第五十六話 完膚なきまでに
あれから常に纏わり続ける硝煙と血肉を吸い込んだ霧が視界をうざったらしく覆い続け、匂いとあまりの凄惨さにやられてしまって吐き気を催したまま、吐瀉物を噴き零す者もそう少なくは無かった。
それでも生存者の捜索を名目に新たなる敵襲を免れんと僅かな兵士ら共に淡々と歩みを進めていく。
代理とは言え、冷静な判断が下せるようだな。
「あ、あの、ま、まだ残っているのでしょうか」
漠然とした恐怖が自然と一人の兵士の心情を吐露し、泰然とした10代目に寄り掛かろうと不安げに言葉を漏らす。も、「さぁな」と、塩対応を極まれり。
「恐らくもう居ない筈だ」
「な、何故、そう言えるのですか?」
「奇襲の際の人数と偵察隊の人数が合致した。遺体回収班は今頃、副隊長の傷心にさぞ参っているだろう」
「そう、だったんですか」
オドオドしていた身震いは治ってゆき、安堵に身を包まれるも、ホッと胸を撫で下ろせる案件ではなく、望まぬ形で顔を苦痛に歪めてさせてしまった。
「周囲の警戒を怠るなよ、襲撃を終えたとは言え、この暗さでは何が待っているかも解らないからな」
正に闇に覆われし道のり。
一歩踏み出す毎に息を呑む緊迫感に苛まれ、誰一人、不満や恐怖を漏らさずとも、この場にいる者全員が、一様に武器を握りしめる手を緩めなかった。
「はぁ、はぁ、ハァ、ハァハァ」
自らの荒々しい息遣いが鮮明に鼓膜に響き渡り、早鐘を鳴らす度に鼓動が全身に音を轟かせていた。
「ァァ」
異様な呻き声。
「っ! 全体停止! 周囲を照らせ!」
皆が皆、手に持つランタンや松明を慌てて音の方へと向け、震わす掌に握りしめた刃を差し向ける。
「誰だッ、人か! 此処らの集落の民か⁉︎」
「たす、けてくれ……」
「人です!」
「待て! 罠かもしれん、慎重に行くぞ」
指で等間隔での分散を指示して、頷く兵士らとともにその周りを足音を忍ばせながら、囲っていく。
「っ!」
「友人です! 巡回中の兵士です!」
「確かか!」
「はい!」
「よし……全員、魔力感知で周囲の状態を確認しつつ、負傷兵の保護に当たれ! 誰も死ぬな、いいな!」
「「「「「ハッ‼︎」」」」」
願わくば、何事もなく夜が明けてほしいものだ。
無事に束の間の安全をしたところで負傷兵の元へと歩み寄っていき、傍らで介抱する兵士らに問う。
「どうだ?」
「えぇ、何とか一命を取り留めているようですが、心をやられてしまって、まともな会話が出来そうにありません」
「チッ、唯一の手掛かりだったんだがな」
「となれば、敢えて生かしたかも。これも罠の一種かも知れませんが、どうされるおつもりですか?」
背後から嫌な質問で突き立ててくる野郎がいた。
「無論、国に返してやるさ。だが、この状態であの場所まで行けるか、どうか……」
「それなら、この近くにもう使われていない古城があります」
「安全性は?」
「確かなものかと」
「そうか。だったら、こんな場所で立ち往生している場合じゃなさそうだな。よし全員、起きろ。夜が明けるまでの間、無人の古城で体制を整え、増援による退路の安全が確認され次第、即――帰還する」
悄然とした顔つきに僅かな翳りが見られたが、皆は嫌そうながらも静かに頷き、体に鞭を打たせた。
周囲には無数の瓦礫が転がり、狐狸に魔物に小動物に荒らされた形跡に、堅牢無比なる門が構えた。
正に古城。
見張り台らしき小さな塔も存在し、次なる戦闘までの前準備にして上々、寧ろ完璧過ぎるくらいだ。
ほんと、解せないくらいに。
「此処で良いんだな」
「えぇ、間違いありません。では、門を開きます」
「何故、お前が鍵を持っている?」
「私は一時期、此処の建て替えを任せられた身故、今でも鍵だけは特別に所持を許されているんです」
「本当に大丈夫なんだろうな」
「はい、ご安心を。大国の精鋭魔導士の施した多重封印による結界で鼠一匹通す事も出来ませんので」
「そうか……」
ため息なのか、安堵なのか解らぬ大息を漏らし、ふと緩慢に瞬けば、【最近、施された結界術です】と、不吉な囁きが天から啓示の如く降り掛かった。
「最近まで使われていたのか?」
「先日、魔導士らが結界を張り直したと言ってましたので、再利用の目処が立ったのだと思われます」
「そうなのか」
「何か?」
「すまない、何でもない」
仰々しい片扉を大地を擦り合わせるような軋みを上げて開かれれば、其処には待ってましたと言わんばかりに埃やら無数の虫などが飛び出してきた。
「此処は安全――何だよな?」
「えぇ、元々内側で発生したものですから、どうかご容赦を」
そうして渋々、最悪へ大きく踏み出していった。
「埃臭いですね……」
