第十四話 スラム街と少女と大魔導士との邂逅
「にしても……」
煤と泥で薄汚れたローブを羽織った者達が、路地裏から光の失われた淀んだ眼差しで見つめてくる。
「物乞いが多いな」
「うん、さっき僕もまだ小学生くらいの子供にせがまれたよ」
「絶対に渡すなよ、一瞬で囲まれるぞ。それと金品もこれ見よがしに付けるなよ。下手したら殺られる」
「うん」
「ハァ……正にスラム街だな」
聞き慣れぬ言葉の傍ら煩慮の念を巡らせつつも、先代が勇者像を何度となく目に焼き付けていた姿に、聞きそびれる程度に方々へと分散した意識を大慌てに再集結させ、延々と続く光景に再び注いだ。
「どうした?」
友を立ち止まらせても尚、果てなく見つめ続ける。
「おい!」そう告げた怒号混じりの一声に何処かへ旅をする心を舞い戻らせてハッと我に返ったのか、まるで他人事のように振り向く。
「あ、ごめん。何? 聞いてなかった」
どうやら俺の抱く杞憂は此方側にあったようだ。
「何をぼーっとしているかと聞いているんだ」
「いやぁ、ちょっとね。あれが」
「あれ?」
先代の緩慢に流してゆく視線の先へと友は続く。
「何だ? どうした?」
「さっきからちょくちょく、勇者の像があるでしょ」
「あぁ、そうだな。目障りに道のど真ん中にな」
「まぁ、噴水の大広間だからね。今それはよくて、確かこの世界には8代目までの勇者が出ているのに、10回も見ていたのに出てきた人はたった3人だけっていうのは、なんか不思議というかおかしくない?」
「かもな」
「でしょ」
「お前って常人じゃ気付かないような場所に目を向けているな」
「あはは、ありがと」
「別に褒めていない。むしろ、前を見て歩け。これは啓発だぞ、いつ野蛮な御者に轢かれるやもしれん」
「ちょっと!」
「あ?」
甲高く溌剌とした声色の子供が会話に挟まれた。いや正確に言えば、割り込んできたが相応だろう。
「誰だ? お前」
赤一色で腰に手を当てて頬を僅かに膨らます少女。
「お前じゃない! アルベリカ! アルベリカ・フォンデュレーよ! それよりもさっきの話だけど、此処の人たちが民を轢くなんてある訳ないでしょ‼︎ 撤回しなさい! 然も無いと容赦しないわよ!」おまけに無法者に見境なく、果てない忠誠心と安心の信頼を未だに信じ続けている子のようだ。
その一言に道ゆく者やら露天を除いていた者達が不思議そうに様々な場所に散らばっていた視線が、道のど真ん中で言い争う二人の元へ熱く注がれた。
「何? どうしたの?」
「喧嘩?」
「おいおい、勘弁してくれよ」
「ハァ、またか。最近、変なのが増えたな」
「これも移民のせいよ。いつまでこんなの続けなければいけないのかしら」
「兵士さんは何やってんだ」
「おかあさーん、あれなーに?」
「こら、見ちゃ駄目よ。ほら、行くわよ」
愚痴の掃き溜めとして投げ掛けられていくものの、二人はまるで聞く耳を持たずに言い争いを続け、先代は双方に板挟みにされながらも必死に誤解を解こうと、声を高々に響かせようとするも、
「あ、あの、これは違うんです……いきなり絡まれたというか、この子が喧嘩を売ってきたというか、いや正確にはこっちの責任もあるんですが、その」
その想いは中々、上手くいきそうになかった。
「嫌だね、餓鬼はさっさと帰って寝てな」
「もー! アッタマ来た! 許さないんだから」
そう掌から収まる程度の真っ赤に燃ゆる焔を生む。
「公衆の面前で一般人相手に魔法を使用する事を許可した覚えはありませんよ、フォンデュレー。今すぐに矛を収めなさい」
「ハッ! も、申し訳ありません」
凄まじい魔力の込められた世界樹の大杖を握りしめた丸眼鏡の凛々しく大人しそうな長髪の青年が、一驚を喫するどころか、暴食を過ぎたような面持ちを浮かべるアルベリカは直様、深々と首を垂れた。
「も、申し訳ありません。お師匠‼︎ つい、このようなこの混乱の世をより一層を乱さんとする不逞の輩に誅罰を与えようとしましたが、出過ぎた真似を」
「言い訳は、私が理由を聞いてからですよ」
「はい」
