第二十八話 朧げな過去と悲しき戴冠式
いいや、少し落ち着け。
「では、先に失礼する」
クローディア王とその傍らの近衛兵唯一の生き残りは、まるで荒ぶる嵐のように過ぎ去っていった。
その間にも元刺客は頻りに俺に目を泳がせていた。
「ハァ……っ!」
残り少ない体力の削がれるサブクエストを終え、肩の荷を下ろさんと地に俯けば、肩に衝撃が走る。
血走っているであろう眼を不届者に突き刺せば、其処には槍を拾い上げる怪訝な表情の兵士が居た。
「では、私も失礼致します」
「あぁ」
過ぎ去ってゆく哀愁を漂わせた丸みを帯びた背中を、俺はただ茫然と眺めることしかできなかった。
「先代様……ですか?」
そして、俺に通夜帰りの如く居心地の悪く避け難い空気を周囲に撒き散らす、王が最後に呼び掛ける。
「おめでとうございます」
緩慢に限りなく今の己にでき得る最大限の笑みを無理やり曇り顔に浮かべるとともに踵を廻らせる。
そうすれば、まぁ何ということでしょう。予想していた通りに今に国王陛下と昇華されし者は、地獄の淵を彷徨い歩く生ける屍のようではありませんか。
「体はもうよろしいんですか?」
「えぇ、お陰様で。それはもう、元気いっぱい!」
「そうですか、それは良かった」
「王は何故、此処へ?」
もはや潔く、自ら悠然と地雷原へと闊歩する。
「知人に頼まれまして、花を摘みに来たんです。此処らは良い花が咲きますので」
「そうだったんですか」
間。
「じゃ、じゃあ戴冠式でお会いしましょう」
「そうですね、失礼します」
最後まで決して面を上げることなく、鉄塊を引き摺るかの如く、大地を抉る重き足取りで横切った。
そして、俺一人となってしまった。
虚無が襲う。
いや、むしろ此処は完全なるオアシスと化した。のかもしれない、きっとそうに違いない。だが、とても、この苦労も無くスクスクと成長してきた花畑に燦々たる陽の元に寝転がるような気分にはなれず、俺は忙しなく踵を返して、この場を去ろうとした。
のだが――。
まだ傷の治りかけな丹田に、響く痛みが訴える。
「ッ!」
呻き声を抑えたと同時に傍らにフサっと柔らかな草花にふんわりと伏した、小さな一つの子の人影。
被害者を慰めながらその先に徐に振り向けば、華奢な少女がお手本のような形で転んでしまっていた。
「だ、大丈夫か?」
「はっ、はい」
顔を上げれば、自然の恵みなるクッションのおかげで鼻が仄かに赤みを帯びるだけで済んでいたが、少女のガラスの心は疾うに粉砕直前であった。が、何とか堪えて、両手を大地に突き、立ち上がった。
「痛みがあるのなら、治癒魔法で治せるが……」
「いえ、これくらいなんてことない……ですから」
そうは見えんが。
「あっ!」
再び何かに引っ掛かって身を大地に落ちてゆく少女の元へと瞬く間に駆け寄り、体をそっと支える。
「大丈夫か?」
「は、はい。ありがとうございます」
眼下。
其処には、歳に似つかわしくない綺麗な蝶々結びを成している、傍らの靴紐が切れてしまっていた。
「家は近いのか?」
「まだ大切な用事がありますので、何があっても帰れません。…………? あっ! 紐が」
「そうか。なら、その紐じゃ困るだろう。少し肩に手を添えて待っていてくれないか」
「は、はい」
他人のとは言え縁起の悪い瞬間を見せられては、早々に再生して、誤魔化させざるを得ないだろう。
「不安定なら俺の足に乗せて構わないよ」
久々に正座で大地に膝をつき、そよ風に戦ぐ草花をひしひしと肌で感じながら、【縫合を開始】と、まぁ便利な匠の技で身勝手に指と針が働いていく。
僅か数秒足らずで無事に綺麗な一本の靴紐が完成し、少女は予想の域を遥かに超えて一驚を喫した。
「あ、ありがとうございます!」
「お互い前を見る時は、気をつけていこう」
「あの!」
茂みの奥からぞろぞろと子供の山が雪崩れ込み、その勢いに流されるまま引き戻されてしまった。
「うわっ、ちょ、ちょっと! 何だ、何だ!」
それはまるで、あの頃の――――。
「作り方知ってるっ? 花冠!」
