第三十一話 旅立ちと別れ、そして――。
「……本当にもう旅立たれてしまうのですか?」
国王陛下の傍らの王妃が悲壮感を漂わせ、まるで絶望を自ら確認するように恐る恐る俺達に訊ねる。
「何分、こちらも急ぎ要でして、申し訳ない」
「あっ! あの光の粒は何と言うのですか?」
「私の国では《《花火》》と、言います」
「花火。とても響きの良い、素敵なお名前ですね」
「えぇ、大抵の人は夏の夜の祭りに際して浴衣姿と云う我々特有の文化で自ら赴き、楽しんでいました」
「少しだけ、羨ましく感じてしまいますわ……」
「あまり良いところばかりじゃありませんがね」
「それはきっと周りを見ていないからこそ、言えることですわ」
「はは、そうかも知れませんね」
そして、言葉を告げんとした王の気配を素早く察知し、笑みを零しながら緩慢に口を閉じていった。
「アルメリア王、いえ。国王陛下。我々は重大な急務を背負う身の為、貴方様が本来望まぬであろう日に次の国へと旅立つことをどうかお許しください」
「今更、そんな改まった言い方になさらなくても構いませんよ。私の中では友人のような気持ちなのですから」
「勿体無いお言葉……謹んで頂戴致します」
「ですから――」
何処までも最早大地に触れてしまうであろう程に腰が低い姿に、苦悶と困惑の入り混じった表情を浮かべ、やや悲しげな瞳が俺をじっと見つめていた。
「申し訳ありません。機嫌を損ねるようでしたら、僭越ながら普段通りの口調で喋らさせて頂きます」
「えぇ、そうしてくださると大変助かります」
「では、私共は行ってまいります」
「皆と再びお会いするのは、魔王討伐時でしょう。これから先幾多の困難が待ち受けていたとしても、貴方方なら、先代のリア・イースト様ならきっと壁に閉ざされていようとも、絶望の淵に沈んでしまおうとも、無事に目的の道へと辿り着けるでしょう。どうかこれから先の道のりに、絶望の終わりが無きよう……我々一同、心から健闘を祈っております」
「ありがとう、ございます」
「本当に魔王討伐時までお会い出来ないのですか?」
「えぇ、恐らくは……そうなるでしょう」
「とても寂しいですね」
「それも時の運、そして――巡り合わせですから。では、またいつか」
「はい、お元気で」
出逢った時とは、まるで異なる対応で見送られ、何一つ成せなかったこの国ともお別れになるのに不思議と心苦しい気持ちを覚えず、一切の躊躇いなくベリルらの待つ荷馬車前に背を向けんとしたのだが、「あのー! ちょっと待ってー!」と、聞き覚えのある子供の甲高い声が多くの観光客らがぞろぞろと群れを成して過ぎ去ってゆく正門前に響き渡った。
息を切らして駆けていく一つの朧げな人影の背に続く、幾多の差異たる速さと子供らの小さな全貌。
「ハァ、ハァハァ。ほら皆んな早く!」
「お前、早いんだよ!」
「ちょっとはペース合わせて走ってよ、もう」
「だから、誰も君とは鬼ごっこをしないんだ……」
「クソッ、この俺が駆けっこに負ける日が来るとは」
「……?」
「何か用か?」
いつものようにたわいもない微笑ましい会話を俺たちを爪弾きにして馳せる子供たちに声を掛ける。
「あっ、そうでした! ごめんなさい」
そんな見慣れた光景に10代目が傍らに寄り添う。
「これ、お守りにどうぞ!」
白き星型の鬼灯さながらのやや崩れた花冠に、繊維状に咲き乱れる仄かにピンク色を帯びたフジバカマのような完璧に等しい花冠を嬉々として差し出す。
「これを俺たちに?」
「はい!」
「うん! 何とか皆んなで作ったんだ。勇者様とそれから手伝ってくれたお兄ちゃんに」
「どっかの誰かさんのせいでちょっと失敗しちゃったけど」
「ホントホント、もっと上手く出来た筈なのに……」
「俺が不器用だって、言いてぇのか!」
「ほう、随分と子供に人気じゃないか。来世の職は児童の教育関係に携わるといい。貴様の瑣末な癇癪で、教え子の想いを踏み躙らなければの話だがな」
一々癪に障り、踏み躙るが如く舌剣を突き刺すのは果たしてどちらなのだろうかと言ってやりたい。
「望まむ道に進んでいる割に随分とお元気ですね」
「……あぁ、それもまた人生と言うのならば、私は甘んじてこの状況をも受け入れよう」
10代目が大地に膝を突き、子供達からの嬉々として受け取る傍らでは、言葉の暴力が始まっていた。
「国王陛下の右腕はどうされるおつもりですか?」
「フッ――今では戦友にして愛しき兄弟、それが今の私の代えの効かぬ右腕であります故、御安心を」
腹黒王子は直様瞠目し、一驚を喫する。それは驚きのあまり、無意識に一歩後ずさってしまう程に。
「と言うのは、冗談で」
その絶望の一言にもはやリアクションを失った。
「腕に強引に魔力を流し込んでしまった為、我が国の医療技術でも浄化や抽出も困難を極めるらしく、現在は、魔術と薬による再生と義手待ちなんです」
何処か他人事な感じが拭えないが、決して悠長な雰囲気を匂わせる事などは全くとしてしなかった。
「そうですか」
「えぇ、ですが心配なさらぬように。私には頼もしい右腕がおりますから」
と、静かに微笑んだ。
「……」
「あっ、話は変わりますがこの馬車は?」
「我が父、国王陛下直々の手配による最高級の御者付きの荷馬車となります。これは『ほんのお礼』と、仰っていましたから、気兼ねなくお乗りください」
「何から何まで面倒を掛けてしまって……」
「勇者様達の誉高き旅路のもてなしには当然の事。全ての力を出し尽くして、任務遂行に励んでください」
「はい、誠に感謝痛み入ります」
「行くぞ」
「えぇ」
「では、本当にお別れとなりますね」
「はい」
国王陛下はそっと掌を差し出した。
脳裏によぎる数多の杞憂で一瞬の間が生じつつも、一拍を置いて徐にその手を握りしめ、握手を交わす。
そして、傍らの二人は――。
「素直であれば、行く道も違っていた」と王が10代目を仔猫を憐れむような眼差しで突き刺していた。
それから幾度となく感謝の言葉を馳せ、ようやっと暇そうに皆と戯れるベリルの元へと歩み寄った。
「待たせたな」
「いいえ、とんでもありません」
「じゃあ、行こうか」
「はい」
「光栄ながら、この旅の道すがらの一端を担います。ウィラ・キールと申します。キールとお呼び下さい」
荷馬車に手を拱いて凭れ掛かり、狐のような面差しに緑のハットに純白の羽根の装飾を身に付けて、さながら放浪者のような格好をした一応の好青年。
帽子を外しながら深々と首を垂れて、荷馬車に乗らんとしつつも苦戦する姿を見せるベリルを支え、「足元にお気を付けくださいね、お嬢さん」と、見た目に似つかわしくない一面を早々に曝け出した。
皆が馬車に身を乗せ、囂々たる甲高い声を響かせて大きく振る子供達の想いに軽く返しながらも、頭の中では、早朝にあった物思いに耽り始めていた。