第六十九話 サキュバスとドライアド
乾いた気持ちを潤わさんと此度の施設に微かな期待を乗せて、不思議と弾んだ足取りで足を運べば、
「うっふーん」
きっと入浴剤で白濁する湯気の立ち込める大浴場に裸で浸かっていた一人のサキュバスが、ウィンクとともに艶やかな唇に豊満な胸をこれ見よがしに。
「は、破廉恥ですッ‼︎」
そうあわあわと顔を赤らめながら両の指で覆い隠すも、それは隙間だらけで丸見えのようであった。
だが、俺に、俺たちにとっては苦痛に顔を歪めて、血が噴き出す程拳を握りしめた光景であった。
「……」
そんな決して逃れられぬ追憶に駆られていたら、背後からチクチクとした視線に突き刺されていた。
「狩るぞ」
「魅了耐性は?」
「今は無い」
「では、私が」
「あぁ、何度もすまないな」
「いえ」
「な、何故! ですか!」
「ん?」
次の道行きを確認せんとする俺と、サキュバスへと剣の鞘を払って進んでゆく10代目を呼び止めた。
「べ、別に無理に倒さなくたって」
「あれは、人の生命力を吸って生きているんだ。仮に此処で見逃したって、いずれは死んでしまうさ」
「そう、なんですか……」
「寧ろ、よく此処まで生きてこれたものだ」
「研究施設に居た、彼らの生命力を何らかの形で、半永久的に吸い続けていたのでしょう」
「かもしれないな」
「無理なら目を閉じていてくれ」
「はい――」
健やかな肉体を露わとしていたサキュバスだったが、次第に迫ってくる己に向けられた刃を視界に収めると、刹那に他人の云う美貌は失われていった。
「ハァ……嫌な旅だな、全く」
「それに関しては、私も同感ですよ」
さぞ効能であろう水面に広がっていく真っ赤な液体。静かに眠っていく彼女は燃え滓ように散っていく。
不思議と心残りなく、泡沫に天へ昇っていった。
「終わったぞ、こっちも大丈夫そうだ。行こう」
次なる道も三度、真っ暗闇に閉ざされていたが、一瞥すればコルマットも精霊さえも等しく哀愁漂わせた面差しを浮かべていて、俺も嘆息を漏らし、無理やりスキップするように大きく一歩踏み出した。
「緑か……自然だってのに、嫌だね全く」
瑞々しく鮮やかで鬱蒼と生い茂った草原が広がり、若葉が芽吹く木陰には草木を纏う女性が居た。
【ドライアドを確認】
「ったく、嫌だね。どいつもこいつも」
緩慢にポールナイフを握りしめて、あの感情が目まぐるしく移ろっていく馬鹿どもが立ち入る前に、サクサクとした音を立てる雑草を踏み締めていく。
相手がほんの僅かな仕草に出ようとした瞬間――魔法陣を足元に巡らせ、眼前に迫って刃を振るう。
まだ何一つ見せていない、してないと言うのに。
綺麗な緑にボトっと音を立てて、それは堕ちる。
ナイフを霧散させながら徐に天を仰げば、そよ風に戦ぐ木漏れ日から微かな陽光が降り注いでいた。
そして……遂に堅牢無比なる扉へと辿り着いた。それも両端に深き眠りに落ちたゴーレムを添えて。
「門番、ですね」
「あぁ、にしても」
それにしても、何とまぁ肌を突き刺してくる上に強そうな異彩を放っていらっしゃるのでしょうか。
そーっと足音を忍ばせて通り過ぎようとすれば、当然の如く彼らは眠りから目覚め、立ち上がった。
それでも尚、俺は鼓膜によく響かす生唾を呑みながらも頑として、悠然とした振る舞いで闊歩する。
「……」
すると、誤認識でもしてくれたのか、門番達は自ら重き金属らしき天にも届き得る高さの扉を開き、その先には記憶に無い筈なのに郷愁に駆られてしまうほどの黄金色に輝く美しい景色が広がっていた。
「ぉぉ」
あまりの壮観さで、思わず声に出してしまった。
「行こう」
心を踊らせたまま、皆を誘う。黄金卿跡地へと。
そんな最高潮に小悪魔と化した元精霊らが不気味に甲高い声を上げながら飛び出し、門番達が大振りに刃を繰り出していたが、俺は即座に焼き殺した。
それはほんの一瞬、悲鳴を上げる間も与えずに。
「ようこそお越し下さいました、勇者御一行様。どうぞこちらへ、あのお方の元まで私がご案内致します」
「貴方は……」
「えぇ」
全貌が蜃気楼の如く霞んだ女性の亡霊が招き、俺たちは猜疑心を募らせつつも玉座の間に辿り着く。
「こんな場でも権威を振るいたのか」
そう嫌味混じりに告げれば、「いいえ、これは魔王城を模倣した一種の遺物、単なる建造物に過ぎません」
思い掛けぬ鋭いストレートで俺は目を見開いた。
「これから御二人が戦う場所でもありますからと、残り少ない力を割いてまで作ってくださいました」
「は? ……誰だ? 誰なんだ、それは?」
「どうぞ、此方へ」
亡霊の傍らに忽然と現れし神々しい童顔の青年。
「……ぁ?」
「こ、此処は何なのでしょうか?」
「きっと貴方方も会敵してしまったでしょうが、他にも数多くの魔物が存在し、隔たれた壁を破られ、魔法が解かれてしまったことから、誰も寄せ付けぬ古にして幻の聖地、迷宮と化してしまったのです」
「申し訳ありませんが、お名前を聞いても?」
「あぁ、そうですね。自己紹介がまだでした。ごほん、では、失礼して――――私は、フローズ・クライスターの子孫、マツ・クライスターと申します」