最終話 Part2 現実
傷無き額から伝うであろう真っ赤な液体。
あっ、そうか。
「――――いいか、絶対に美術は使うなよ!」
「教えてくれたじゃないか」
「つい気分が乗っちゃって」
「勇者ってのは、いつもそうなのか」
「たぶん」
「聞いてしまったから忘れることはできないが、」「忘れさせる魔法も存在するけど、使わない?」「使わない。が、約束は守ろう」
「それは良かった」
「もう一度聞いておくが、使うとどうなるんだ? そして、どんな能力だった?」
「能力は標的を三日三晩無力化する、ディスエーブルと、言う名のまぁ所謂、禁忌魔法で……使ってしまったら最後、必ず命を落としてしまう」
「そうか」
「いいか、絶対に使うなよ! 絶対だ!」
「あぁ、わかってるよ」
「そう言う時のお前はいつも、使ってしま」
悪いが、使わせてもらうぞ。
轟くかの如く鳴らす心臓から忽ち鮮烈に掌に伝っていく。暖かでいて皮膚を突き刺すような悍ましさ。そして、次第に全ての朧げな感覚が失われていく。
役立たずの右腕に残された唯一の活躍場、緩慢に頭上へと差し伸べていき、大地に叩きつけんとした瞬間、まるで己のもので無いとさえ思う程に止む。
全ての無意識。
あっ、れ?
ただ生暖かい鼻から落ちていく鮮血ばかりに意識が割かれ、望まぬも支えを失った体は地面に倒れ、奇しくも最早シルエットに等しい歩み寄っていくマリの周りに群がっていく無数の魔獣の姿であった。
また、俺は。
「コリウス!」
く、来るな。
もう声すら出ない。
ずっと、ずっと。
俺はお前たちを傍観することしかできないのか。
何で、何で。
いや、もうどうせ叶いやしないんだ。
俺の希望は何もかも。
せめて目を瞑らせてくれ。
……。
「良いんですか?」
傍らから無機質な声色の誰かが静かに問う。まるで亡霊にでも語り掛けられているような冷たさだ。
だれだ?
「本当に良いんですか? そんな瑣末なことに頭を悩ませていて」
き、もう無駄だ。
「いいえ、亡霊の私と体在る貴方さえいれば、まだ――その可能性は秘めています」
もし、もしも仮に俺が運良く生き残っていたら、これから先もずっと乗っ取り続けるのか?
「……」
途端に硬く口を閉ざす。
……そうか。頼む。
そう告げると同時に死にかけの体に気持ちの悪い何かが注ぎ込まれていく。そして、マリに飛び付かんとする魔獣らの姿を目にしながら、起き上がる。
右手を大地に叩きつけ――ようとした時、
「⁉︎」
微かな視界から垣間見える、真っ白なマント。それは忽然と靡かせて、颯爽と前面に押し出された。
次第に消えてゆく心臓の早鐘が強かに鳴らされ、完全に失われていた筈の身体中の感覚が鮮明になって、絶えず生きる証の――鼓動の音が響き渡った。
「無事か! 青年!」
懐かしの記憶を彷彿とさせる。
その人は容姿端麗な面差しに笑顔を取り繕って、やはり今まで見た誰よりも美しい軍服とともに翻す。
爽やかな見た目とは裏腹な真新しい緋色一色のサーベルを握りしめた、憧れの女性が其処にはいた。
「あ、貴方は?」
「我が名はソテル騎士団、団長! アキメネス・リスタール! お前を、いやお前たちを救う者だ!」
「こ、これは夢ですか?」
「いいや違う! お前の紡いできた現実だ! 良くやった、お前は誰が見ても、英雄だ!」
あぁ、俺は、俺は……ずっと恵まれていたんだ。
「どんな絶望であろうとも、無闇に投げ打つな! 明日の陽を拝むまではな!」
天から降り注ぐ、無数の兵士が視界の殆どを埋め尽くしていた魔獣らを瞬く間に鮮血に染めていった。
「全てだ! 情け容赦は捨てろ! 下手すれば、死ぬぞ」
「いやもう終わってます、団長」
「そうか! なら、焼却作業に入れ!」
「もうやってます、新人連中が」
「全く、私の兵は優秀だな、アハハッ!」
「ったく、随分と凶暴な魔獣ですね」
「あぁ、地下に凄え魔力が張り巡らせてあるからな」
「何の為に……?」
「さぁな」
早々に仕事を終えた兵団員達が言葉を交わす。
「もう大丈夫ですよ!」
「な、何故此処に?」
回復魔法を専門にしているであろう軽い防具で、慌てて歩み寄ってきた一人の女性にそっと問う。
「ん? あぁ、それはね」
「共に戦場を潜り抜けてきた旧友の想いを無碍には出来ん、世界の果てだろうと駆けつけるさ!」
「だそうです」
「それに――」
不思議と血の滲まぬ純白の包帯に巻かれていく最中、団長さんは徐に子供のように目を輝かせて一瞥する。
「それに良い新兵も見つかったからな」
「ぇ?」
「私と共に来い! そして、私を超えてみせろ!」
そう言って差し伸べられた掌を、傍らのヒーラーの制止を振り切ってでも、掴み取ってしまった。
「っ!」
だが、そのまま無様に地面に臥してしまった。
「だから、動かないでくださいと!」
「す、すみません」
「ハァ……まーた団長の気まぐれが始まったよ」
なぁ、ところで俺を乗っ取るんじゃなかったのか?
ただの貴方の意思確認ですよ。
そうだったのか。それで……お前は誰なんだ?
私は此処から遥かな西に在る、黄金卿の住人です。
へぇ、何処かで聞いたことがある。じゃあ約束通り、その全てを聞かせてもらおうか。
えぇ、貴方が死ぬか、飽きてしまうまで。
ハッ、そりゃ怖い。
「良かったじゃないか、この騎士団に入れるなんてこの上ない名誉なことだぜ、後輩!」
「さっそく後輩いびりですか、みっともない」
「な! そんなんじゃねぇっての! 俺はただこいつの入団祝いに手取り足取り――」
「それをいじめって言うんです!」
「えぇ!」
「お堅いなぁー」
「ったく、痴話喧嘩は何処に行っても、相変わらずですね」
「あぁ、そうだな」
其々が身勝手に台詞を飛び交わせていく。
「良し! 取り敢えず、止血は終わりましたので、後は団長の――」
「どうされたんですか? 団長」
物憂げな表情を浮かべながら天を仰ぐ団長さん。
「今日は降りそうだな」
「えっ、やなこと言わんでくださいよ」
「確かお前は雷、嫌いだったもんな」
「おい口にするな! 聴くだけでも悍ましい」
「団長の勘は当たるからな」
「お前も一度雷にでも落ちれば、克服すんじゃねぇのか?」
「あの、そろそろ……」
「冗談じゃねぇ! 雨の降る日にゃ地下に籠る! これが俺を生き抜く術だ!」
「アホらしい」
「んだと!」
「凄い強い雷に落ちれば、お前も覚醒するかもしれないだろ!」
「んな訳ないでしょ、それで生きてる奴はきっと人間じゃねぇ、神を超越してますよ」
「神は言い過ぎだろ! そうだな、まぁ虹龍と一瞬だけ互角ってところかな」
「おんなじだろ!」
「あ、あの団長」
「……?」
「団長!」
「何だぁ? どうしたぁ!」
その時、他愛もない言葉を最後まで鼓膜に響かせる事ができずに、朧げな意識がふっつりと途切れてしまった。
「――おい!」
「ですから、早く魔法薬を!」
「あっ、解毒忘れてた……」
先行きが不安だ。