第三話 異世界
念の為にも跪かんと身を屈めようとしたのだが、どれだけ大きく踠こうとも身動きの一切が許されず、忽ち過去の記憶が蘇った。
数分前。
「よし、行こう」
「はい」
馬車の末尾に身を置く双方の間に生じる、厚き壁に遮られ、決して振り向くことが許されずにいた。
だが、「あの、少し宜しいでしょうか」
「どうした?」
先代がリベルの問い掛けに応えて、視線が一点に留まった瞬間、無意識のうちに俺は凝視していた。
清濁を併せ飲んで表面が淡く淀みが浮かび、奥底が歪んで仄かに淡く色濃く染まっていた蒼き瞳に。
そうか、これは……記憶の中なのか。
思い通りに動けぬ実態無き体が何処とないもどかしさを駆り立てて、頻りに気持ち悪さに襲われた。
「何人かは失敗したか」
全身を覆い隠す黒きローブを身に纏う大魔導士が小さく囁いた視線の行く先に何があるのか先代は好奇心に抗えず、恐る恐る小刻みに震わす目を向けた。
心の奥底ではわかっていた筈なのに。
「イヤァァーーッ!」
けたたましい悲鳴を上げた一人の少女が、死から逃れて戸惑う生徒たちを大地に血溜まりを生み出して臥した憐れな者たちに目を向けさせてしまった。
「毎度、必ず誰かはこうなる運命なのだ。許せ、異邦人よ」
「うっ!」
凄惨な死に様を遂げた姿を望まぬ形で目の当たりにしてしまった少年らが吐瀉物を地に撒き散らし、緩やかに広がっていく鮮血は、仄暗い地下を照らす円を成した魔法陣が刻まれた溝に流れ込んでいく。
「体調が優れぬだろうが立ってもらわねばならん。貴様らに課した儀式はまだ未完成なのだ」
「は?」
先程の浮かれた者達の言葉などは見る影も無く、次第に伝播する恐怖に押し潰されて響動めていた。
「でなければ、殺す」
その脅迫を超えた一言に気圧され、口元を必死に押さえながらも吐き出していく者達の傍らに佇む、先代達は先程の毒舌の少年から目を離せずにいた。
無様でいてあられもない只の肉塊となった姿に。
「……フッ」
そんな見慣れぬであろう光景を瞼の裏に焼き付けても依然として泰然とする振る舞いを見せる一人の少年。その鼻で笑う声の先には先代の友人がいた。
まるで獣の如く凛とした冷徹な眼差しで見下ろす。
「神様神様神様」などと俯きながら続け様に届かぬ祈りを捧げる者や、「嘘だ、そうだ夢だ、きっといや絶対に……!」などと現実逃避に走る者もいて、
皆誰しもが異なる形で絶望に打ちひしがれていた。
たった一人を除いて。
「……ん? 貴様! 国王陛下の御前であるぞ!」
友人は怒号を飛ばす大魔導士へと静かに視線を向け、手元には忽然と鈍く輝くナイフを呼び出した。
「此処が何なのかを知らぬ貴様ごときに……っ!」
自らの見るに耐えない傲慢さを唾液を多分に含んだ罵声でこれでもかと誇示し続ける大魔導士を横目に、緩慢に手首を返らせて逆手持ちに切り替えて。
「よく喋るな」
「きっさ――」
投擲。
最小限の動きで的確に放り投げられた一撃は綺麗に無防備な喉元に突き刺さり、緋色の鮮血が噴き出すと同時に大地に音を立ててあっさりと倒れ込む。
己の溢れ出た血溜まりによって無様に陸地で溺れ、淡い緑光を発することもできずに眠りにつく。
「ほう……貴様、名は何と言う?」
「俺に話しかけんじゃねぇ、殺すぞ?」
「口を慎め、異邦人。先の一撃は見事であったが、今のお前では国王陛下に牙を向けることなど到底、叶えはしない」
「何?」
「今この時をもって、全ての召喚は完成された」
「腕だよ」
「あ?」
先代が眼前に翳した腕には、悍ましい紫紺を帯びた光の鎖が螺旋を描いて、身体中に刻まれていた。
「我々に牙を向くような動きを見せれば、その鎖が即座に貴様らの体を縛り付け、死へと導くだろう。言動には最大限の注意を払って、慎ましく生きろ」
「……」
「此奴らに我が国を見せようぞ」
「ハッ、承知いたしました。全員、今すぐ立て! 王の御命令だ。距離を作らずに、私の後に続け!」
「誰がお前らのようなゴミに――」
「おい! よせ! 俺たちまで巻き添えをくらったらどうする!」
先代を含む多くの者たちが依然として歯向かう姿勢を辞めぬ豪胆なる友人を取り押さえ、「おいっ離せ! 殺すぞ!」鬼気迫る形相を浮かべて刃を振り回さんとしたが、「家に帰るんだっ……みんな! だから、今は辛抱して!」またしてもお預けを食らうこととなったが、皆は渋々、近衛兵の後に続く。
覗ける程度の隙間が広がるリファルタで造られた灰色に染まりし延々と続く螺旋階段を登ってゆき、そんな窓辺さながらの奥へそっと視線を向ければ、懐かしの色褪せた屋根が続く光景が広がっていた。
そして、数人の生徒の身体が魔素の毒によって獣のように肥大化し、衣服から垣間見える皮膚は醜く硬く黒々と焼け焦げた姿になり、小さく呻きつつも無事に先代たちは見晴らしの良い屋上に辿り着く。
「此処は貴様らの世界とは異なる世界の東の果て。我が国、パクスの王都である。これから先、勇者として相応しい者を選定する為、貴様らを指導する」
「は?」
「跪け」
侮蔑を含んだ虚ろでいて光無き眼差しが見下ろす。
だが、先代の視線が惹かれたのは、その先に飛ぶ、耳で飛ぶ一羽のただのリッサーの姿であった。