第二十話 オーガと謎の視線
水面に浮かぶような生と死の狭間から抜け出し、徐に重き瞼を開けば、見知らぬ天井が待っていた。
無事に先代が目覚めれば、傍らには少女が――。「あっ、やっと起きたんだね! 良かった……」そう張り詰めた頬を緩ませるとともに手を握りしめ、ミイラに変貌した上体を強引に起き上がらせれば、「私が巻いたの‼︎」少女は意気揚々と堂々と宣った。
先代はあまりの起伏の激しき差に沈黙を貫いた。
「結構練習したんだけど、人にやったのは初めてで、その、どう? 上手く巻けてる? 苦しくない?」
そんな妙に重苦しき間が憂慮の念へ落とし込む。
「うん」骨が軋みつつも「大丈夫だよ」微笑んだ。
「そっか、本当に良かった。あっ、ほら、コレ!」
湯気の立ち昇るスープを前面に押し出し、差し出す。
「ごめん、今は食欲無いんだ」
「そう、なんだ」
「……ごめん」
「いいの、気にしないで!」
……。
非を何処へも向けられず、言いようもない虚しさが二人の元に訪れるかと思われた矢先、扉が開かれた。
「あぁ、もう傷の具合は大丈夫そうですね」
「えぇ、お陰様で」
「はは、皮肉として受け取っておきます。トゥーレ、そして来客のキョウスケ様ももしお身体の調子が宜しければ、宴がありますので、是非ご参加下さい」
「えぇ、まぁ後ほど」
「ねぇ、行くだけ行ってみない?」
「え? うぅん、でも……」
「こらトゥーレ、彼は病人ですよ、遊びも程々に」
「はい……」
沈みゆく項垂れる首と周囲の淀みを纏った空気。
「まぁ、行くだけなら」それを見兼ねたお人好しが渋々、心とは逆の思い切りに踏み込んでしまった。
「ホント⁉︎」
「うん」
「じゃ、行こう!」
「あぁ、ちょっと! 引っ張らなくても行けるよ」
「本当に仲がよろしいことで」
「うん! だってお友達なんですもの」
トゥーレは嬉々として弾ませてゆく背へと先代は強引に連れられる、広々とした歳も変わらぬ姿に、茫漠として哀調に満ちた虚しさに襲われていた。
そして――。
「いつか、いつかね! 私もキョウスケたちと一緒に外の世界でみんな一緒に、平和に暮らしたいの‼︎」
その言葉が更なるどん底へと叩き落とされてゆく。
三度、オーガの集う大広間へと足を踏み入れた。
だが、今までとはまるで異なる感情を注がれる。
「……っ、おぉ! やっと来たか!」
「待ちくたびれたわよ!」
「誤解してしまって、ごめんなさい」
「お連れになったのですね、トゥーレ様!」
「さぁ、此方へ! ご馳走が在ります故!」
「キョウスケ様、お身体はもうよろしいんですね」
「可愛らしい御二人が来られましたよ、騎士様!」
トゥーレの兄者が静かに冷徹な眼差しを向ける。
「……」刀剣を手に掛け、交わした視線を切った。
「あぁぁ、あまり気分が優れないようですね」
「さぁ、宴を始めましょう!」
早々に長が微笑ましく見守りながら酒入りのグラスが交わされた久しい宴で羽目を外してはしゃぐ群衆とは裏腹に、先代はさりげなく口に運ばんとするも食べるふりで難なく躱し、他の満面の笑みとは異なり強張る頬を浮かべる様は想像に難くなかった。
そして、興も大詰めに入り、ずっと視界の片隅に映り込んでいた者と遂に向かい合う、兄者と先代。
刀剣の鞘とともに片膝を大地にむざむざと突き、深々と首を垂れて、兄者は囁くように告げられた。
「身勝手な判断で君の尊い命を踏み躙ろうとした、己の不甲斐なさを一生呪うだろう。絶えず湧き上がる憤りをどうか俺を恨み続けてくれて構わない。だが、それは此処の胸にだけに留めてはくれまいか」
「顔を上げて下さい、もう気にしてしませんから」
「その寛大なお心に感謝する。キョウスケよ」
「何故、僕の名を?」
「悪夢に魘され、自身で語っていた長が」
「そう、だったんですか」
「他にも疑問があれば、解消するのに最大限の協力は惜しまない所存だ。さぁ、何でも言ってくれ‼︎」
トゥーレに負けず劣らずの強かさを眼前へ迫る。
「えっ、じゃ、じゃあ、その……」
オーガの群れに周囲を見回し、ふと言葉を漏らす。
「何故、貴方方は此処へ?」
案の定、俯きながら唐突に言葉を詰まらせる。
「あぁ、そりゃ簡単だぁ!」
酔い潰れる寸前の阿呆に絡まれ、心情を口走る。
「俺たちは昔からの敗戦する大国の迫害や奴隷制度の礎にされてきてな、おまけに先祖の気性が荒かったせいで危険な種族とされてな、建設当初から存在した東の国民でありながら此処まで逃げてきた訳」
あっさりと内情を赤裸々に語ってしまった。
「口が過ぎるぞ! 貴様!」
「そう事を荒立てずに、王子様ァ! これは宴なんれすから、ほれにもう彼ら仲間なんでしょぉお?」
阿呆は机に突っ伏し、何処までも堕ちてしまった。
「……申し訳ありませんが、今のも内密に」
「ですね」
「はい」
そうして無事に終わりを迎え、別れの時が訪れた。
ほんの僅かな間でも寂しげな雰囲気を漂わせた一同の中でも群を抜いて死の淵に立たされたように絶望に満ちた消え入りそうな面差しに涙を浮かべて。
「行っちゃうの?」
「うん」
視線を決して交わす事なく、徐に一歩後ずさった。
「ねぇ、此処で一緒に棲まない?」それでも前へ。
「ごめん、行かなければならない場所があるんだ」
「じゃあ、せめて最後に」抱きしめられた暖かな想いには応えられず、小さな肩に添えた小刻みに震わせる手で遠ざけ、眼下の爪先をそそくさと廻らせる。
「また来てね、待ってるから」
「うん」
「ねぇ、これを一緒に持っていってくれない?」
様々な感情を胸の内へと押し込めて、一瞥する。
トゥーレは小さな鍵付きの木の箱を差し出した。
「私の大切な宝物なの」
「なら、受け取れないよ」
「良いの、貴方に持っていって欲しいの!」
「有難う、大切にするよ」
「えぇ」
「この中には何が入ってるの?」
「いずれわかるよ」
「そっか、じゃぁ、またね」
「うん、絶対に――――またね」
そして、急に視界が開けたのも束の間、燦々たる眩い光に包まれ、眼前を掌で翳しつつも垣間見える。
木漏れ日の差す、雲一つない澄み切った空へと。
落とし穴は意志を持った草花に閉ざされていき、
またしても先代は翠緑なる鋭い眼光に襲われた。
瞬く間にロクでもない経験ばかりの【ゴーストナイフを召喚】し、いつになく細めた双眸で周囲に目を凝らせば……それは跡形もなく消え去っていた。
「気のせい、か」
付き纏われていたのは本当に先代だったのだろうか。そんなふと頭に浮かぶのは杞憂なのだろうか。
それからユージュアル、いやメイズフォレストの奥地に立たされ、多くの理不尽なる食物連鎖を目の当たりにしながらも泰然と歩みを進めていく先代を、誰一人として襲う愚か者はいなかった。