「誠に申し訳ありません。皆様、お買い物や道すがらの会話に風景を楽しんでいたでしょうに、このように不束な弟子のせいで気分を害してしまった事を心より謝罪致します。どうかお許しを――――」
「オリケーさんがそう言うなら、よく見たらいつものアルベリカじゃないか、はは、全く頼もしいよ」
「いえいえ、監督不行き届きで面目ありません」
「何言ってんだい、十分頑張ってるよ、お前さんは」
「ありがとうございます」
「これからも此処らのパトロールを頼むよ」
「えぇ、時間さえあれば、是非に」
「オリケーや、いつも頼ってばかりですまないね」
「とんでもありません。市民の平和を守るのも私の仕事の一つですから」
「オリケーさん! もうちょっとアルベリカにお淑やかを教えてやってはくれんか!」
「えぇ、精進致します」
「いやぁーすまんね」
「いえいえ、こちらこそ」
「あんたがいる限り、此処も安泰だなぁ」
「ありがとうございます」
「貴方が王様だったらねぇ、どれだけ頼もしいか」
「王になど遠く及びません。それにこのようなことは、あまり大衆の前では口にしないように」
「はは、わかってるよ」
「兵士よりもよっぽど、役に立つよ、アンタは」
「彼等も外で命を賭して戦っていますから」
「オリケーさんだ!」
「えぇ、そうね……良かったわ」
「どうもー」
ほんの一瞬で張り詰めた空気を緩ませてしまった。
「あっ、終わった」そっと肩に手を添える御老人。
「アンタもよくやってるよ、これ食って頑張んな」
そう先の垂涎ものの湯気の立つ肉巻きを手渡された。
「あ、ありがとうございます」
「ほら、アンタ細いんだから、これも食べな」その隣のチリスの添えられた脂の溢れ出す焼き魚までも押し付けるように差し出し、受け取ってしまった。
またしても金品の物乞いかと思いきや、「あの‼︎」珍しく断ろうと声を荒げる意外な一面を見せる先代であった。
「あんた、兵士さんだろ?」
「まだ新米で上からの色々も大変だろうが、ちゃんとやんなさいよ」
「いえ、俺は」
「最近はたくさんの兵士が死んじまってねぇ」
「あぁ、家の子も結界の外への任務に行ってから、帰ってきてないからねぇ。帰ってきたらたらふく食わせてやんないと」
「でしたら、せめてお金だけでも」
「受け取らんよ」
「あぁ、それは大切な人に使いなさい」
「でも」
「ほら、話も終わったようだし、行きな」
「負けるんじゃないよ!」
「はぃ、はい!」
思わぬ形で誤解を招いてしまってまさかのエールを贈られた先代は、友人らが手招く方へ進みゆく。
「何やってんだよ」
「なんか貰っちゃって」
「まぁ、いい。それより此奴等が」
「此奴等じゃない!」
「貴方は国から召喚された勇者様ですね?」
「っ、はい」
「事情は知っていますので、ご安心を。残念ながら、これから私たちは仕事ですので、ほんの少しな時間、せめて貴方方の疑問の解決にご協力させて頂けたらなと、後お食事もとも思ったのですが、ご友人の方は既に満たしているようですね、良かった」
「あ、これは、貰いました」
「はは、人柄ですね。どうぞ、此方へ。立ち話もなんですから、食事も交えて、語らいましょう」
「ど、どうする?」
「懐疑的だが、まぁ良いだろう」
互いの耳元にかろうじて届くであろう囁き声を、盗み聞きしていたアルベリカが、またしても頬を赤らめ、派手な振る舞いで苛立ちを露わにし出した。
「何様よ! アンタたち」
「僕も入ってるんだ」
「そうよ! このチビ野郎!」
「……」
その毒突く姿は正に負け惜しみを告げる稚児であった。
「アルベリカ、これ以上の愚行は許しませんよ」
「っ! はい、ごめんなさい……」
上唇を尖らせ、しょんぼりと空気をも沈ませた。
「では、宜しければ行きましょう」
「チッ、まだ残念ながら、時間があるから行ってやる」
「このっ!」慌てて凛と鋭く刺す視線に振り返り、悔しさを噛み締めて振り上げんとした拳を下ろした。
「えぇ、お願いします」
その一言にアルベリカは心なしか、胸の淵から噴き上がってきた爆発的な感情を静まり返らせた。