「ねぇねぇ! 花冠の作り方教えてくれない?」
「おじさんならわかるよね!」
「ちょっとだけだから、付き合ってよー!」
何だか聞き捨てならない言葉が混ざっていたような。
「え?」
「この人、凄く手先が器用なの!」
「ホントに⁉︎ これなら何とか、旅立っちゃう前に完成出来そうだな」
「何の話だ?」
「あのね、あのですね、 私たち大切な用があってどうしても花冠を明日までに作らないといけないんです」
「こっちも行かなきゃならないとこあるんだよな」
「だ、駄目ですか?」
「うっ!」
数多の円な瞳が上目遣いで、それも直視できぬ程にキラキラと輝かせて、俺をじっと見つめていた。
「ハァ……わかったよ」
子供たちの熱い眼差しに根負けし、引っ張られるままに花畑の奥の奥の更に奥へと連れて行かれた。
「おじさん!」
「次、それ言ったら帰るから」
「じゃあ――お兄ちゃん!」
……。
いつも同級生から揶揄われるのが嫌で、いつからか彼奴がどれだけ泣きじゃくっても、俺は歳を重ねる毎に次第に共にする時間が少なくなっていった。
風呂も、眠る時も、食事の時間でさえも……。でも、段々とそんな環境にも慣れていって、限られた時間では特に何かをする訳でもない、ただたわいもない話題にくだらない言葉を片手間に交わすだけ。
ずっとそれがどうでもいい時間だと思っていた。なのに、手元から離れた途端、どうしようもなく自分に腹が立った。心の底から幾度となく過去の己を殺してやりたいと思ってしまった。最後に交わした言葉でさえ、もう記憶の片隅にさえ留まってない。
「何で……おれなんだ」
「――たの?」
「ねぇ! お兄ちゃん‼︎」
必死に花を摘む子供たちが俺一点に視線を注いで、不思議そうに小首を傾げていた。
「ごめん、ごめん。少し、いやな……ちょっとだけ悲しいことを思い出してしまって」
「だったら、どうして泣かないの?」
「え?」
「私はね、辛いことがあった時は、直ぐママに抱きしめてもらうんだ! お兄ちゃんも大好きな人に全部言って、慰めてもらえば良いんだよ!」
「そうだよ! 我慢したって意味無いんだから!」
「ま、泣き虫の誰かさんは何かあれば、いっつも『ママ、ママ』って、直ぐに逃げちゃうけどね!」
「ほんと、ほんと、乱暴な癖にね。学校に入る前にちゃんと治しておいた方が良いと思うよ?」
「う、うるせぇ!」
「フフッ」
「アハハ!」
「キャハハ‼︎」
「アッハッハッハッ‼︎」
「笑ってんじゃねぇ!」
「……そう、だな、ありがとうみんな」
「どう致しまして」
「なんなら私たちがお礼に何かしてあげようか? 例えば、どっかの誰かさんのハグとか?」
「それ良いねー!」
「てめぇらいい加減にしろ!」
生きて帰ればの話だがな。
「さぁ、みんな。最高の出来を作り上げよう」
「「「「「はーいっ!」」」」」
こうして途中の些細な喧嘩や飽き性の勃発など、面倒なイベントをこなしながら、作り上げていき、かろうじて作り方のみを皆に伝授する事が出来た。
「じゃあ、俺はこれで」
「ありがとう!」
「絶対に完成させるから、楽しみにしてて!」
「もう腰を抜かすほど、驚かせちゃうから」
「おじ、お兄ちゃんバイバーイ!」
「もしできなかったら既製品で誤魔化すからぁ!」
俺の努力を踏み躙るような発言が飛んだ気がするが、皆の見送りに軽く返して、その場を後にした。
そして、気品ある正装を身に纏い、まるで亡霊のようにひっそりと姿を消していた10代目の傍らで、大主教の手によって絢爛豪華な王冠をアルメリア王の頭に被せ、こちらに表を向けた王は、「この国と民が未来永劫、栄えることを祈って」そう言って、危うく落としそうになる王妃を除いて、皆が嬉々として純銀のグラスに注がれし赤き酒を飲み干した。
又もや肉肉しい豪勢な宮廷料理が並べられており、クローディア王をは苦虫を噛んだように食事に手を付けず、王妃はずっと目の縁を赤く染めていた。
だが俺は、……食わねば、ならない。
生きるために、明日のために、《《願いを叶えるために》》。