第三十三話 透明マント‼︎
徐に立ち上がりながら、慎重に歩み寄っていく。
「お、恐らく泥濘に嵌ったのかと――大丈夫だ!」
「近道には、いつも障壁が待ち受けているな……」
だが、沈んでいく様子は無い。ならば、彼奴か。「お前も来い」と、10代目を引き連れて荷馬車から颯爽と降り立って、早々に足元の原因と衝突する。
「スライムですね」
固体と液体の両方の性質を併せ持つ、濃い緑葉の苔と淀んだ浅瀬を多分に含んだ、水滴の巨大化とも言える存在、それが完全に車輪を呑み込んでいた。
「みたいだな」
「どうされますか?」
「ただ生きているだけの魔物を不用意に殺す必要は無い。下手にその場の生態系を荒らせば、困るのは俺達人類だしな。殺傷は最終手段で先ずは押そう」
「承知致しました。念の為、引力が可能か調べてみます」
「あぁ、頼むよ」
「どうでした?」
不安げな様子で幌から顔を覗かすベリルらに手を差し伸べ、「スライムだ、絶対に外に出るなよ」と、今にも飛び出しそうなコルマットを制止させ、満身創痍のぐったりとした精霊を【蒼き水晶体を召喚】包み込み、アイテムボックスに収納させ、代わりに【握り飯を召喚】し、ベリルに手渡して――。
「これを食べて待っていてくれ」
「こ、このままだとどうなるんですか」
「ただ融合して、一体化するだけだ。気にするな」
「えっ!」
「いいから早く戻れ」
「精霊さん、大丈夫でしょうか?」
「あぁ、ちょっとした疲れだよ。心配ない。ほら、少しだけ危ない事をするから中に入っていてくれ」
「はい……」
スライムに深々と浸かる車輪に【麟壁の籠手を召喚】して、淡く忽然と出現する防具を己の身に纏い、躊躇いなく手を触れる。
無駄に反発する雫に強引に押し込めば、不思議な感覚で水に近しくも柔な弾力が忽ち、腕中に訴え、幾重にも重なりし鱗が次第に水へと変貌していく。
そして、外部からは決して微動だにしない車輪は、思わず目を見開く程に軽く、ほんの少しの力で小突くだけでも緩やかにその歩みを進めていった。
「どうだ!」
「やはり外からでは、魔力を無効にするようです」
「だったら、こっちを手伝ってくれ」
「はい!」
お互いに下手な傷を負わずに無事に外へと脱し、異様な籠手に目を凝らす10代目を尻目に、未だ木々と浅瀬が際限なく続くであろう湿地帯を見渡せば、ぞろぞろと幅広いサイズのスライムが流れるように馬車に群がり初め、再び行方を遮ろうとしていた。
「参ったな」
10代目の使い道の無い膨大な魔力に引き寄せられているのだろう。これじゃあ完全に足止めを喰らうだろうし、飛ぶのもなぁと、徐に天を仰げば、無数のガーゴイルが虎視眈々と獲物を待ち侘びていた。
「しゃーない、あれを使うか」
不思議そうに霧散する籠手から掌に熱い視線を注ぐ。
「テレテテッテテー! 透明マントー!」と、アイテムボックスから清澄なる透き通った布を取り出す。
静寂。
気分を変えて恥ずかしげもなく振る舞ってみたものの、今にも逃げ出したくなる虚無が続く間が、次第に俺の漠然とした屈辱に等しき念を掻き立てた。
「どうかしました?」
「いいや、何でもない。これを馬車に覆うからそっちの方を持ってくれ」
「わかりました」
互いに布の両端を持って、「せーの!」優しく舞い上げれば、浅瀬に触れる事なく綺麗に覆い被し、仕事を終えた10代目がスライムに触れた足で平然と荷馬車に上がらんとして、俺は慌てて怒号を飛ばす。
「おい! ちょっと待て!」
危うく水滴が紛れ込む前に、間一髪で振り返り、
周囲に視線を泳がしながら淡々と歩み寄ってくる。
「どうされたんですか?」
「お前、スライム対策なんて基礎中の基礎だろう」
「っ! 盲点でした」
「何か考えごとでもしてたのか?」
「いえ別にそうではなくて、ただの……慢心です。以降、このようなことが二度と無いよう、改めます」
「あぁ、気を付けてくれよ」
そう告げる10代目の顔色は仄暗さに呑まれた淀みに沈んでいくような物憂げな表情を浮かべていた。
足先にやや痺れる程度の電撃を加えながら灼熱の熱湯に浸かるかの如く沸騰に耐え、馬車に上がる。
「シオン様は?」
「きっと心の整理が付かないんだろう。少しだけ待ってやってくれ」
「ハァ……?」
「少し魔法を纏った布を被せたが、馬はどうだ? 暴れる様子があれば、別の対策に移るが」という名の、10代目の魔法炸裂による単なる強行突破だが。
「いえ、問題ありません」
「そうか、なら良かった」
「あの喉が乾いて」
「外の水は浄化できないから絶対飲むなよ」
と、アイテムボックスの【1Lの皮袋水筒を召喚】して、苦しそうなベリルに手渡せば、地獄に落ちたような顔つきを浮かべて10代目が馬車に上がった。
「よし、行こうか」
「承知致しました」
再び絶望的な状況が依然として解決されぬまま、長きに渡って重苦しき空間の続く歩みが始まった。
当然のように訪れる、静寂。
「あ、あの!」
そんな空気に耐えかねたベリルが沈黙を破った。
「何だ?」
無意識のうちに鋭く一瞥し、ややキツめに問う。
「わ、私ずっとスライムの形だとか見た目が気になっていたんです。あのそう! 大きさとか!」
【透視の魔眼を発動】
煌々とした白光が両目を包み込み、白黄色の色に染まった幌を糸も容易く通り抜けて、外を覗かし、嫌になる程集まった大小様々なスライムを目にしたと同時に、ベリルの目元を軽く翳して、【共鳴を発動。MP : 常時0.2を消費します】して、手を払う。
「どうだ?」
慣れぬ光景に戸惑いながら、周囲を見回す。
「⁉︎」
「見えたか?」
「魔法ってこんなに便利なんですね!」
「使い方を誤れば、命を落とすがな」
「わ、私にも…………! いえ何でもありません」
何かを思い出したように出掛かった言葉を呑む。
「『私にも』何だ?」
聞かれていたのか、あの時の会話。
「そ、そういえば、どうして国王陛下は御者さんを付けたのでしょうか?」
「此処らは日々、地形が移り変わっていく性質がっあってな。現地の情報に精通した者が居なければ、二度と出れないとさえ云われている程だ」
「通称、迷宮の大地と人は呼びますね」
「それを見越した上で優秀な方を派遣したんですね、流石は一国の王様です!」
他にも理由がありそうだがな。
「っ! 湿地帯を出ます」
【精霊の生命エネルギーが激減しています。これ以上神聖な自然に触れなければ、命の危険があります】
「周囲に何がある!」
「際限なく続く荒野しか――いえ、正面数百メートル先、精霊樹の森が広がっています」
「彼方側も歓迎ってことか、突っ切ってくれ!」
「よろしいのですか⁉︎」
「あぁ、用があるんでな!」