第三十六話 大聖霊からの贈り物
その身は3メートルを凌駕し、泰然と俺達を見下ろし、周りを飛び交っていた精霊が、徐に胸に身を下ろす。
そして、肉体を帯びていた淡い緑光の粒子が天へと昇ってゆき、煌々とした白光に包まれていった。
進化……なのか?
自らの体を見下ろして、何一つ変化を遂げぬことを確認するとともに周囲に目を泳がせば、ベリルが己の胸と大聖霊の胸を見比べる謎の行動に走っていた。そんな一方で、同様に変化の無い10代目。そして、コルマットは正に額に頭角を表し始めていた。
「心悪しき者よ」
出会い頭、開口一番に告げたのは侮蔑であった。
「心正しき者よ」
そんな対極に謳われし10代目を鋭く一瞥すれば、何かを悟ったかの如く目を軽く見開く視線と交わす。
緩慢に一人一人に視線を移していく異様な大聖霊。
「――――貴方方の来訪を心待ちにしていました」
「何故、私達の来訪を知っていたのですか?」
俺は無意識に畏まった敬語を並べ立てていた。
「これでも一応、神眼を持っていますからね。来るべき日に世界を救う存在の把握など、容易いこと」
「それで、大聖霊であらせられる貴方様が、我々に一体、どのような利益を齎して頂けるので……?」
「其方の勇者様は些か、生き急いでいられますね」
大きなお世話だ。
「そうですね。あまり時間もありませんから、私が此処へ招き入れた理由を単刀直入に申し上げます」
ツルが緩んでいき、大地に武者震いで仁王立ち。
「これから先、貴方方に立ちはだかるであろう困難に立ち向かう為、私自らが加護を与えに来ました」
静寂。
「――困難?」
真っ先に口を開いたのは、猜疑心を募らせるあまり無意識に口走っていたであろうベリルであった。
慌てて口を押さえるも、大聖霊が声に振り向く。
「えぇ、そうですよ。ベリル」
川のせせらぎにも小鳥の囀りでさえ多く及ばぬ、不思議と鮮明に鼓膜に心地良く響く、美しき声色。
「先代と当代の勇者でも決して乗り越えられぬ壁、その理不尽に抗うだけの力を授けること。それが私の役目であり、貴方方の来訪を迎え入れた訳です」
「それは、あの異邦人によるものでしょうか?」
恐る恐る立て続けに、迷いなく疑問をぶつける。
「それは双方の選択によって、大きく異なります」
俺達の間に戦慄が走る。
「ですが、共に数多の苦難に打ち勝てば、あるいは――世界に一時の平穏が訪れるでしょう」
一時か。
「さぁ、前へ」
逡巡。
忽ち脳裏を駆け巡っていく数多の煩慮の思念が、大きく踏み出さんとする第一歩を大地に繫ぎ留め、次第に心臓に早鐘を打たせて荒々しく呼吸を乱し、普通に握りしめていた拳を小刻みに震わせていた。
そんな時、傍らの10代目が大聖霊に問いかける。
「その御力で幾許の未来が変わるのでしょうか?」
「未来とは自分の力で切り開くもの、私はあくまで助力に過ぎません故、見栄を張る事は出来ません」
「当然、危険も伴うのですね」
「えぇ」
「では、私は先に行きます」
10代目は大聖霊の懐に歩み寄っていく。その背中に俺はまた手を伸ばすばかりで、決して進めない。
でも、俺の背中に走る小さな衝撃。
徐に振り返れば、意気揚々と舌を出して微笑むコルマットが盛り上がった額で優しく小突いていた。
「……お前はどうするつもりだ?」
「ワフッ!」
そう強き想いを含んだ僅かな言葉で吠えて、恐怖に取り憑かれたベリルの側に颯と歩み寄っていく。
「あぁ、そうだよな」
大きく丹田に力を込めて息を吸い込んで、ため息を零すように吐く。大きな一呼吸を終えて踵を廻らし、10代目の、シオンの後に悠然と闊歩し、続く。
そうして、授けられる力。
奇しくも満身創痍に等しい肉体に異様な大聖霊の加護を施され、あくまで一時的な過去の俺に匹敵する攻撃力と視界端に触れる程のHPバーを手にした。
更には、尾を引く猛毒の魔力の余波も体に纏わりつく倦怠感が忽ち払拭されていくが、体に刻まれた呪印だけは一向にその姿が消える気配がしなかった。
やはりか……。
そう思わず呟いてしまうほどに、俺の淡い希望は完膚なきまで打ち砕かれた。
そして――――救済の灯火。
【一度きり、瀕死の状態又は死から脱却出来ます】
「そして、最後に予言を授けましょう。――――貴方方に、恵みを与えるのは私だけではありません。僅かな人類が束の間の平穏を享受した地下都市、人々の記憶から忘れ去られてしまった黄金卿跡地に棲まう待ち人が、世界を救う力を与えるでしょう」
黄金卿跡地……。
「あの場所にはもう人は住まわれてないとお聞きしましたが」
「えぇ、もう生きた者が棲まう場所ではありません」
そういうことか。
「最後に一つ、宜しいでしょうか?」
「はい」
「その『世界を救う力』と云うのは、一体何なんでしょうか」
「そうですね。とても簡単に言ってしまえば、明日を見通す眼と過去を振り返らせる瞳でしょう」
素直に言ってくれれば、良いのに。
参ったな。俺は預言者が戦争と病と差別と奴隷と飢餓の次に嫌いなんだが……。
「そうですか」
「あ、あのこの子のコブも治してもらえませんか?」
察しのいいベリルもコブに気付いていたようだ。
「その者の名は?」
「コルマット! コルマット・カニスです」
「そうですか、やはり名があったのですね。では、神獣の大地に試練を受けなければなりません」
「『神獣の大地?』」
「東諸国の大地の中心に位置し、其処は四季問わず絶対零度を誇る寒さと視界を遮る吹雪が浮き荒れる、神聖な生物のみが棲まうことを許されし場所」
「もし行かなければ、どうなりますか?」
「ツノに肉体の生気を奪い取られ、命を落としてしまうでしょう」
「……そんな」
唖然として開いた口が塞がらずにいたベリルの頬に、か細く白皙なる指先をそっと添える大聖霊様。
「大丈夫ですよ、きっと全て上手くいきます。貴方は笑顔を忘れないで」
「はい……」
こうして先に大きく関わるとされる大聖霊様から直々の神の御加護を授けられ、帰路に辿っていく。