第六十五話 決着
無駄に重い十字架を颯と担ぎ、徐に後ずさっていた信奉者に軽やかに舞う身に沿わせて華麗に振るい、紙一重で片足を大地に円を描くかの如く踵側へ回して重心を逸らして身を躱すので、その先で劣勢な10代目君の助太刀として無差別に投擲してしまった。
それは綺麗に一番若い青年の脇腹を抉って、「ぅぁぁっ‼︎」と、心の底から悲鳴を上げながら真っ赤な臓物を撒き散らし、十字架とともに大地に倒れた。
「ん?」
なんだろうか、この妙な体に付き纏う違和感は。
そんな嫌な気持ちの悪さを探ろうとする最中に、信奉者はこれ又奇妙で不可思議な光を宿らせた掌を猫の手のように俺の頬に目掛けて繰り出していた。
「邪魔だよ、失せろ」
手軽く肘を斜めに傾いで一打を容易く逸らし、颯と肋骨に手を触れながら紫紺の魔法陣を巡らせ、隙間から垣間見える元気そうな肺を鎖で引き摺り出す。
「ぶはっ!」
「あぁ、骨は折れなかったのか」
せっかく牢獄に閉ざされた臓物を取り出してやろうとしたのに彼もまた逃げ出す意思が無いようで、せっかくだからもう一発、続け様に再び振るった。
そして、まるでゾンビのように這い上がる若人が無様に這いつくばった10代目君に刃を突き立てて、正に絶体絶命なご様子なのに助けは呼ばなかった。
なんだか可哀想なので、前傾姿勢で跳び出して、
黙って眠ってればいいもの無駄に根性があるせいでこれから辛い思いをする生意気な若人を足蹴にし、傍らのお爺さんに流れるように踵を丹田に振るう。
「ぅっ!」
「っ!」
「大丈夫かい?」
「えぇ、お陰様で」
「気にしなくて良いよ、君のような足手纏いを連れるのは慣れているから」
「貴方は先日、兵士を撃った人ですね?」
「へぇ、わかるんだ。君は彼と仲が良いんだね」
「そんなんじゃありません、それよりも今は戦いに」
「きっ、貴様らのような卑劣な遊びとは違って、我々は崇高な任務を成し遂げなければならないッ‼︎」
「へぇ、まだ起きてたんだ。根性だけは認めるよ」
「魔王討伐などと大義名分を宣って、国の犬が!」
「よくわかるよ。その行動に何の疑念も持たずに、自分が絶対に正しいんだって言い聞かせるのは。でもね、それが日常なだけで正解とは限らないんだ」
爪を立ててシャーと威嚇する憐れな仔猫を前に、思わず自分では諭しながらも捲し立ててしまった。
「っ! 貴様などに同情など! 殺す!」
「落ち着け」
「ん?」
「彼もまたあと数年で、世界の礎となるのだから」
含みありげに囁いて、緩やかに歩み寄ってくる。
「貴様らに進まねばらぬ道があるように、我々にも守り通さねばならぬものがあるのだ――未来にな」
「ほう、それは素晴らしいね」
「故に、貴様には此処で一度、死んで貰わねばな」
五つの色が混ざりし五芒星が足元から眩く迸った。
そのまま瞬く間に眼前へと迫って、燦爛と輝く。
「なっ!」
ーんて。
御老人が膝立ちで正に茫然自失の頭に手を添え、【現在、幻覚を使用中。対象者に攻撃を加えることが出来ません】とまぁ、随分と人間らしい声色だ。
やっぱり少し声が変わったみたいだね。
……。
決して言葉を返す様子が一切無く、ステータスに纏わりつく謎の存在は依然として、沈黙を続けた。
どうやら僕と会話をする気は無いんだね。
「ゥァァッッ‼︎」
三度、煩わしく大声を喚き散らかして、刃を振り翳す。瞳が反射するほど眼前であるにもかかわらず、手の甲伝いに大地に叩きつけ、無き左腕を差し出す。
自らが迫った勢いを殺せずに俺の引き摺り出されるような激痛が絶えず走る、傷口無き先から骨を剥き出しにして喉笛を突き刺し、「ぶはっ……っ! っ‼︎」陸地で溺れる憐れな陸生生物を突き飛ばした。
「たとえ手を切り落とされようとも、足を捥がれようとも、首を刎ねられようとも、神への信仰を――世界への忠義を決して忘れるな。貴様ら信奉者の真骨頂を今一度、見せてみろ」
「……ッ!」
そして、正に最後の力を振り絞って立ち上がる。
