第三話 胸騒ぎ
けれど、いつものように修練に励む、ルイスの元にぞろぞろと群がっている子供たちと、その光景をネリーシャは不安げに固唾を呑んで見守っていた。
「ネリーシャ‼︎」
「あぁ、コリウス! どうかしたの?」
「この村に魔物が来るんだ、今すぐに避難を――」
「遂にっ! この腕を披露する時が来たのか……」
感慨深く過去に浸っている場合じゃないだろう。
地獄耳で呑気なルイスは己の鋭く研ぎ澄まされた刃を高々と天に掲げ、周囲を煌々と照らしていた。
「残念ながら神獣だ。下手に刃向ければ、呪いを受けるぞ」
そう言いながら、これみよがしに眼前に腕を翳す。
「そ、その腕! どうしたの⁉︎」
声を荒々しく乱した彼女を横目に、無様な腕の惨状を目の当たりにして小刻みに腕を震わせつつも、瞳に映る炎は依然として、燎原の如く燃えていた。
「言った通りだ」
「触れなければ、良いんだろう」
無駄に冷静なのか――あるいは目を泳がす故か、傷口から絶えず大地に滴り落ちていく鮮血を注視し、緩慢に振り下ろす大剣の柄を握りしめていく。
「そんな簡単な話じゃない。君も早く避難してく」
「俺はっ! 今まで、今まで彼奴から魔物を倒す為の剣術を何年も学んできた。此処で発揮出来ないんなら、一体何処で俺のこれまでを活かせばいい?」
「それは冒険者になるまで、とっておくといい」
「ふざけんなよ」
「こっちは至って、真剣なんだけどな」
次第に俺を見つめる眼差しが酷く血走っていく。
皮膚を突き刺すような雰囲気を漂わせて、刃が傾ぐ。
「……」
「……」
静寂。
「もし、もし君が此処で死んでしまったら、今まで君の願いを叶えるために教えてきた彼が悲しむよ。きっと――――必ずね」
「っ!」
苦虫を噛み潰したような顔を徐に俺から背け、心なしか後ずさり、柄を握りしめる手が緩んでいた。
「それでも行くというのなら、僕は止めないよ」
「あっ! ……ぁぁ」
口から乱れた感情とともに零れ出そうになった言葉を自制心に包み込ませて、静かに胃に流し込む。
そんな無駄に長いルイスの逡巡が、不思議そうに小首を傾げていた子供達の飽き性が痺れを切らした。
俺の方へと歩み寄っていき、そっと服を摘んだ。
「ルイス兄ちゃん、いきなりどうしちゃったの?」
「ねぇねぇ、どうしたの?」
「神獣ってなに? もしかして、此処にくるの?」
「お母さんやお父さん、死んだりしないよね?」
「ねぇーコリウス兄ちゃん! 答えてよ!」
徐に子供達の目線にまで屈み込んで大地に膝を突き、みんなの震わす眼に己の視線を泳がしていく。
「近くの森で隠れていた魔物の巣が見つかってね。これから此処で、とても危ないことが起きるんだ。だから、少しの間だけ、お母さんやお父さん、兄弟と一緒に安全な場所に避難して欲しいくてね。初めてのことで怖いだろうけど、みんなできるかな?」
自分に出来る最大限の温かな口調で淡々と面倒事を並べ立てていくも、咄嗟に背中に覆い隠した腕の傷や滲む冷や汗を視界に捉えてしまった子供達は、忽ち漠然とした恐怖の波が伝播し、皆に目を泳がす。
いつものように茶化す雰囲気さえ完膚なきまでに叩き潰すほどの重苦しい静寂が続き、誰一人として一向にその沈黙を破ろうとする勇士は居なかった。
次第に鮮明だった視界が霞み始め、整っていた息も取り留めなく乱れていき、深き睡魔に誘われる。
緩やかに忍び寄っていくその未だ曖昧で大きな影に、無意識のうちに息を呑めば、音がしなかった。
いや正しく言えば、幾多の雑音が混じっていた。
「……」
この場は誰よりも慎重にして臆病で聡明なる頼もしいネリーシャに任せようと徐に視線を向ければ、視界の片隅に映り込む一人の少年が声を弾ませる。
「お、俺は行くよ!」
戦慄が走る。
その一言の行く末に全ての朧げな神経を注いで。
「きっと、レグルスならそう望んだから。俺達が誰か一人でも死んじゃったりしたら、悲しむから!」
「そ、そうだね」
「まぁ、それが普通の選択だよな……」
「うん――――」
「じゃあさ、みんなに伝えないといけないし、早く行こうよ!」
皆の揺らぐ意志は、たった一言で呼応していき、気づけばその場から跡形もなく消え去っていった。
仲睦まじく皆で手を繋ぎながら、消えてゆく数多の小さき人影を、ただ茫然とルイスは眺めていた。
「どうする?」
「……ハァ、俺の負けだよ」
そう覇気の失われた台詞を告げると、格好つけた哀愁漂わせる笑みを浮かべて静かに刃を鞘に収め、まるで大岩を引き摺るような重き足取りで帰路へと辿っていった。
「よし、行こう」
「そんなに大きな村じゃないから、夕方までには全員に伝わっていると思うよ」
「そうだと、良いんだがな」
それからも不動の御老人を優先に厄介ごとのあらましを言い連ねていき、順調に事が進んでいくも、何処か……何処か心の底で胸騒ぎがしてならない。