第五十八話 絶望の深淵
お互い最後まで穏便に済ませようとタイミング良く提案したお陰で、貿易目的の渡航商人らとともに双大陸の凹凸の激しき道のりを馬車で進んでいく。
「何故、彼等と共に?」
「全てが終わったところで、始末されては困るからな」
「これから何処へ行くのですか?」
「うん? あぁ、それは死の狭間と呼ばれし場所。通称、絶望の深淵と言われていて、最上級の魔物がうじゃうじゃいる大峡谷だよ」
「そ、そんな危険な場所を通るんですか?」
「近道だからね――其処で商人達ともお別れだよ」
「そう、なんですか」
「大丈夫だよ、そんなに恐れるもんじゃない」
それから何事もなく、絶望の深淵へと行き着く。
「本当に大丈夫なんでしょうか……」
遥かな上空には七色に染まりし無数の龍が犇き、ほんの少し手を伸ばせば、届きそうな辺りにはけたたましい咆哮を飛ばすグリフォンやらヒッポグリフたちが空を切り裂いて飛び交い、そして、砂漠にも等しき深淵を覗けば、無数の丸太の如く巨躯の毒々しいバジリスクが谷底の覇者として君臨していた。
「基本的に是等が争うことはないが、食糧が激減したり、縄張り争いが激化すると猛戦争が勃発する」
「そ、そうなんですか」
「よし、行こう」
「え? あ、あの荷馬車は?」
「10代目」
「はい」
10代目は無詠唱で馬をも簡単に手に収めてしまい、そのまま無愛想を極めて淡々と俺の後に続く。
「あれがヒポグリフ? あっちがグリフォン? ですか?」
と、そっと疑問を投げかけるベリルの想いに微笑みながら「あぁ、そうだよ」と言いながら小さく頷き、次は七色の龍に嬉々として指を差していった。
「たくさんの龍がいるんですね!」
「フッ」
「どうされたんですか?」
「いや、懐かしくてね。つい笑ってしまったんだ。俺も昔、無謀ながらも此処を渡ろうとしたんだよ」
「どうしてですか⁉︎」
「面倒な一個師団に追われていてね、もう死に物狂いで逃げ回ってたら此処に来たんだ。そして、この大峡谷を渡るの恐れて飛べば、龍の炎に焼き尽くされ、ピポグリフとグリフォンに足蹴にされ、挙げ句の果てにはバジリスクの大群が奪い合い、丸呑みにされてしまったけれど、何とか爆散して命からがら逃げ仰たけどね」
「よく今まで生きてこれましたね」
「だから勇者になったんだよ」
「納得です」
「お前もそんな感じだったろ?」
「えぇ、そんなところです」
「……。すまない、自分語りが過ぎたな」
「いえいえ、レグルス様のお話聞くの好きです私! ところで、いつ勇者になられたんですか?」
「丁度、3年前――だったかな」
ふと憎たらしい程の快晴が茫漠と広がる天を仰げば、どうしようもなく何処となく虚しさが襲った。
「……? 大丈夫ですか?」
「あぁ、すまない。何でもないよ」
「そうですか」
「じゃ、渡ろうか」
「此処をですか?」
「当たり前だろ?」
命綱無しの綱渡り。
そう呼ばれてもおかしくないくらいのボロ汚い補強も無き一本橋が大峡谷の狭間に掛けられていた。
「飛ぶのは、止めた方が良さそうですね」
「あぁ、だから此処を渡るしかないの、ほら行くぞ。一人ずつでも、全員でも構わないから」
「一人ずつで行きましょう!」
「危険が及ばぬよう、慎重に渡りましょう」
「あぁ、わかった。じゃあ俺が最初に行くよ」
「はい、お願いします」
ギチギチとまぁ何ともいやらしい音を立てて、一歩、また一歩と踏み出していく度にありえないくらい沈んでいき、何とか向こうの崖へと辿り着いた。
「うん、大丈夫そうだな。次だ! 渡ってくれ!」
「はい!」
「何があるかわからないから注意しろ!」
アクシデント不可避な筈の理不尽なるサブイベントも意外と呆気なく淡々と一人ずつ渡ってゆき、何事もなく終えてしまった。寧ろ――怖いくらいだ。
「10代目、頼む」
「はい」
再び舞い戻そうとしたが、疾くに背後に迫った。
圧倒的な気配。
【アサシンダガーを召喚】し、刹那に一挙動で振り返れば、其処には見下ろすヒッポグリフがいた。
静寂。
互いの鋭く研ぎ澄ませた眼差しを血走らせ、一切瞬く事なく交わしたまま、訪れた重苦しき沈黙は、
「ッ‼︎」
思いがけない者の炯々とした光によって破られた。
そして――。
神獣として文字通り額に頭角を表した凛々しく白白と輝かせる一本角が、ヒッポグリフを退かせた。
「っ!」
最近は特に短気な10代目とともに何とか痺れを切らさぬまま固唾を呑んで見守っていた甲斐あって、神獣様様、運良く戦闘に突入せずに事無きを得た。
「おぉ……神獣の力がこれほどとは、思わなんだ」
「戻しました」
「あぁ、ありがとう。じゃあ久々にやるか」
せっかく手元にナイフがあることだし、俺が率先して橋を繋ぐ綱目掛けて、躊躇なく刃を振り下ろす。
それあっさりと絶たれて、深淵に落ちていった。
「な、何やってるんですか⁉︎」
「これがこの道を渡る者の暗黙の了解なんだ」
「暗黙の了解?」
「証とも呼べるね」
「一度渡れば、完全に耐久精度が地に落ちるから、こうやって渡った度に橋を倒して、作り直すんだ」
「様式美と言うものですか」
「まぁ、そんな感じかな」
「それも私が直しておきますので、先に馬車に乗っていてください」
「あぁ、助かるよ」
そうして国王陛下からの面倒な刺客を送られる事もなく、無事に次なる道へと歩みを進めていった。