「蟲龍‼︎」
それは忽然と悍ましい全貌を露わにして現れる、
無数の毒虫に蝕まれた龍ならざる化け物であった。
「召喚術か?」
「先代‼︎」
「あぁ、わかっているよ」
【MP全回復魔法瓶×1を召喚】
緩慢に透き通った回復薬を飲み干す音を鼓膜に響かせ、生えた両手を重ね合わせて印を結び終える。
「ウァァァッッ‼︎」
淀んだ紫紺の大息たるブレスを口から垣間見せ、
「天照」
神々しく黄金色を帯びた淡い光が天から降り注ぐ。
空気をも紫色に染め上げる虫を多分に含んだブレスは、俺の喉笛まであと一歩のところで蛍さながらの綺麗な光とともに跡形もなく消え去っていった。
だが、――。
立ち所に毒虫がけたたましい悲鳴を上げて燃え滓のように散っていくが、あまりにも数が多過ぎた。
いけるのか? 今の魔力量で……。
【最後のMP全回復薬の魔法瓶×1を召喚しますか?】
「……! いいや、大丈夫そうだ」
次第にその輝きは削り落とされたかのように減らされていくMPとともに失われていくが、まるで何かに引き寄せられるように龍は原型を無くしていく。
「これが黄金卿の力か……」
そして、最後は信奉者さえも泡沫に霧散した。
「……人ならざる者になったのか?」
その場には元からの無数の色濃い霧状の噎せ返るような魔素が漂っていたが、忽ち彩鮮やかな緑が、心安らぐ華やぐ草花が辺り一帯に広がっていった。
「いえ、きっと彼は模倣――だったのでしょう」
その一言にそそくさと御老人に視線を向ければ、同じく星の一部になるように天へと昇っていった。
【激しい魔力消費によって生命エネルギーが完全に枯渇し、信奉者の生命反応が消え掛かっています】
大地に臥したままの信奉者へと歩み寄っていく。
「あんなに凄そうな雰囲気を出していたのに、意外と最後は呆気ないものだな」
「えぇ。申し訳ありませんが、限界が来たようです。もっと貴方方とお話がしたかったのですが……」
「僕らはそうでもない」
「それは残念です」
「何を企んでいる、いや企んでいた?」
「至って健全な理由ですよ、聞いても面白くない。私は勇者様を愛す、ただの信奉者に過ぎませんから」
「本来なら一個小隊が迎え撃つ筈だろう? 何故、貴様だけが此処で僕たちを待ち構えていたんだ?」
「お恥ずかしながら、初めて嘘をついたんですよ」
「何?」
「世界の命運が懸かっていると言うのに、私のような一個人の身勝手な判断で御二人に希望を感じてしまい、私情に走ってしまった。本当にただそれだけです、本当に。ですが、一つだけ注意してください」
「……?」
「保険は用意してありますので……もし、失敗する可能性の方が高いと判断されたのなら、その時は、潔く死んでくださるとこちらも非常に助かります」
「そうか、どうやって俺たちの存在に気付いた?」
「貴方の、僭越ながらリア様の義眼に施された独特な魔素の残滓を残している故、それを追っての事」
「そう、だったのか」
切り裂かれた真っ白な布から僅かに垣間見える瞳は色彩を失い、虚ろで暗き淀みに沈み始めていた。
これで僕の役目も一旦は、終わりだな。
静かに瞼を閉ざした。
起きて。
っ!
気付けばまた、俺は現実世界に舞い戻っていた。
「な、何で……お前は」
「おや、戻ってしまったようですね、残念です」
「……?」
あの好青年は風前の灯で大地に横たわっていた。
そうか、もう終わったのか。
お前は本当に強いな、京介。
【あと僅か数秒で、信奉者の命が尽き果てます】
「最後に一つ、宜しいでしょうか?」
「何だ」
もう戯言をほざく余裕ですら無いだろうに。
最後の言葉を紡ごうとする信奉者が小さく囁く口元にそっと耳を寄せた――その瞬間、緩慢に俺の胸に手を添え、「リベル」そう、静かに告げたのだった。
「しまっ!」
そう言い残して、満面の笑みを浮かべて散った。
最後に俺に呪いを、最期に天に無数の鮮血の鳥を羽撃かせて。
俺たちの信奉者との激闘は静かに幕を下ろした。