第七十一話 弥彦
一度、たった一度だけ……目にしたことがある。それはまだ、俺があの世界に居た頃の最後の日だ。
「お前、名は?」
「この世に召喚した4代目勇者は私を弥彦と呼んだ」
「4代目――異邦人召喚を禁じたと聞いていたが?」
「あらゆる拷問と実験を施したのも、同じ人間だ」
「な、何故、あの世界の人間を」
「簡単な話だ。彼等に人権など無い」
【魔法強化、筋肉増強、瞬足、重力遮断、第六感進化、両眼に神眼付与を強制発動。体内の魔力が臓器から多量に露出、魔素が毒と化して暴走しています。黒いオーラとなって、周囲の生命を全て腐らせます。強化魔術の多重詠唱付与のアサシンダガーを召喚】
「は?」
「しかし、性質そのものに危険性があるとされ、召喚での研究及び実験は全面禁止された、筈だった。奇しくも初代勇者の創設したシステムが敗戦国を窮地へと追い込み、貴様らを召喚してしまったのだ」
「それでも止めることくらい出来ただろう!」
「かく云う私も、僅かな期待を抱いていたからな」
「あぁ⁉︎」
「ならば、召喚者に殉じる貴様が何故、協力を?」
10代目は俺の行方を遮るように前に手を伸ばしながら一歩前に出て、代わりに言葉を交わし始めた。
「私の役目は召喚者が死なぬように最大限の助力することだ」
「だっったらぁ! なんで残っているのはたった二人だけなんだ‼︎」
「二人? いや、二人も三人もそう変わらないな。我々は人類に直接的な干渉が出来ぬ存在なのだ」
「それは事実です。現に四大精霊も黄金卿に棲まう我々亡霊も貴方方への介入は固く禁じられており」
「理由は?」
「4代目勇者が強大過ぎる力を恐れてのことと結論付いていますが、真相は未だ分かっていない状況で」
「だとしても‼︎ もっと他にやり方があった筈だ!」
「故に、貴様ら地球の世界に浸透したもので錯覚させるつもりだったのだが、思いの外、環境に対する抵抗と適応が悪く、事が順調に運ばなかったのだ」
「そのせいでっ、ゲームの知識が無い者たちの恐怖を余計に煽っていたんだぞ! わかるか……ッッ‼︎」
「そうか、では改めよう」
一切悪びれもなく、悠然と見下ろし続けていた。
「我々の世界にのみ通ずることではない。貴様らが生息していた世界にも同様のことが常に全土で発生し、被害者は今も増加の一途を辿っているだろう」
「戯言を! っ! ……」
幾度となく脳裏に駆け巡っていく最悪の光景が、自然と漠然とした遣る瀬無さと脱力感を襲わせた。
「だから、信奉者は先代の始末に躍起になっていると?」
「脅威の排除としての面がある一方、異邦人の誰一人も魔王城に居ないのが、深刻な問題なのだろう」
「周期的な魔王の誕生には奴等が絡んでいたのか」
「これも全ては、この世の平和と均衡を保つ為だ」
「本来、安寧を守るために創り出した仕組みを改竄してでも戦争を続けるこの世界に、そんな希望を見出しているのか? 随分と楽観的な思考回路だな」
「それでも凄惨な過去と比べれば、幾分か良い方向へと進んでいる」
「地球を巻き込んでも、たったこれだけの成果だ。こんな暗愚な歩みでは、この星が滅ぶ方が早いぞ」
「それもまた運命なのだろう」
「……ッ!」
「勇者も、魔王も世界の循環の一部……なのか?」
「それは初代勇者――フローズ・クライスターの行く末を見ていれば、私が答えるまでも無いだろう」
「そう、なのか」
子孫の傍らに佇む亡霊は、ずっと悲壮に満ち溢れた顔に染まり、固く口を閉ざしたまま俯いていた。
そういえば、俺の目を見てからだったような。
「……ッ! 此処の」
無意識に口走っていく小刻みに震わせた言葉が散乱とした皆の視線を一点に集め、頬を熱くさせる。
「黄金卿の住人が消え始めたのは4代目が、完全な異邦人をこの世界に呼び出してからじゃないのか?」
「如何にも」
「じゃぁ、俺たちの眼には」
「彼女等の魂が籠っている」
わかりきっていた筈なのに、どうしようもなく身体中に忽ち息を失う戦慄が走り、身の毛がよだつ。
「お前に、心は無いのか?」
「ある筈も無い。感情を優先すれば、やがては滅びゆく世界をただ眺めるだけの存在になってしまう」
無愛想極まる表情にも、威風堂々たる全貌にも、
淀みきった同じ真っ黒な瞳にさえ、頭を駆け巡っただろう一言を告げても、一切の揺るぎはなかった。
「この初代勇者の子孫の横に居るのが、甘さ故、貴様が奪われたアサシンの神眼に宿されし女の妹だ」
「レイス、レイスとでもお呼びください。京介様」
「それで俺たちを何故、招いた?」
「今のままではあの者には到底太刀打ち出来ないと我々の神眼が仰いました次第です」
「神眼? 俺が持っているのとはまた別物なんですか?」
「えぇ、右と左で其々別れておりまして、赤と青。未来と過去のあらゆるものを見通す力です。そして、これから貴方方がその宿主となるのです」
「は?」
「ど、どう云うことですか?」
「もう黄金卿は本来の力と神聖さを失い、深い眠りに堕ちました。最早、此処から出ることはおろか、地上に力を送ることさえままならない私などよりも、今この瞬間にも生気に満ち溢れ、己の選択や想いに揺れ動く御二人こそ、正しい所有者なのです」
そう僅かな恐れもなく、対照的とも言える程に、嬉々として自らの其々が異なる両方の神眼を満面の笑みを変えぬまま血飛沫が噴き出しても抉り取り、引き攣った頬で後ずさる俺たちの前に差し出した。