第二話 希望と絶望
神獣⁉︎
鋭い眼光と研ぎ澄まされた嗅覚が周囲を見渡し、残された獲物も、追跡も、尾行も、決して許さぬその姿は、まるで白雪に棲まう死神のようであった。
必死に木陰に身を隠すも執拗に嗅ぎ回っていき、次第に同様に一本角を生やした者達が集っていく。
不味いな。相手が完全に地の利を得た場で、それも俺たった一人で神獣を巣ごとなんて、狩れる訳がない。
「……」
奇しくも神獣達は新たなる餌を見つけたのか、不思議と咆哮を上げること無く颯と消え去ってゆく。
免れた……のか。
そして、俺は剣を握りしめたまま彼等の気が変わらぬうちに足音を忍ばせて、頻りに一瞥しながら帰路へ辿っていくのだが、その最中に最悪は起こる。
「コリウス! ねぇ! 何処に居るの!」
マリの杞憂の声が山々に轟き、運悪く呼応した一匹の軽やかな足取りで舞い戻り、視線が交差する。
沈黙。
チッ。
一匹だけなら、あるいは――。
まるで時が止まってしまったようなほんの僅かな間を置いて、俺はマリの方へと駆け出していった。
ただ只管に一直線にと、そう欺かせた次の瞬間に、即座に踵を返して眼前に迫った神獣に刃を振るう。
だが、その一太刀は華麗に躱され、空を切った。
鋭利な牙を生やす大口開けて飛び掛からんとされ、流れるように続く第二撃を鋭い瞳に突き立てるが、彼の綺麗なまでの罠に引っ掛かり、掌に走る激痛。
牙の脅威は凄まじくあっさりと骨ごと貫かれて、真っ赤な鮮血が噴き出しながらも力強く掴み取る。
これなら避けられないだろう?
彼は後ずさろうと必死に踠くも、握りしめた柄の先から煌めく鋼色の刃でガラ空きの喉元を穿ち、聞くに耐えぬ金切り声が山々へと響き渡り、谺する。
「キィィィィァァァッッ‼︎」
「ッッ!!」
「こ、コリウス?」
俺の背には息を乱し、声を震わせるマリが居た。
「近寄るな! 呪いをっ、受けるぞ!」
最後の悪足掻きは瞳の一縷の光とともに緩やかに失われてゆき、その悲鳴を聞いた仲間が慌ただしく大地を煩く踏み締める音を立てて、近寄っていく。
「此処から離れるぞ!」
「え、ぇぇ」
決して喰らいついて離れない狼を強引に剥がし、文字通り血の気の引いていく死の淵に立たされた体に鞭打たせ、幾度となく蹌踉けつつも走り去ってゆく。
「き、傷は大丈夫なの?」
「あぁ、擦り傷だ」
「嘘! そんなんじゃない!」
追っての気配が無い。
ただ背に熱く注がれる視線に緩慢に振り返れば、白息を零す幾多の狼が大地に横たわる彼に群がり、静寂に包まれたままじっとこちらを凝視していた。
「行こう」
「うん」
あれから襲われる事も無く人里に降りたものの、日々研いでいた剣は赤錆を帯び初めて、止血した筈の腕から流れ出る血液は留まる所を知らずにいた。
「どうして? どうして血が止まらないの!」
「神獣の呪いだ」
「でも、もう魔物の巣は――」
「きっと、想定外の出来事なんだろう。彼でも……あの勇者のレグルスでさえ知り得なかった情報だ。とにかく村の人達に知らせないと!」
「えぇ!」
このままじゃ出血で死ぬかもしれないな。けど、それもまた友を売ってしまった償いなのだろう。皆からの糾弾を恐れて、真実を塞いだままの俺への。
真っ先に目にしたのは、淡く澄んだ瞳をキラリと輝かせて、青やかでいて艶やかな長髪を靡かせる。
「アクア!」
「どうしたの? コリウス」
嘆息を漏らし、淡い髪から白皙なる指を零れ落として腰に手を置き、訝しげな表情で俺を見つめる。
「すまないが、厄介なことが起こった――今から全員を隣の村に避難させるから、皆を集めてくれ!」
「出会い頭にいきなりなんなの? ……そ、その腕どうしたの?」
「説明は後だ、一刻を争う事態なんだ。どうか、わかってくれ」
目を細めて、酷く顔を歪めながら徐に息を呑む。
そして、アクアは何も告げる事なく静かに頷き、そそくさとその場を去っていった。
「次は……」
「きっと、この先にネリーシャ達が居るわ!」
「よし、俺はネリーシャの方へ行く。お前は他を当たってくれ」
「うん」
こんなことで、上手くいくのだろうか。レグルスのように誰一人、犠牲を出さずに済むのだろうか。
きっと、きっとこのままじゃ彼等には勝てない。




