第三十四話 精霊樹の導き
辿り着いて早々、一目散に飛び込んでいく精霊。
「おい! 待て!」
強引にアイテムボックスから抜け出して、堅牢無比なる筈の蒼き球体を、成年者が繭を破るかの如く糸も容易く突き破って、勢いよく飛び出していく。
主人である命令に聞く耳さえ持たずに最後の力を振り絞って羽を羽撃かせ、茂みの奥へと突き進む。
その後に意気揚々と弾む脱兎の如く足取りで続くコルマットに、お目付役として追っていく10代目。
「先に行っていて構わないよ」
「いえ、待ちます!」
微笑んで後ろに手を回すベリルを尻目に、【第三の目を召喚】して、空に上がりながら周囲を見渡す。「お前は良いのか?」と、片手間に息を切らした白馬達の鬣を愛撫する御者に問えば、「はい、私は此処に残っておりますので、どうぞお気になさらず」と、怪しいポイントを加算する言葉が返ってきた。
「よし、特に問題無いな。さぁ行こうか」
「はい!」
第三の目をその場でアイテムボックスに収納し、満面の笑みを浮かべたベリルと共に歩みを進めていく。
のだが、「あっ、ごめんなさい! 忘れ物してきちゃいました」と、いつになく興奮していたのか、慌てて荷馬車に荷物を取りに駆け出していき、俺は精霊樹の森の前に仁王立ちし、帰りを待ち侘びた。
他の追随を許さぬ浄化の光が外に浮かび上がり、そっと指先で触れれば、まるで蛍のような薄緑色を帯びた光を煌々と照らし、淡く儚く消えていった。
「お、お待たせしました」
「大丈夫か? 無理に走らなくても良かったんだがな」
「い、いえお待たせする訳には、いきませんから」
「じゃ、息が整ったら行こうか」
「は、はい……」
ベリルは乱れた呼吸を胸に手を当ててゆっくりと整えて、無事に憔悴に崩した表情を満面の笑みに舞い戻ったところで、足並みを揃えて共に足を運ぶ。
精霊樹の森へと。
だが、一歩を踏み出した途端、「本当にいいんですかっ!」ベリルが囂々たる騒音を鳴り響かせた。
耳に響く問いに御者も同様に怒号のような轟音で、「大丈夫ですっ!」と、告げた。
「どうかしたのか?」
「……い、いえ、なんでもありません。ごめんなさい、大きな声を出してしまって」
「いいや、構わないよ」
問題なのは、こっちの感情なんだがな。
精霊樹に視線を向けながら大きく一歩を踏み出せば、まるで夢の中に陥ったような感覚に襲われる。
そして、一驚を喫する間もなく、眼前に過ぎ去る。
神秘的な原生生物。
まるでミミズに無数の足と棘の生えた謎の生き物が空を優雅に浮遊し、何事も無く通り過ぎてゆく。
「っ⁉︎」
「わぁー! 凄いですね!」
人刹那に体を振って周囲を見回せば、ありとあらゆる場所に無数の多種多様な動植物が地を、木を、宙を、行き交って、飛び交って、錯綜としていた。
食物連鎖が存在するのかさえ曖昧なまま、次第そのあまりの神秘さに酔い始めたベリルがスキップで歩み出し、そして、完全に色鮮やかを取り戻した美しき精霊がその周りを縦横無尽に激しく鱗粉を撒き散らして、煌々たる光を帯びた羽根を羽撃かせた。
「ハァ……ったく。ハハ」
遅れて加わったコルマットらは、仲睦まじく高らかな声を響かせ、さながら踊るように戯れていた。
「フフ、アハハ!」
「ワフッ!」
「キャハハ!」
邂逅早々、態度であった筈のベリルは最上級のもてなしで歓迎される最中、好都合ではあるものの、何故か俺の周りには何一つとして生物が寄り付かず、10代目も僅かに同じような不遇な目に遭って、木々が俺達だけ道を遮らんとするせいで、ベリルの側に居なければ、前を歩くことさえままならなかった。
その周りでは、死にゆく生物によって魂のような球体状の黄金色の光が森を照らして、消えてゆき、視界の片隅にチラつく慎重に様子を窺う生物達を一瞥すれば、そそくさと逃げ出していってしまった。
