第三十五話 大聖霊との邂逅
まだ遊び足りないのか、ドライヤー代わりの掌から放出する暖かな風を当てれば、激しく暴れ回り、三人がかりでやっとな程に強引な悪足掻きを終え、無事に不服そうに更にフサフサな毛並みと化した。
そして、心なしかその身も巨躯なるものへと変化していた。
そうして再び、帰路を辿るようにして歩みを進めていった。
「フフッ。可愛いよ、コルマット」
そんな一言にもそっぽを向いて不貞腐れたまま、この場に居る中で最も道も解らぬであろう此奴が、何故か先頭を歩き、以前として前を譲らずにいた。
「ちょっと待て、さっきこんな道通ったか? この我儘な子狼のせいで道に迷ったりしないだろうな」
「その心配は無さそうです」
断として宣う10代目。
「その根拠を聞かせてもらおうか」
「恐らく我々は導かれているのでしょう」
「大聖霊は誰にも姿を見せないと聞いているが」
「余程、危機が迫っているでは、ないですか」
「それが俺たちで無いことを祈るよ」
「それにしても、神聖な風が吹いていますね!」
「……風?」
確かにそよ風が周りの木々を戦がせていたが、とても神聖の二文字を表せるような感覚では無くて、「感じるか?」傍らの10代目に問えば、「いいえ」と、小さく首を横に振り、俺は徐に天を仰いだ。燦々たる暖かな日差しが戦ぐ木々から垣間見える。
「ただの木漏れ日だろう……」
そんな邪推な言葉を最高潮のテンションに達したベリルに言える訳もなく、黙々と淡々と背に続く。
「あ! 絶対に花を踏まないでくださいね! みんなが怒りますから」
誘うのなら自ら道を開けろと言ってやりたいが、多分此奴らは俺達二人をお呼びじゃないんだろう。
「面倒な場所だ」
やけに難しい忠告で眼下の無数に咲き誇る花々を避けて、ノロマな亀さながらの歩みで進んでいく。
「踏んでも再生するだろ、お前らなら」
「もっと他人に思いやりを持ってください」
「いや、花だろう? コイツら。口も無いのに随分と態度は偉そうに……」
憤懣やる方ない茫漠とした怒りが湧き上がるも、向けるべき矛先が見当たらずに悶々としていたが、その何故か破裂寸前の膨らみも次第に萎んでいった。
それに際限なく続く咽せ返るような鬱蒼とした溢れんばかりの濃い緑葉に、サクサクとした音ばかりが鳴り響く時間と、迷ってしまいそうな道なのに、不思議と決して一抹の不安さえ覚えはしなかった。
そして、時折寡黙な10代目の様子を窺っていた。
「大丈夫か」
「えぇ、ご心配なく」
「調子はどうだ、お互い連戦続きで疲労が溜まっているだろう」
「お陰様で体の方は大分、軽くなりました」
「そうか、なら良かったよ」
「其方はどうです」
「おんなじような感じさ」
むしろ心までもが天高く浮かび上がってしまう方が、俺達にとっては楽なのかもしれないな。心の中で嫌な言葉を立て続けに馳せる真っ只中、視界の約半分をも埋め尽くす真っ白な巨体が忽然と現れた。
だが、それは子供である筈のコルマットであった。
「なんかお前デカくないか? まさか太ったのか⁉︎ 絶対に何処かで拾い食いしてるだろ」
「人里離れた生物は環境によって、神聖なる魔力を取り込んで、神獣などになることもあるそうです」
「へぇ、初耳だ」
「私も知ったのは最近ですし、単なる受け売りです」
「ほう、余程博識な方なんだな」
「えぇ、兄のように慕っていますから……」
心までもが清々しくなってしまうような場なのに、不思議と重苦しき空気を仄かに漂わせていた。
いやむしろ、進展してるのかもしれないな。
心の内をようやく見せる10代目と自分との関係性に複雑な心境で歩んでゆく。けれど、その歩みは心なしか弾んでいて、いつもより心が澄んでいた……気がする。
鬱陶しく道行きを遮ってくる草木を蝶よりも、花よりも丁重に掻き分けていたのだが、会話にかまけてつい周囲への意識を疎かにしてしまい、うっかり足元に芽吹く一本の淡き花を踏み潰してしまった。
「あっ」
咄嗟に出た二文字を口走ったとほぼ同時に周囲にただのオブジェクトと化す無数のツルが、まるで意志を持ったかのように瞬く間に俺の眼前に迫った。
【ポールナイフを召喚】し、容赦なく首を締めんとする血気盛んなツル共を切り落とそうと振るうが、背後に息を殺して忍び寄っていたツルに縛られて、完全なるお手上げ状態に。
渋々ナイフを握りしめる手を緩めて、地に落とす。
すると、忽然と周囲を圧倒するオーラを放って、思わず息を呑み、この場で【騎士の剣を召喚】させてしまう程に、異様な音を立てて現れた謎の存在。
未だ僅かな体さえ視界にすら収めていないのに、緩慢に距離が近づいていくとともに滝の如く冷や汗を滲ませて、静寂とも呼べぬ間に柄を握りしめる。
過ぎ去っていった場所の健常なる草花は一瞬にして華々しく芽吹いて枯れ果てて、萎れて折り曲がり死に迫ったものなどは、忽ち強かに再生してゆく。
巫女のような真っ赤と純白の織り混ざりし装束、前頭部にはオーラのティアラらしき物を身に纏う。
まるで羽衣に包み込まれたかのような決して直視する事の出来ぬ神々しさに覆われた麗しき大聖霊。