいちゃん亡くなったわ。」
お風呂から上がり、今にも試験勉強を再会しようかとスマートフォンを置く間際に母から一つのメッセージが届いた。突然の出来事に僕は息の仕方を忘れて、その表示が消えるまで凝視していた。
画面の光が消えてもなお、その事実を受け止めきることはできず僕の脳にとってそれは容易に処理できるものではなかった。空間に扇風機の音が小刻みに響く。
また、画面に明かりが灯る。
「帰ってくる?忙しいならしょうがないけど。」
僕にとって彼はとても仲良くしていた友人の様な立ち位置で、葬儀に出席しないなんて選択肢はなかった。事実なんて関係なく、とりあえずかろうじて動く指先でスマートフォンを操作し、母に
『帰る』
と意を決しメッセージを送った。彼と半年ぶりの再会を果たすべく。
それからというものの、僕は今日のうちに帰るべく身支度をした。大学生一人暮らし。ここまで近しい人の不幸は初めてでどうするのが良いのか右も左もわからなかった。まぁ、そんなこと当然知っているというように、母がいるものを伝えてくれたため、なんとかはなったように思う。感謝しかない。
僕は黒い私服や母に指定されたもの、隙間時間なんかないかもしれないが試験テキストをボストンバックに詰め込んだ。時計を見て、時間を確認する。今出て、電車に乗れば、最後の新幹線には乗れそうだ。電気を消して、靴を履く。真っ暗な部屋に無を感じて、自分と似ているなと感じた。よくわからないけれど。
少し時間も忘れて考え事をしてしまったが、このままでは、電車に間に合わない。ドアの方へ、向きをかえ外に出た。蒸し暑さと虫の声が僕をくすぐる。鍵もかけ、階段を駆け、駅へと一直線に字走り出した。肩にかけたボストンがとても重く感じた。
急いだことでなんとか電車に乗ることができた。新幹線のある駅まで着くのはまだまだ先ではあるがとりあえず一安心だ。肩で息をしている僕はなんとかいつもの呼吸に戻そうと深呼吸を心がける。汗が肌を伝うのがうっとおしい。
もう夜から繁華街に行く人は少ないのか、座席が空いていたため僕は車両の隅の席に座り、彼と過ごした日々を回顧しながら、祖父のもとへ向かった。
彼と直近に話したのはいつ頃だっただろうか。記憶は曖昧だが、冬の病院だった気がする。雪が降る日もある様な比較的寒い年であったため、冬を越せるのが正念場だのなんだのというのを祖母が言っていた。結局そこから半年以上経っているのだが。癌が見つかって、骨折して、ままならない祖父に会うのを渋っている僕に、祖母が「もういつになるかわからないんだから」と背中を押した。大きな声で話せるわけでもない病院に行くのは気が引けると思いつつも、ここから先会えるかわからないため、一応行っておこうなんて気持ちに保険をかけながら病院に訪れたことを覚えている。祖父の元からの知り合いや、病室が一緒の方、看護師さんなんかに挨拶するたびに少し心が震え上がっていた。病室で見た祖父は昔よりだいぶ痩せていた様に感じた。きっと寝たきりで動かなくなったからだろうと病室を出た後に祖母が言っていた。僕を覚えていない彼は僕を息子であると勘違いする。自分の父の名前を呼ばれながら、祖父が元々持っていた雑誌を元に談笑をする。趣味は変わらず、絵画の本を持っていた。記憶をなくす前からずっと一緒に話してきた話題に胸を躍らせながら、何度も同じ話を繰り返す。あの日は会えたこと、話ができたことが嬉しくてあまりこの様なことになるなんて考えていなかった。気がする。
実際問題、会話の内容なんてどうでもいいのだ。元気であれば。
いや、本当は内容こそが大事だったのだ。僕らの友情にとっては。
僕は嫌でもそこで知ってしまった。彼がもうあの日の様に自分と違う視点でおなじものをみることができなくなってしまったことがありありとわかってしまった。とてもショックで、ここから“祖父の死”に対して現実をみることができなくなってしまった。
物思いに耽りながら、車窓を眺める。橋の上を渡る、電車。繁華街に行く時は毎回通るが、なんというか、こんな空虚な気持ちで乗ることはなかったためいつもとは違った感覚が襲う。死んだらどこに行くんだろうとか、本当に話すことができないのだろうかとか。多分こんなことを思っているのは僕だけで、周りの乗客は今日の夕ご飯や家族のこと、好きなもののことについて考えているに違いない。そう思いたかった。
友情とはこんなにも簡単に切れてしまうものであると僕は昔から知っていた。引越して距離ができ連絡が取れなくなったA君。小学生の頃は仲が良かったが、高校で話してみたら価値観が変わっていたB君。些細なことで切れてしまう縁。どれもいつかの空間的距離が僕らの敵だった。今回も僕が地元にずっとおらず、一人暮らしをしていたことでできた友情の決別かもしれないと思うと正直前に起きた事象よりも耐えられなかった。
こんなことを電車の中で考えているのかって?そうだよ。僕は今まで彼が死んだ現実や亡くなる可能性が十分にあった事実を無視して生きてきた。それだから、母からの通知に対して、驚き、動揺し、「やっぱりか」だの「早かったな」だのと思えなかった。多分、親族にはそういう人もいるのだ。いや、絶対にいる。だから、そのための心の整理。彼と最後の会合をするための心の準備をしているのだ。自語りに付き合ってほしい。
絵が好きだった彼との対話はとても楽しかった。小学生の時の夏休みの課題であるポスターの構図を一緒に考え、時には教えてもらいながら制作したこと。部活で作成した作品展示を彼がみてくれたために、たくさんの感想(良いも悪いも含む)をアドバイスも含めて話してくれたこと。たくさんの技法や構図のとり方、技術的な部分は一緒に実践して覚えていったこともあった。その全てが僕にとっては宝物だった。自分が不思議に思ったことの全てを教えてくれた。常に自分の先を行きながらも自分と同じ場所に立って、考え、実践してくれた。先生というには近すぎる、自分にとってはいなくてはならない存在だった。
きっと彼がいなければ今も好き好んで絵なんて描いていない。断言できるほどに僕の人生に影響を与えた人。どうして死んでしまったのか。
こぼれ落ちる涙をカバンから取り出したハンカチで抑えて吸い込んだ。
思い出せば思い出すほどに。問えば問うほどに。僕の中に目を背けていた事実が思い起こされる。
どうしてもなにも、僕が”そのときの“彼をみていなかったのだ。
きっとあのときも距離だけではない“何か”が僕に足りなかっただけなのだ。
友愛が消えていったのは僕のせいなのだ。
短編小説集 好《HAO》5.「弔い」を読んでくださりありがとうございます。
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