此処まで来て、どうしてこんな思いをしなくてはならないのか。魂が零れ出てしまいそうな深いため息を漏らせば、ザーザーと水面を叩く滝が現れる。
「……?」
忽然と姿を見せた小さな滝に生み出された周りには、渇きを潤わさんと動植物が聖水を飲んでいた。
足音を忍ばせて慎重に歩み寄っていたが、俺達の気配に気が付けば、忙しなく皆が過ぎ去ってゆき、忽ち閑散とした静かなオアシスと化してしまった。
「飲んでも良いですか!」
「あぁ、良いよ」
最後まで俺の話を聞かずにコルマットらと共に、手を広々と横に伸ばしながら、颯爽と走ってゆく。その遠ざかってゆく背に俺は手を突き出していた。そんな思わず伸ばした腕を胸に舞い戻し、微笑む。
「元気だな」
「これが精霊樹の力ですか」
「あぁ、まぁ内側にいる間だけだがな」
「……では、これらの生物が外界に出てしまえば」
「恐らくは、消えて無くなるだろうな」
「斯様に精霊が消えないのは、大聖霊の一部故に?」
「それもあるだろうが、体内に宿る魔力の違いや人に近しい風貌、そして、哀しくもこの世に生まれてこれなかった子供達の魂とも言われているそうだ」
「もし、肉親に遭ってしまったらどうなるんです」
「さぁな。無念が晴れて天に還るか。却って恨みを買って呪いの小悪魔と化してしまうか、想像も付かない」
「子供の心はいつも揺らいでいますから……。いつあの精霊とは出会ったんですか?」
珍しく口を閉ざす事無く捲し立てる10代目の姿に、不思議と本当の笑みが零れ出てきてしまった。
「あぁ、そうだな、確かあれは――《《俺が、リベル騎士団の連中に出逢うより少し前の事だ》》。深傷を負って満身創痍の異邦人である俺を、風変わりな魔導士が不可思議な空間で匿ってくれてな。まぁ色々あって、勝手に付いてくるようになったんだ」
「ざっくりとし過ぎでは?」
「あんまり、良い思い出じゃないからな……」
「要らぬ事で掘り返してしまって、申し訳ありません」
「気にするな、さぁ俺達も行こう」
「はい」
水分補給が水遊びに発展していたベリル達の元へと、気分を下げさせてしまった歩み寄っていった。
清澄なる蒼き凛とした淡い水が、心地よいせせらぎを奏でて、無数の石の上を緩やかに流れてゆく。
「綺麗ですね」
「あぁ、これなら火を通さなくても飲めそうだな」
「彼女達はどうしますか?」
傍らで湖に入り込んで水飛沫を舞い上げるベリルに、乾かすのが絶対苦であろうずぶ濡れなコルマットに、疲れ果ててただぼーっと水面に浮かぶ精霊。
「もう少ししたら、この旅路も佳境も迎えるだろう。今くらいは遊ばせてやれ」
「えぇ、そうですね」
側面を合わせた両手一杯に透き通る水を掬い上げて徐に飲み干せば、不思議と自然の甘みが口の中に広がってゆき、何よりも優しい存在が喉の奥へと流れ込んでいった。そのまま流れるようにアイテムボックスから【空の皮袋の水筒を召喚】湧き出る聖なる水を注ぎ込んでいく。のだが、【精霊樹の森の聖水を確認しました。精霊樹を出た瞬間から、その輝きと効果は失われ、ただの水と化してしまいます】
そうなのか。まぁ、そう都合よくは行かないか。
仕方ないので、水筒に溜まった溢れ出るばかりの聖水を無理やりに胃にガブガブと注ぎ込んでいく。
それから数十分程、そんな微笑ましい光景を温かく座禅を組んで見守っていれば、流石に無限に等しい体力にも限界が来たのか、俺達の元に歩み寄る。
「あ、あの、お時間大丈夫です、か……?」
「あぁ、まだ後ほんの少しなら遊んでいても構わないが」
「いえ、もう十分過ぎるほど堪能しましたので!」
「そうか、なら行こう」
「はい!」
「その前に……」
「……?」
ふわっふわっな毛並みで膨らむ餅みたいであったコルマットが新品の純白のタオルへと変貌し、不思議そうに小首を傾げて何とも言えない姿を見せた。
「お前は先に体を乾かせ」