「汚ねぇし魔物紛いの虫が集ってんな。照明はおろか保存食も無いが、少し前まで人が居た跡がある。一旦、俺は奥に休める場所が無いか、見てくるよ」
こんなゴミ屋敷一度も立ち入った覚えなど無いが、何処か懐かしさを感じさせるオーラが漂っていた。
「承知致しました」
「では、私は案内に」
「あぁ、頼むよ」
ランタン片手に案内役とともに仄暗さに覆われた廊下を淡々と足を運んでいく。
「お前はいつから何処に所属している?」
「捜索隊に二年程、所属しております」
「ほう……今回と縁浅からぬ関係だな」
「えぇ、まさかこのような事態を招くとは」
「あれは傀儡だ、思うところはあるだろうが、あまり気に病むなよ」
「はい」
「ん? 此処で終わりか?」
高級そうな漆喰の剥がれ落ちた壁にぶつかった。
「こちらです」
黄金色は綺麗に色褪せ、赤錆を帯びてちょっと小突けば、外れそうなほどに脆さを露わにしていた。
「入るぞ。念の為に、剣は抜いておけ」
「……」
望まずして一番乗りにキィキィと薄気味悪い音を立てて扉を開き、一歩も踏み出さぬまま中を見回す。
とても負傷兵が安心して住めるような場所では無いが、まぁ何とか一休み程度は出来そう、な筈だ。
「よし、連れて来い」
心が病んだ者を次から次へと目まぐるしく移動させるのに些か、疑問を持ちつつもまだ寿命の残った椅子に座らせて、今一度、事のあらましを問うが、
「わかるか?」
「っ! っっっ」
「駄目です、まだ心を塞いでいて――――」
「そうか……」
「では、暫くは私が見ていますので、貴方は休んでいてください」
「あぁ、だが」
「大丈夫です、友人ですから」
「何かあれば、直ぐに呼べ」
「はい」
再び、無傷で疲れ無き俺は大広間へ舞い戻った。
「ん? お前も居たのか? 10代目」
「えぇ」
「それで分身は隠しておいたのか?」
「いえ、魔素が及ぶと言われ、彼に一任しました」
「そうか……」
「ん?」
憔悴し切った兵士らが食堂に置かれているような横長のテーブルに肘を突き、言葉を交わしていた。
「もう此処は使用されてないと聞いていたが……」
「あぁ、俺もそう聞いていた」
「そもそもあんな奴、居たか?」
「いや、俺の管轄には居なかったな。だが、最近はやたら新人が多いから、左遷でも喰らったんだろ」
「だと、いいが……」
「なぁ、10代目」
「何でしょう」
使えそうな物を運ぶ一人の兵士が傍らを横切り、慌てて肩に手を添え、「此処に負傷兵の友人は居るか?」と、虚ろな瞳に問い掛ければ、一瞬戸惑い、「いいえ、恐らく彼は精鋭部隊で古くから塞ぎがちなので、友人と呼べる者は一人も居ませんと――」
「だったら、何故、あの時言わなかった!」
「そ、そこまで考えに至りませんでした」
10代目と視線を交わし、ほんの僅かな一拍を置く。
そして、共にあの部屋へと駆け出していった。
「チッ!」
兵士の情報に欠けた俺達だからこその大胆な一手、気付かぬうちに完全に逆手に取られたようだ。
そんな反省に頭を悩ませていれば、丁度、突き当たりに差し掛かり、ボロい扉が視界に映り込んだ。
奇しくも負傷兵の様子を気に掛けんと、先とは異なる別の兵士がドアノブに手を掛けんとしていた。
「よせ!」
忠告も虚しく、足元に紫紺の魔法陣を張り巡らせる間も無く、振り返るとともに僅かに開かれる扉。
ふと緩慢に瞬けば、いつの間にか兵士は爆風によって壁に叩きつけられ、囂々たる爆音を轟かせた。
「奴は⁉︎」
「隣だ!」
どうせお前はいつも側で見ているんだろう。楽しみもせず、ただ怒りに駆り立てられるがままに――。
薄っぺらな腐れ木の扉を突き破って踏み出せば、無人。そして、煌々と光を放って壁に目を凝らし、炎と爆風の混じる衝撃を物ともせずにいた機関銃。
「ぁっ」
い。
【韋駄天の大盾を召喚】
それはまるで俺たちを見通すかのように独りでに起動し、騒々しい金属音を轟かせて繰り出される。
無数の死の雨が降り注ぐ。
まっ、に。
「10代目!」
視界の傍らに映り込む、苦痛に顔を歪めながら拳を小刻みに震わせる程握りしめ、躙り寄る10代目。
そして、俺の服の一部を鷲掴みにし、目にも留まらぬ速さで窓ガラスを突き破るような音がし、鋭い音とともに空を叩くような風切り音が響き渡った。
「っ、ぃって!」
無事に危機を脱して雑に大地に投げ捨てられた俺は、睨みつけるように目を細めながら古城に目を向ければ、其処には燎原の如く燃え上がった光景が広がっていた。
「は?」
「……」
それは灰も残らないほどに。
「どうやら相手は本気のようですね」
「あぁ」
爪を食い込ませた拳には鮮血が滴り落ちていく。
「ぁぁっ!」